テーマ:「フランケンシュタイン」をみんなでゆっくり読んでいく会 前篇
登録日:2016年11月27日 12時18分
テーマの説明
メアリー・シェリーの名作「フランケンシュタイン」をみんなで読もうという企画です。
毎週日曜日に青空文庫の「フランケンシュタイン」のテキストをコピペして投稿します。皆様はそれを読んで、コメントの下のぶら下がりコメントに「ここ怖い!」とか「ここどういう意味なの?」とか、まあ好きなことを書きこんでください。
来年の12月頃、全50回程度で読了する予定です。4000字ずつくらいのペースで読んでいきます。
「読んだ人集まれ―」ではなく、みんなでわいわいがやがや言いながら一つの作品を読んでいったらどうなるんだろう? という実験です。
なので「まだ読んだことがない」というそこの貴方、是非この機会に一緒に読んでいきましょう。
後篇
https://www.honzuki.jp/bookclub/theme/no287/index.html?latest=20
皆様のご参加、お待ちしています!!
テーマにコメントをするにはログインをして下さい
- コメント並び替え:
- 古い順
- 新しい順
テーマにコメントをするにはログインをして下さい
FRANKENSTEIN, OR THE MODERN PROMETHEUS
マリー・ウォルストンクラフト・シェリー Mary Wallstoncraft Shelley
宍戸儀一訳
主要登場人物
ウォルトン隊長――イギリスの探検家。
フランケンシュタイン――スイスに生れた若い化学者。本篇の主人公。
怪物――フランケンシュタインの創造した巨大醜悪な生きもの。
フランケンシュタインの父――名はアルフォンス。かつて長官その他の顕職にあった。怪物に殺される。
エリザベート――フランケンシュタインの許婚者。怪物に殺される。
クレルヴァル――名はアンリ。フランケンシュタインの親友。怪物に殺される。
ジュスチーヌ――フランケンシュタインの父の家の忠実な女中。怪物のために死刑にされる。
ウィリアム――フランケンシュタインの幼い弟。怪物に殺される。
ログイン後、コメントできます。
今からでも全然オッケー、大歓迎でーす!のんびりゆっくりと、ともに楽しく読み進めてまいりましょう!
お体大丈夫ですか?寒い日が続きますので、どうかご自愛くださいませ。
イングランドなるサヴィル夫人に
セント・ペテルスブルグで、一七××年十二月十一日
虫の知らせがわるいからとあんなに御心配くださった僕の計画も、さいさきよくすべりだした、とお聞きになったら、お喜びくださることとぞんじます。昨日、ここに着きました。で、まずとりあえず、無事でいること、事かうまく運ぶことにますます自信を得たことをお知らせして、姉さんに安心していただきます。
僕はもう、ロンドンのずっとずっと北に居るのです。そして、ペテルスブルグの街を歩きながら、頬をなぶるつめたい北方の微風を感じているところですが、それは僕の神経をひきしめ、僕の胸を歓びでいっぱいにします。この気もちがおわかりでしょうか。僕の向って進んでいる地方からやってくるこの風は、氷にとざされた風土の楽しさを今からなんとなく想わせます。
ログイン後、コメントできます。
イントロクイズでご紹介下さったときにも思いましたが、このオープニングは上手いですよね。一気に読者を引きずり込んでしまいます。
何やら人造の怪物が出てくるらしいということは読者は皆知っているわけですが、極地探検に行く冒険家と一体どんな関係が?と興味津々ですよね。
おおお、ですよね!
この第一の手紙、日付が12月なんですよね。北の果てのペテルスブルグですから、きっと辺りは吹雪いてたりするわけです。
そこにですよ、若い冒険家(きっとハンサムに違いない)が部屋の中に一人きりで、胸に期待と不安を抱きながら、自分を心配してくれているお姉さんに「僕は大丈夫☆ この北の大地も僕には楽園に見えます」っていう手紙を書いているわけです。絶対嘘なんですよ。彼の男としてのプライドと、姉を思う心遣いと、あとちょっと強がりなんでしょうね。
そんなことを考えるともう、私、男ですが胸がキュンキュンしちゃいます。か、可愛すぎるぞウォルトン!
