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紅い芥子粒
レビュアー:
16歳のいちは、自分たち子どものいのちと引き換えに、父の助命嘆願を思いつく。
大正十年に発表された、ごく短い歴史小説である。

元文三年(1738)、大阪でのできごと。
桂屋太郎兵衛という運送業者が、横領の罪で斬首刑に処せられることになった。
処刑のことを知った妻は、嘆き悲しむばかりで情けないありさま。
夫婦には、五人の子がいる。
長女のいちは、16歳である。
いちは、自分たち子どもの命と引き換えに、父の助命嘆願を思いつく。

いちは、夜中、となりで寝ている妹のまつに、ひそひそと提案する。
十四歳の妹は、驚愕するが、反対できずに同意する。
いちは起きだして、みんなが寝ている同じ部屋で、お奉行様への願書を書き始めた。

十二歳の長太郎が目をさます。
長太郎は太郎兵衛の実子ではなく養子である。
いちは、長太郎は死ぬ必要はないと考えていたが、
長太郎は、姉さんたちが奉行所に行くなら自分も行くという。
母親は、何も知らずにねている。
いちは、夜明け前に願書を書きあげた。
姉弟三人は、こっそり家を出て奉行所をたずねた。

願書は、中身を読まれただけで、受け取ってもらえなかった。
裏で糸引く大人がいるかもしれないと疑われたのである。
翌日、一家は奉行所に呼び出され、白州に下座させられて、尋問を受けた。
はたしてこの子らは、おかみに楯突くふとどきものの手先か、殊勝な孝行娘か。
白洲には、拷問道具も並べられていた。

母親は、自分の名前以外はまともに答えられず、まったく頼りない。
いちは、何を訊かれても、少しも動じずハキハキと返事をする。

幼い弟妹たちも順番に、「ほんとうに身代わりになって死んでもいいのか」ときかれていった。
八歳の妹は、大きな目から涙をあふれさせ、
六歳の弟は、ぶんぶんとかぶりを振った。

いちは、もういちど「ほんとうにそれでいいのか」と念を押され、
「よろしゅうございます」と答えた。
そのあと付け足した一句が、奉行を震撼させる。
いちは、こう言い放ったのである。
おかみの事に間違いはございませんでしょうから。

鴎外は、いちが放った最後の一句の作用を、作中でこんなふうに書く。
献身の中に潜む反抗の鉾は、いちとことばを交えた佐佐のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した。


孝行娘の皮肉に参ったわけではない。
役人たちは、いちのことを憑き物でも憑いたようだと、気味悪がったのだ。
結果的にいちの捨て身の助命嘆願は、かなうことになる。

それにしても、いちの行為は狂気としか思えない。
自分一人が犠牲になるならともかく、まだ幼い弟妹まで連れて行こうとするなんて。
親孝行も罪深い道徳である。
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:558 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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