三太郎さん
レビュアー:
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文学(詩)に啓示を受けた音楽はよくあるが、音楽(歌詞)に触発された小説というのもある。
小川洋子さんが佐野さんの歌10曲をもとに短編小説を書いた。1990年頃のことで小川さんも佐野さんもまだ若かった。佐野さんは1956年生まれで、学年でいうと僕より一学年上だ。小川さんは1962年生まれで僕の奥さんより少しだけ年長。
このレビューを書くのに僕はちょっと慎重になっている。同年配には佐野さんのファンが沢山いるのを知っているし、何しろうちの奥さんが大ファンだった。この本も奥さんが購入したもの。
この本が書かれた頃には佐野さんは既に多くのヒット曲を持っていたし、僕もさわりを聴けばああこれかと思い出す曲もいくつかある。でも正直にいえば、佐野元春は僕が苦手なタイプのシンガーだ。
僕はPOPSを聴いているときは歌手の「声」に引き付けられている。レッドツェッペリンのロバート・プラントとかレベッカのNOKKOとか・・・声を聴いているだけでその曲の全てが分かるような感じ。歌詞なんか気にしていない。歌詞が分からなくても音楽は分る。
でも実際には、日本語で歌う歌手は、NOKKOでもブルーハーツの甲本でも、声をきいていれば歌詞は自然に入ってくる。日本語の歌詞は単語が少ないし、彼らの発声は明瞭だ。
ところが佐野元春の歌は容易には聞き取れない。歌詞が気になると音楽は聴こえなくなる。この本で佐野さんの歌詞を読んでいて意外だったのは、特に複雑でもないし言葉数も多くはないことだった。でも聞き取りにくい。乱暴な言い方をすれば、彼は歌ってはいないかのようだ。だから彼のファンは彼の声を注意深く聞くのかもしれない。
小川さんも佐野さんの曲を何度も注意深く聴いて小説を書き上げたらしい。
小説は歌詞をなぞっているわけではないだろうが、それでも歌のタイトルからそう離れることもない。だからか小川さんらしい奇想は少なめだ。それでも・・・
「誰かが君のドアを叩いている」にはかなり奇想がはいっているかな。誰かが私の脚を叩いている、というタイトルでもよかったかも。
主人公の女性は自分の左脚の「記憶」を失っている。脚の記憶がなくなると歩けない、というのも不思議だが、でも本当は僕らだって自分の脚の「感覚」ではなくて、「記憶」をもとに歩いているのかも。だから記憶がないとどう脚を動かしたらよいのかもう分からない。
「奇妙な日々」は奇妙でナンセンスなお話だ。恋人の訪問を待っている僕のところに、地図の作製会社の者だと名乗る中年女性が訪ねてくる。そして岡の上にある空き地に以前何が建っていたかと執拗に問い続ける。そして恋人はついに訪れない。
「また明日…」は小川さんらしい奇妙なお話。僕はみみずくクラブでピアスに入った女性の「声」を借りる。この声に恋をした僕は・・・このクラブでは声と人間を別々にできるらしい。
「ガラスのジェネレーション」は高校時代の元恋人同士が街で偶然出会うお話。昔、彼に突然振られた彼女は小さな家出をするが、そこで出会ったのは・・・
「情けない週末」はコンサート会場を出た私が街を彷徨い、すっかり道に迷ったころに昔の恋人との思い出の噴水の前にたどり着くお話。彼女は以前、噴水の前で、彼の誕生日に買ったケーキを箱ごと落としてしまったのだった。
何かを失う話が多いかな。
失恋の話は多め、奇想は少なめ。
このレビューを書くのに僕はちょっと慎重になっている。同年配には佐野さんのファンが沢山いるのを知っているし、何しろうちの奥さんが大ファンだった。この本も奥さんが購入したもの。
この本が書かれた頃には佐野さんは既に多くのヒット曲を持っていたし、僕もさわりを聴けばああこれかと思い出す曲もいくつかある。でも正直にいえば、佐野元春は僕が苦手なタイプのシンガーだ。
僕はPOPSを聴いているときは歌手の「声」に引き付けられている。レッドツェッペリンのロバート・プラントとかレベッカのNOKKOとか・・・声を聴いているだけでその曲の全てが分かるような感じ。歌詞なんか気にしていない。歌詞が分からなくても音楽は分る。
でも実際には、日本語で歌う歌手は、NOKKOでもブルーハーツの甲本でも、声をきいていれば歌詞は自然に入ってくる。日本語の歌詞は単語が少ないし、彼らの発声は明瞭だ。
ところが佐野元春の歌は容易には聞き取れない。歌詞が気になると音楽は聴こえなくなる。この本で佐野さんの歌詞を読んでいて意外だったのは、特に複雑でもないし言葉数も多くはないことだった。でも聞き取りにくい。乱暴な言い方をすれば、彼は歌ってはいないかのようだ。だから彼のファンは彼の声を注意深く聞くのかもしれない。
小川さんも佐野さんの曲を何度も注意深く聴いて小説を書き上げたらしい。
小説は歌詞をなぞっているわけではないだろうが、それでも歌のタイトルからそう離れることもない。だからか小川さんらしい奇想は少なめだ。それでも・・・
「誰かが君のドアを叩いている」にはかなり奇想がはいっているかな。誰かが私の脚を叩いている、というタイトルでもよかったかも。
主人公の女性は自分の左脚の「記憶」を失っている。脚の記憶がなくなると歩けない、というのも不思議だが、でも本当は僕らだって自分の脚の「感覚」ではなくて、「記憶」をもとに歩いているのかも。だから記憶がないとどう脚を動かしたらよいのかもう分からない。
「奇妙な日々」は奇妙でナンセンスなお話だ。恋人の訪問を待っている僕のところに、地図の作製会社の者だと名乗る中年女性が訪ねてくる。そして岡の上にある空き地に以前何が建っていたかと執拗に問い続ける。そして恋人はついに訪れない。
「また明日…」は小川さんらしい奇妙なお話。僕はみみずくクラブでピアスに入った女性の「声」を借りる。この声に恋をした僕は・・・このクラブでは声と人間を別々にできるらしい。
「ガラスのジェネレーション」は高校時代の元恋人同士が街で偶然出会うお話。昔、彼に突然振られた彼女は小さな家出をするが、そこで出会ったのは・・・
「情けない週末」はコンサート会場を出た私が街を彷徨い、すっかり道に迷ったころに昔の恋人との思い出の噴水の前にたどり着くお話。彼女は以前、噴水の前で、彼の誕生日に買ったケーキを箱ごと落としてしまったのだった。
何かを失う話が多いかな。
失恋の話は多め、奇想は少なめ。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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