で、ハンサムなウォルトンはこれからどうなるの? え? も、もしかして怪物に……、キャーーーッ ヾ(≧∇≦*)〃 ですよ。
あー、ヤバイ。ほんと、上手すぎですねえ。
ログイン後、コメントできます。
人造人間ネタとして、面白いサイトを見つけたのでご紹介します。
http://denjiha55.blog.fc2.com/blog-entry-657.html
特にあの歌人西行が実は人造人間をつくっていた説というのは、掘り下げていくとかなり面白そう。
ログイン後、コメントできます。
こんなことを振り返って考えていると、この手紙を書きはじめたときのぐらついた気もちが吹きはらわれて、心が天にものぼるような熱情でもって白熱するのがわかります。というのは、魂がその知的な眼を据えつける一点としての揺るぎない目標ほど、人の心を平静にしてくれるものがないからです。この探検は僕の幼い時から大好きな夢でした。
ログイン後、コメントできます。
こういった幻想は、例の詩人たちをよく読んだとき、はじめて萎みました。この詩人たちは、流れ出たその力で、僕の魂をうっとりとさせ、それを天上に引き上げてくれました。僕も詩人になり、一年間は自分の創り出した楽園に住みました。
ログイン後、コメントできます。
最新版でご挨拶しようと思っていたのですが、つい。
3ヶ月遅れの参加でお騒がせします。よろしくお願いいたします〜。
My education was neglected→ぼくは教育はろくに受けていませんが(創元)
わたしの英語能力では上記は自然に感じます。
角川と新潮の訳だと、自らさぼった風にも読めますが・・・それもアリなんでしょうかね。
こんな細かい部分まで読む楽しみが満喫できるこの掲示板・・・ここはパラダイスですか?
ではまた後ほど。
まだまだ先は長いですので、この先ものんびりお付き合いいただければと思います。
ほんと、自分一人で読んでいては気づかなかった発見がいっぱいです!
どうぞよろしくお願いいたします~☆
現在のこういった企てを心に決めてから六年になります。今でも僕には、この大冒険に向って自分を捧げた時のことが憶い出されます。僕はまず、自分の体を辛苦に慣らすことから始めました。そこで、捕鯨船に乗せてもらって幾度も北海に行き、自分から進んで寒さや飢え、渇き、あるいは寝不足をがまんし、日中はよく普通の水夫よりも激しく働き、夜は夜で、数学やら、医学のこころえやら、また自然科学のうちで海洋冒険者に実際にいちばんやくだつ部門などの勉強に没頭しました。
ログイン後、コメントできます。
哀愁亭味楽さんのコメにのっかる感じで。
「フランケンシュタイン」は代表的ゴシックホラーとも
またSFのはしりとも言われます。
メアリー・シェリーのお膳立てが良かったのだろうなと思ったり。
ただ恐ろしい怪物の話というだけでなく、
科学が進歩しはじめた当時からみた「ドラえもん発想」と
また「北極」という秘境を使うという
詳細過ぎないぼかしかたがまた見事だと思います。
哀愁亭味楽さんのおっしゃる「キャラ立て」も
既に冒頭でキッチリしてるんだなーと。
個人的にこのSF・ホラーとしてデザインされた
フランケンシュタインにヒジョーに興味があります。
ですよねー。まだたった4000字だけなのに、「完成度高っ」て感じがすごくします。
実は今回の企画は、いくらなんでも1年間は長すぎないかとも思ったのですが、「いや、『フランケンシュタイン』だからこそみんなで読む価値がある!」と思って突っ走っています。
物語的にとてもよくできているので、ホラーやSFとして普通にエンタメとして読むのも良しですが、一方で当時の社会が描いた未来像や実は現在にとっても(人工知能なんかと絡めて)未来を予言している一冊としてちょっと真面目に考えるのも良し、なんですよねえ。
そういうわけで、マーガレット姉さん、今では僕にも、大きな目的を果す資格があろうというものではありませんか。安楽に贅沢してくらすことだってできたわけですが、いままでにさしのべられた富のあらゆる誘惑を振り切って、栄光の道を選んだのです。おお、然りと答えるあのどことなく勇ましい声! 僕の勇気と決意はしっかりしていますが、希望や元気がぺしゃんこになる時も、ないとは言えません。僕は長期にわたる困難な航海に出かけるところですが、何か事があるばあい、あらゆる堅忍不抜さをもってこれに処することが求められます。
ログイン後、コメントできます。
ロシアを旅行するには、今がいちばん恵まれた時です。大橇に乗って雪の上を飛ぶように滑っていくのですが、これは愉快なことで、僕の考えでは、イギリスの駅馬車に乗るよりもずっとずっと楽しいものです。毛皮にくるまっていれば寒さもひどくないので、僕ももう、毛皮の服を着こんでいます。なぜなら、それを着たところで血管中の血か残るのを防げないとしても、甲板を歩きまわるのと、何時間も動かずにじっと坐っているのとでは、たいへんな違いがあるからです。僕は何も、セント・ペテルスブルグとアルハンゲリスクとの途中の逓送路線で命を捨てようという野心をもっているわけではないのですから。
ログイン後、コメントできます。
さらば、撲の大事なマーガレット。御多幸を祈るとともに、僕に傾けてくださったあなたのあらゆる愛情と親切に対して厚く厚く感謝します。敬具。
R・ウォルトン
ログイン後、コメントできます。
ご参加ありがとうございます~! ここからどうなってゆくのでしょうね。ともに楽しんで読んでいきましょう♪
イングランドなるサヴィル夫人に
アルハンゲリスクで、一七××年三月二十八日
こんなふうに霜と雪に囲まれているここでは、時の経つのがなんと遅いでしょう! けれども、僕の計画だけは、もう第二歩を踏み出しました。船を借りて、乗組員を集めることに没頭しているところですが、すでに雇った連中は、信頼のおける、たしかに怖れを知らぬ勇気をもった男たちのようにおもわれます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「このまなざしに、まなざしで応えてくれる誰かなのです。」とか、ウォルトン、そっちの人だったのか!
