三太郎さん
レビュアー:
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ニーチェの本は人生に活を入れてくれる、らしい。
これもブックオフで見つけた。ただしいつもの税込み110円均一でななくて、税込み440円だったから、結構売れている本なのかも知れない。今でもニーチェに興味がある人が沢山いるのだろうか?
なんでこの本を手に取ったのか分からないのだけれど、今から半世紀ほど昔、高校生の頃にはニーチェの「ツァラトゥストラ」を一度読んではいた。この本は、主に「ツァラトゥストラ」の中から著者が日々の生活に役に立つ?箴言(アフォリズム)を選んできて、それを使ってニーチェの思想を解説したものだ。
ところで、高校生の僕がニーチェの本にどうして興味を持ったのかも不思議なのだが、もしかするとリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いたからだったのかな?僕は哲学にはほとんど興味はなかったはずだから。「ツァラトストラ」は哲学書というよりは物語のような本だったが。
著者が選んだ箴言をいくつか紹介します。
「わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める。」
君たちというのはニーチェの読者のことだろう。著者によればニーチェが隣人を拒否するのは、隣人が嫉妬する存在だからだ。
嫉妬やルサンチマン(ねたみひそみ)は、今ならネットやSNSに溢れているとか。これらに関わらない(誰かを非難するコメントに共感のコメントやいいねを押さない)という態度を推奨しているということだろうか。
このサイトでの交流はむしろ遠人愛に近いのではないかな。いたずらに共感を煽るサイトではないから。
「おのれの友のうちに、おのれの最善の敵をもつべきである。」
著者によればこれは、自分の向上心を高めてくれない相手とは友達付き合いするな、という意味だとか。「ツァラトゥストラ」を書いたころのニーチェは実際に友達がいなくなっていたらしい。最善の敵というのは、敬意をもって対峙できる相手(ライバル)という意味なのだろう。ニーチェの言葉に忠実に従うと、もしかしたらまったく友人がいなくなるかも知れないが、実際にはそう何人も友人はいらない。
「最も大いなる事件というのは、われわれのもつ最も騒がしい時間ではなくて、最も静かな時間なのだ。」
空を飛ぶためには、ラクダとなって重い荷物を背負ってひたすら歩き続ける時代が必要だと言う。その間に密かに空を飛ぶ準備ができてくるのかもしれない。何にでも修業時代が必要だということか。
「肉体はひとつの大きい理性である。」
キリスト教では精神こそが人間であって、肉体は無価値だとされていた。実はデカルトも似たようなことを書き残していた。ニーチェはそんな西洋文明の常識をひっくり返してみせた。ただし、著者によれば本も読まず体を動かす(踊る)ことにだけ熱中している人にはニーチェの肉体の意味が解らないというが、僕はそうとも言えないと思う。肉体が考えるということもあるかもしれない。
「善い(よい)者たち、正しい者たちを警戒せよ。」
「正しさ」をかさに着た連中に気を付けなさい、彼らは孤独な者を許さないから。僕は「正論」というものは疑わしいと思っている。本来、何々すべきだ、という「論」には正も邪もないのではないだろうか。新しい価値を作り出す者たちは正論によって潰されるのだから。
まだまだ続きがありますが・・・引用はこれくらいで。
著者のいうようにニーチェが今日でも役に立つのかどうか、読み直してみたくなりました。
なんでこの本を手に取ったのか分からないのだけれど、今から半世紀ほど昔、高校生の頃にはニーチェの「ツァラトゥストラ」を一度読んではいた。この本は、主に「ツァラトゥストラ」の中から著者が日々の生活に役に立つ?箴言(アフォリズム)を選んできて、それを使ってニーチェの思想を解説したものだ。
ところで、高校生の僕がニーチェの本にどうして興味を持ったのかも不思議なのだが、もしかするとリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いたからだったのかな?僕は哲学にはほとんど興味はなかったはずだから。「ツァラトストラ」は哲学書というよりは物語のような本だったが。
著者が選んだ箴言をいくつか紹介します。
「わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める。」
君たちというのはニーチェの読者のことだろう。著者によればニーチェが隣人を拒否するのは、隣人が嫉妬する存在だからだ。
嫉妬やルサンチマン(ねたみひそみ)は、今ならネットやSNSに溢れているとか。これらに関わらない(誰かを非難するコメントに共感のコメントやいいねを押さない)という態度を推奨しているということだろうか。
このサイトでの交流はむしろ遠人愛に近いのではないかな。いたずらに共感を煽るサイトではないから。
「おのれの友のうちに、おのれの最善の敵をもつべきである。」
著者によればこれは、自分の向上心を高めてくれない相手とは友達付き合いするな、という意味だとか。「ツァラトゥストラ」を書いたころのニーチェは実際に友達がいなくなっていたらしい。最善の敵というのは、敬意をもって対峙できる相手(ライバル)という意味なのだろう。ニーチェの言葉に忠実に従うと、もしかしたらまったく友人がいなくなるかも知れないが、実際にはそう何人も友人はいらない。
「最も大いなる事件というのは、われわれのもつ最も騒がしい時間ではなくて、最も静かな時間なのだ。」
空を飛ぶためには、ラクダとなって重い荷物を背負ってひたすら歩き続ける時代が必要だと言う。その間に密かに空を飛ぶ準備ができてくるのかもしれない。何にでも修業時代が必要だということか。
「肉体はひとつの大きい理性である。」
キリスト教では精神こそが人間であって、肉体は無価値だとされていた。実はデカルトも似たようなことを書き残していた。ニーチェはそんな西洋文明の常識をひっくり返してみせた。ただし、著者によれば本も読まず体を動かす(踊る)ことにだけ熱中している人にはニーチェの肉体の意味が解らないというが、僕はそうとも言えないと思う。肉体が考えるということもあるかもしれない。
「善い(よい)者たち、正しい者たちを警戒せよ。」
「正しさ」をかさに着た連中に気を付けなさい、彼らは孤独な者を許さないから。僕は「正論」というものは疑わしいと思っている。本来、何々すべきだ、という「論」には正も邪もないのではないだろうか。新しい価値を作り出す者たちは正論によって潰されるのだから。
まだまだ続きがありますが・・・引用はこれくらいで。
著者のいうようにニーチェが今日でも役に立つのかどうか、読み直してみたくなりました。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- ページ数:224
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