ログイン後、コメントできます。
まあ、こんなことはつまらぬ愚痴というものです。広い大海では、いやこのアルハンゲリタスクでさえも、商人や海員のあいだに友だちを見つけるのは、できない相談です。それでも、その連中の粗野な胸のなかにも、人間性の汚れをいさぎよしとせぬ感情が波うっています。たとえば、僕の副隊長は、すばらしい勇気と進取の気性に富んだ男で、しきりに栄誉を望んでいます。というよりは、もっと特徴づけて言えば、自分の職業の地位が上るのを願っています。
ログイン後、コメントできます。
特長も気性のすぐれた男で、気のやさしいことと紀律のきびしくないことで、船のなかでも目立っています。この男の誰でも知っている廉直さや恐れを知らぬ勇気にかてて加えて、こういう事情があったので、どうしてもこの男を雇いたくなったのです。孤独に過ぎた僕の年少時代、あなたのやさしくて女らしい養育のもとに送った僕のいちばんよかった時代が、僕の性格の骨組を洗煉しましたので、僕は、船のなかでふつうおこなわれる蛮行に対して烈しい嫌悪を抑えることができません。そんな必要があるとは信じられないのです。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「ダウントンアビー」とか見てると、貴族からしたら雇用人を「友人」と呼ぶことが最大の賛辞、みたいなとこってありそう。
ところで、僕がちっとばかり不足を言い、あるいは、僕の知らない労苦に対して慰めを心に描くかもしれないからといって、僕が決意を渋っているなどとお考えになってはいけません。それが決まっているのは運命のようなものです。出航がいま延びているのは、天候がまだ乗船を許さないだけのことです。冬はおそろしく酷烈でしたが、春はよさそうな様子で、思いのほか早くやってきそうですから、たぶん予定よりも早く出帆するでしょう。僕はむこうみずはやりません。他人の安否が撲の注意如何に懸っているかぎり、僕がいつも細心で思慮深いことは、あなたもよく知っていて信じてくださるはずです。
ログイン後、コメントできます。
たぶん、名前が出てこない時点できっと脇役なんだよねw
でなければ、副隊長のペーターは…とかってなってるよね?きっと!
先を読めばはっきりするのかもしれないけれど、私もぱせりさん同様、現時点では大雑把に(でも心に付箋をつけつつ)把握して置くことにしますw
こーゆー細かいトコにツッコミが入るのも、読書会の面白味ですねえ。
ひとりで手持ちの本だけ読んでたら気が付かないもの。
ログイン後、コメントできます。
http://www.honzuki.jp/book/243142/review/164150/
さて、しかし、もっと大事なことに戻りましょう。はてしのない海を通ってアフリカかアメリカの最南端に戻って来てから、またお会いしましょう。そんなふうにうまくゆくと当てにしているわけではありませんが、絵の裏側を見る気にはなれません。当分は機会があったらできるだけ手紙をください。自分の元気を持ちこたえるためいちばん必要になったときに、お手紙を受け取るかもしれませんから。僕は心から姉さんを愛しています。僕のことは愛情をもって思い出してください、二度と僕の口から何も聞けなくなったとしても。では……
ロバート・ウォルトン
ログイン後、コメントできます。
ともかく当面はできるだけ機会を捉え、手紙を下さればと思っています。ぼくの気持ちが支えをいちばん必要としているときに、姉さんの手紙を受け取れるかもしれませんから。ぼくは姉さんをとても愛しています。どうかぼくのことを、愛情をもって思い出してください。たとえ、二度とぼくの消息を聞かないことがあっても。
あるいはもしかして、北極と南極の両極点を発見することが目的とか? だとしたらウォルトン、野望がデカすぎ!
イングランドなるサヴィル夫人に
一七××年七日七日
姉さん――無事に航海を続けていることを申しあげるために、急いで走り書きします。この手紙は、いまアルハンゲリスクから帰航しようとしている一商船が、イングランドにとどけてくれるでしょう。もしかしたら何年も母国の土を見ないかもしれない僕よりも幸運な船です。とはいえ、僕はとても元気です。部下は大胆で、しっかりやれそうに見えます。たえず僕らのそばを通り、僕らの向って進む地域の危険さを示す浮氷の山を見ても、べつにあわてもしないようです。撲らはもうかなり高緯度に達していますが、今は夏の真盛りで、イングランドほど暖かではないにしても、僕がこうも熱心に到達したがっている岸のほうへ、僕らを、急速に吹き寄せている南風が、予想もしなかった爽かな暖かさで吹いています。
ログイン後、コメントできます。
さらば、なつかしいマーガレット。あなたのためはもちろん自分のためにも、むやみやたらに危険に立ち向ったりはしませんから、どうぞ御安心ください。冷静に、辛抱強く、しかも細心にやります。一、二度の強風や船の水漏れなどは、経験をつんだ船乗りなら、記録しようと思いつきもしない出来事です。航海中に何も悪いことが起きないとしたら、僕はそれ以上に言うことはありません。
しかし、成功が僕の労に報いてくれるはずです。どうしてそうでないと云えるでしょう。こうして僕は、道のない海上の安全な航路を辿って、遠く去って行きます。星こそそのまま僕の勝利の証人であり証拠でもある所へ。どうしていまだに、人に馴れてはいないが従順な自然の元素を処理しないのだろう。人間の決心や決意を何が中止できるのだろう。
ログイン後、コメントできます。
R・W・
ログイン後、コメントできます。
それはもしかしたら来週……かも?
イングランドなるサヴィル夫人に
一七××年八月五日
たいへんおかしなことがもちあがったので、それを書き記さないわけにいきません。もっとも、この書きものがあなたの手に入らないうちに、どうやらお目にかかれそうですが。
この前の月曜日(七月三十一日)、僕らは、氷にすっかり閉されそうになりました。氷が四方八方から船に迫り、操船余地も残らないくらいになったのです。殊に、ひどく濃い霧に包まれていたので、僕らの状態はかなり危険でした。そこで、大気と天候に何か変化が起るのを望んで、停船しました。
ログイン後、コメントできます。
あっ!違いますね。本日アップの最後のところまで読んで気がつきました。大海原の真ん中で書いても手紙を出す手段がないんですよね?きっと??
だから書きためる……そういうことなのかしら?と。
ログイン後、コメントできます。
このことがあってから二時間ばかり後に、浪の音がきこえ、夜にならないうちに氷が割れて船が自由になりました。しかし、氷が割れたあとでゆらゆら浮び漂っている大きな氷塊にぶつかることを恐れて、朝まで停船しました。この時間を利用して、僕は数時間休みました。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
犬橇りって、乗ってみたらどんな感じなのでしょうね。
ちなみにこんなサイトを見つけました。
http://www.koinuno-heya.com/inuzori/
私の勝手な脳内イメージでは、この生き残った犬はグリーンランドドッグが近いかなあ。
こんな感じのヤツですw
https://www.aietours.net/winter/paws.html
破滅の淵に臨んでいる人から、そう問いかけられた時の僕の驚きは、御想像に任せます。その人にとっては、僕の船こそ、その人が陸上で得られるどんな貴重な富とも交換したくなる頼みの綱だったろうに、と、僕は思いました。けれども僕は、北極に向って探検の旅の途上にあるのだと答えました。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
その人はたちまち、深い深い陰欝さに閉ざされた顔つきになって答えました、「僕から逃げて行ったものを探しにですよ。」
「その、あなたの追いかけた人は、あなたと同じような格好で旅行しているのですか。」
「そうです。」
「とすると、わしらは、その人を見たような気がしますよ。あなたをお救いした前の日に、何頭かの犬が人をひとり乗せた大橇を曳いて、氷の上を通っていったのを見かけましたからね。」
ログイン後、コメントできます。
「おっしゃるとおりですよ。こちらがいくら根掘り葉掘り訊きたいからといって、そのことであなたを悩ますのは、じっさい、たいへん無作法で不人情なことですからね。」
「けれどもあなたは、妙な危ない状態から私を救い治してくださった方です。情深いあなたのおかげで私は生きかえったのです。」
ログイン後、コメントできます。
このとき、この見知らぬ人の衰弱した精神状態に、新しい生気がいきいきと波うってきました。甲板に出ることに異常な熱意を示し、前に見えたという橇を見張ろうとしましたが、僕は船室に居るように説きつけました。まだ弱っていて、寒冷な空気には堪えられなかったからです。僕は、その人のために誰かに見張りをさせ、何か新しいものが眼に入りしだいすぐ知らせる、と約束しました。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
何か書きつけておいてよいような新しい出来事があったら、この見知らぬ人に関する僕の日記を、とびとびに続けましよう。
ログイン後、コメントできます。
「 ねえ、マーガレット、大海原で友が見つかるわけはないと、いつかぼくは手紙に書きました。でも見つかったこの人こそ、不幸に心打ちのめされる前に会えていたら、心の兄弟としてぼくは喜んで迎えていたことでしょう。
また何か、この人物について新しく書きとめるべき事柄がありましたら、おりにふれ記録を続けたいと思っています。」
「不幸のためにその精神が押しひしがれてしまわない前だったら」(青空文庫)
「不幸に心打ちのめされる前に会えていたら」(創元)
と、ウォルトンはこの手紙を書いている時点ではこのフランケンシュタインらしき人物に対する評価を保留しているのですね。もっと前に出会えていたら、親友になれたかもしれない、ということは、現時点ではどうかわからない、ということですよね。
これはただ単に彼が憔悴しきっている様子だからなのか、あるいはもしかしたら、この時点でウォルトンは何か不吉なものを予感しているのかも。
例の客人に対する僕の愛情は、日ごとにつのっていきます。この人には、僕も、驚くほど敬服し、また同時に同情せずにおられません。こんなけだかい人間が不幸に引き裂かれているのを、骨の疼くような悲しみを感ぜずに、どうして見ることができるでしょう。それほど心がやさしく、しかも賢く、教養のある心の持ちぬしなのです。そして、話をするときは、そのことばが選りに選った技術で選り出されるのですが、それでも、そのことばは、よどみなく無類の雄弁さをもって流れ出します。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「人ひとりの生死など、それでぼくの求める知識が手に入るなら安いものだ、それで人類の敵たる自然の諸力を支配する力をこの手におさめ、後代に残すことができるとあれば、と。」
このあたり、本書の主題に関わってくると思うのですが、フランス革命後の、産業革命や進化論の時代の西洋では、科学を極めれば人は神にとってかわれるような気になっていたのではないでしょうか。
ここだけ読むと、なんとなく「エベレスト登頂」的な“自然をねじ伏せる”を連想してしまうのですが、物語のその後を考えると……。
最後にこのフレーズがいきてくるのかもしれませんね。
あなたにも想像がつくでしようが、このことばは、僕の好奇心を強く刺戟しました。しかし、衰弱しきったその人は、こういう悲しみの発作に、今にも前にのめりそうになったので、ふたたび平静に返るためには、何時間も休息して静かな会話を交すことか必要でした。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
この人のように、精神的に参っていながら、自然美をそれ以上に深く感じることのできる人はありません。星空や海や、この驚異的な地方の示すあらゆる光景が、この人の魂を地上から引き上げる力をまだまだもっているようにおもわれます。こういう人は二重の存在をもっているもので、不幸に悩み、失意にうちのめされることはあるかもしれませんが、自分の心のなかに沈潜すると、まわりに円光を背負った天の精霊のようになり、その環のなかへは悲しみも愚かさも入りこんでみようとはしません。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
光文社版
姉さんは世間から離れて、書物で勉強し、自分で自分を高めてきたから、好みがうるさいところがあります。でもだからこそ、このすばらしい男の途方もない美点もわかると思うのです。
角川版
姉さんは家庭教師につき、書物に洗練されて、世離れをしてきた人ですから、少々好みの難しいところがあります。ですが、その姉さんだからこそ、この素晴らしき客人の持つひとかたならぬ魅力がお分かりになるはずだと思うのです。
昨日、この見知らぬ人は私に言いました、――
「ウォルトン隊長、あなたには、この私が、大きな、たとえようもない不運に虐まれていることが、すぐおわりになるでしょう。一度は私も、こういう禍の記憶を自分もろとも殺してしまおうと決心しましたが、あなたに負けて、この決心を変えることにしました。あなたも、私がもとそうだったように、知識と智慧を求めていらっしゃるが、その願いの叶うことが、私のばあいのように、あなたに咬みつく毒蛇とならないことを熱心に望むのです。私の災難をお話しすることが、おやくにたつかどうかはわかりません。けれども、あなたが私と同じ通すじを辿り、私をこんなふうにしてしまった同じ危険にさらされておいでになるのをふりかえってみると、私の身の上ばなしからひとつの適切な教訓を汲み取られるだろうと想像するのですよ。
ログイン後、コメントできます。
なるほど、確かに角川版の方がずっと生々しい表現のように感じますねえ。
ちょっと思ったのですが、ここでフランケンシュタインが自らの過去を物語ることが再生につながる、というのは、フランケンシュタインとウォルトンがともに「科学者」であるからのような気がします。
科学って、それ自体が進歩し、発展していくもので、そしてそれが正しいこととされてますよね。
でも他の人文知というのは基本的にそうではないわけです。文学、芸術、宗教、なんでもいいですけど、それらは皆「個人の思考の成果」なんですよね。
たとえば太宰治は「恥ずかしい人生を送ってきました」と「人間失格」を書いたわけですが、あれは多分彼が書きたかったから書いたのか、あるいは書かざるをえなくて書いたものでしょう。
でもここでフランケンシュタイン氏が自らの過去を語るのは、おそらくそのことがウォルトンの人生だけでなく、「科学の発展」とか「人類の進歩」につながるだろう、という思いがあるからのような気がします。
この科学と人文知の違いは、「だから科学ってすごい」とも言える一方で、「え、じゃあ人間はみんな科学の前では奴隷なんですか? 本当にそれでいいの?」ということにつながるような気がします。
……ちょっと話がずれたかもしれません。ごめんなさい。
この先もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
表題の「FRANKENSTEIN, OR THE MODERN PROMETHEUS」が再び脳裏に蘇る箇所でもありますね。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
マーガレットは科学的知性よりもキリスト教的知性を重んずる保守的な人物として設定されているように感じます。その一方でウォルトンは科学的知性が人がより良く生きるためのものとなりうると考えている。
人道主義的な、合理主義的な考え方が人間中心的なものの見方に陥ってしまう=自然を支配すべきものと考える、というのはいかがなものか、という批判を、本書が出る数十年前にカントなんかが展開しています。科学的なものの考え方は確かにある種の真理へとつながるけれども、その科学が導く真理と人間としての倫理や社会としての倫理はまた別のものだよね、と。
乱暴に言えば、カントは「科学的な考え方は有用だけれど、頭のおかしいマッドサイエンティストが出たらどうすんだよ」というような視点から、科学的なものの考え方は認めつつも同時にそれを扱う人間性(人格)の重要さを解いたわけですが、この物語をここまで読んでいる限り、作者はフランケンシュタインをマッドサイエンティスト(=悪人、弱者、欲望を追求する人物)のような、人格として劣った人物として描きたいわけではないようです。
ということは、作者が描こうとしているのは、「いや、マッドサイエンティストでなかったとしても、やはり科学的なものの考え方はどこかで人間にとっての道徳とかそういうものと矛盾してしまうんじゃないだろうか」という話なのかも、と思ったりします。
ログイン後、コメントできます。
ネットで「ジキルとハイドの話はフランケンシュタインが
元になっているんじゃないか」と言う記事をみたことありますが
話の進行にも関わるかな?と、ネタバレはなしで。
ただどちらも「究極」を突き詰めようとした結果だということで
なるほどな~~と納得しきり。
「三大モンスター」としてフランケンシュタインに興味があります。
ドラキュラ・狼男は何となく土地の伝記や昔話と
そこはかとなくつながってそうな印象を受けるのですが
フランケンシュタインだけは「人造」なんですよね。
(まあ突き詰めれば蘇生術やホムンクルスが元ネタなのかもですが)
人の手が入った「歪みの怖さ」みたいなものを感じるんです。
「本当に怖いのは人間」的なアレじゃないけど
ホラー・オカルト・SFの様々な要素を含んだこの物語は
今回みたいにじっくり読めば読むほど、ううむと唸ってしまいます。
私の生れはジュネーヴで、私の家柄はこの共和国でも指折りの一つだ。私の先祖は永年、顧問官や長官だったし、父は、いくつもの公職に就き、名誉と名声を得ていた。父は廉直で倦むところなく公務に励んだために、知っている人全部から尊敬された。ずっと若いころは、たえず国事に没頭してすごしたので、事情がいろいろに変ってそのために早く結婚することができず、晩年になってはじめて人の夫となり一家の父となった。
父の結婚の事情は、父の性格をよくあらわしているので、私はそれをお話しないわけにはいかない。父のいちばん親しい友人のなかにひとりの商人があったが、この人は、はじめはたいへん繁昌していたのに、いろいろと不しあわせがかさなって、貧窮のどん底に落ちてしまった。
ログイン後、コメントできます。
マイセンがあったりしてドイツ=錬金術みたいなイメージがあったのかしらん。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
二人は、イタリアからさらに、ドイツとフランスを訪れた。最初の子である私は、ナポリで生れ、赤ん坊のまま両親の漫遊に伴れられていった。数年間は子どもというのは私ひとりだった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
誰でもエリザベートを愛した。みんな、熱情的な、ほとんど尊敬に近い愛着でもってエリザベートを見たが、自分も同じ眼でそれを見ると、誇りと喜びとを感じた。エリザベートが家へ件れて来られる前の晩に、母が私に冗談を言った、――「ヴィクトルにあげるきれいな贈りものがあるの。――明日になったらあげますよ。」そして翌日になって、母が約束の贈りものとしでエリザベートを私に会わせたとき、私は、子どもらしくまじめに、母のことばを文字どおりに解釈し、エリザベートを私のもの――自分が護り、愛し、かつ大事にすべき私のものと考えた。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
成程なあと思いました。
フランケンシュタイン氏って、改めて読むと
もの凄く恵まれたボンボンなんですね。
生まれた時から家と富があり、
両親の愛があり、更に美しく(多分)愛する女性もいる。
お母さんや従姉妹は苦労も知っているけど
父親にはそれを幸福にするだけの力もあった。
それはもう「無い者」のことなんか想像できないのかもです。
哀愁亭味楽さん
投稿だけでも大変でしょうに、管理お疲れ様です。
お正月はゆっくり休まれてくださいねー。
私は年末ギリまでネットでウロウロしてそうですが
ご挨拶まで。来年もどうぞよろしくです!(≧▽≦)
私も今回この企画で以前読んだときにはまったく考えもしなかったこと(階級とか)を皆さんのご指摘で色々考えています。
来年もまた、たっぷりフランケン話にお付き合いいただければ嬉しいです。
こちらこそ、来年もどうぞよろしくお願いいたします!
私たちはいっしよに育てられた。二人の齢はまる一年と違っていなかった。私たちがどのような仲違いも口争いも知らなかったことは言うまでもない。調和が私たちの友愛の精神であって、性格中の変化や対照はかえっていっそう二人を親しく結びつけるのであった。エリザベートは、もっとおちつきがあり、もっと物事に集中する気性をもっていたが、私のほうは、すべてに熱情をもち、もっと激しい仕事に堪え、もっと深く知識を渇望した。エリザベートは詩人たちの夢のような創造のあとを追うのに忙しく、私たちのスイス風の家を取り巻く厳かな珍らしい風景――山々の荘厳な形、季節の変化、嵐と凪ぎ、冬の沈黙、わがアルプスの夏の活気とざわめき――に、いくら讃歎し歓喜しても尽せない広大な余地があった。
ログイン後、コメントできます。
私と七つ違いの二番目の男の子が生れると、両親は今までの放浪生活を切り上げて、自分の故国に定住した。私たちはジュネーヴに家をもち、市から一里ばかり離れた湖の東岸のベルリーヴに別荘をもったが、たいてい別荘のほうに住んだ。両親の生活はかなり隠遁的なものであった。群衆を避け、少数の者と熱烈な交りを結ぶという私の気質が、こうして生れた。
ログイン後、コメントできます。
ちなみに私
http://www.honzuki.jp/book/224166/
これ↑を積んでるので、そのうち読んでみたいと思います~
ログイン後、コメントできます。
アーサー王はイギリスのお話でしたよね? ロンスヴァルは「ローランの歌」にあるらしいのでフランス系の伝説みたいですけど、一般教養(?)的には欧州圏ではいずれもよく知られていた、という感じなんでしょうかね・・・?
元々は騎士道物語として広く欧州にあったものが、アーサー王伝説としてイギリスを代表する物語に祭り上げられたのは近現代の愛国主義文学の流れだと、なにかで読んだことがあるような……かすかな記憶で、出典など定かではないのですが。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%93%B2%E5%AD%A6
今の私たちの感覚では「科学」「宗教」「哲学」はそれぞれ別のもの、という感じがしますが、そうなったのは20世紀に入ってからのようで、この作品が描かれた時代ではそれらは一括りにする方が一般的だったのかもしれませんね。ガリレオ・ガリレイとか、実は特殊なケースだったのかも。
本当にじっくり考えるとなると、科学史とか科学哲学の話になりそうで、それもなかなか大変そうだな・・・と、ちょっと二の足を踏んでしまうのですが(^^;)。
もしも父が、こんなことを言うかわりに、アグリッパの原理はすっかり陳腐になっていて、今では、古いものよりずっと大きな力のある近代的な科学体系が採り入れられている、というのは、昔の科学の力がふわふわして捉えどころがないのに対して、近代のは真理にかなっていて実際的であるからだ、ということを説明するだけの労を取ってくれたとしたら、ああいう事情のもとにあったのだから、私はきっとアグリッパをわきへ投げ棄て、もっともっと熱心に前からの研究に戻って、私の想像力を昂奮したままで満足させたことだろう。
ログイン後、コメントできます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91
パラケルスス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B9
アルベルトゥス・マグヌス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8C%E3%82%B9
家に帰ってからの私の最初の用事は、この著者の全著作と、そのあとでパラケルスス(一四九三―一五四一、スイスの医師、化学者)とアルベルツス・マグヌス(一二〇六―八〇、トマスの師、ケルン大学に教えた科学的な博学者)の著作を買い求めることであった。私は大喜びで、これらの著者の放恣な空想を読み、かつ研究したが、そういうものは、私以外の人のほとんど知らない宝のような気がした。私は自分を、自然の秘密を洞察しようという激しい憧憬にいつも浸っている者だと称した。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
実はニュートンって、神秘主義的な側面を強く持っていた人なんですよね。
世界には様々な物理法則があるけれども、そのさらに奥には、それらの諸現象を安定させている神の力がある、っていうのが、むしろニュートンの考えだったわけです。
ところが、ニュートンのあとを継いでいる人たち=ニュートン以降の物理学者達の間では、ニュートンが成し遂げた彼の力学を応用すれば、この世界の諸現象のすべてを解明できるよね、世界を支配しているのは神ではなく物理法則だよね、という考え方の方が一般化していきます。
そう考えると、実はニュートンの研究を自分たちに都合の良い部分だけ拝借しているのは、当時(あるいは今も?)の物理学者たちだったのかもしれない。
だから「あいつら何も分かってねー」というヴィクトルの考えは、あながち間違いでもないような気もするんです。「本当に大切なのは物理法則の奥にある神の法則でしょ」と。
まあ、これはこれで誇大妄想的なヤバい考え方なわけで、この先ヴィクトルはヤバい方向に進んじゃっていきそうなわけですが、でも一方で私は「この世界はすべて物理法則で説明できるはずだよ。神なんていないの」という考え方も科学者の誇大妄想だと思うんですよねえ。
うーん、この辺は、難しいところですよねえ。
物理化学だけで全てが解明されると思っている研究者達をヴィクトルは幼稚だと思ったわけですね…。
しかし、その奥にヴィクトルが見ているのは人智を超えた神の存在ではなさそうな…。ニュートンの謙虚さと逆にヴィクトルには若さゆえの傲慢さと緻密ではな
くて神秘主義的書物を乱読して研究したと思っている様な感じを受けます。
ログイン後、コメントできます。
物語も、みなさんのコメントも、とても興味深く、これから先がますます楽しみです!
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9%E5%B1%B1%E8%84%88
スイスとフランスの国境です。
ベルリーヴは、「美しい岸辺」を意味する地名で、レマン湖畔にあったみたいです。
http://knarf.english.upenn.edu/Gifs/lkgncpbl.html
ログイン後、コメントできます。
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/timeline.htm
メアリー・シェリーがこの物語を出したのが1818年ですから
世はまさに電気文明開化時代だったでしょうね。
ルイージ・カルヴァーニの従兄弟のジョバンニ・アルディーニというのが
ちょっとしたマッドサイエンティストだったようです。
電流を流す事で遺体が反応することから
公開実験(ちょっと見世物のようなレベルっぽい)をしていたとか。
本人は蘇生術研究のつもりだったようです。
↑が1803年前後の話だそうで。
創元推理文庫の解説(新藤純子)によると、
「この文庫の翻訳の底本には1831年の決定版(第3版)が使われたが、初版(1818)では、落雷のあとに主人公の父がタコの実験をしてみせる部分があって、フランクリンのタコを意識したことがうかがわれる。」
そうです。
ログイン後、コメントできます。
「自称」の訳語に載ってました。
あえて「fake」とまで言わないとこに意味があるのかなー。
シェリーの時代だと、それより前なんじゃないかと思います。
*う゛ー、やっぱ科学史を一度おさらいせねばならんかな・・(--;)
ログイン後、コメントできます。
守護天使が、フランケンシュタインを「何」から引き離そうとしているのか、ちょっと考え所かな。
「続けてやれば禍を、またそれに無頓着になれば幸福を」というのは、探究そのものというよりも、科学になり損なった学問(呪術的なもの、錬金術的なもの)のことを指しているように読めます。
数学を追究している分には幸せ、だった、のかな。
*「私たち」というのは、「人」ってそんなもんだよね、くらいの軽い意味で使っている、ような感じもします。でも、一般化しすぎな感じは受けますけどw
物語的にはここで一旦正しい道に足を踏み留めたように見えるヴィクトルですが……果たして? みたいな感じですね。
ヴィクトル、この先また足を踏み外してしまうんですもんねえ。そうしてそこから本当の悲劇が始まるわけで。
考えようによっては、ヴィクトルがただ単に呪術や錬金術にのめり込んだオカルト野郎でしたってことなら、ある意味この物語には救いがあるのかもしれない。
ログイン後、コメントできます。
紹介を見てきました。すでに登場しているあの人この人。
いまさら、ですみませんが、これ、すごいく衝撃的じゃないですか。
密かにツボりました。ブホォ。
私が十七歳になると、両親は私をインゴルシュタット(南ドイツにあり、むかしバイエルン侯国に属した――訳註)の大学に入れることに決めた。それまでジュネーヴの学校に通っていたが、父は私の教育をしあげるために、私が母国の慣習よりも他国のそれに親しんでおくことが必要だと考えたのだ。だから、私の出発はずっと前から決まっていたが、その日が来る前に、私の生涯に起った最初の不運、いわば私の将来の不幸の前兆が来てしまった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
だけど、こういう状況で、お母さんに将来のことを頼まれて、まさか嫌だなんて言えませんよね。なんかずるいなあ、って、もうしつこくてすみません。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
でもエリザベートはむしろヴィクトルの研究とかにはあまり興味がなくて、この先のヴィクトルの暮らし、生活のことを心配した。手紙をくれるように念押ししたのも、彼がこれからするであろう暮らしぶりが心配だからなのでは。なんか、それが「女らしい心づかい」なんじゃないかなと私は思います~。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ウスを騙して内臓をついばまれるのは知っていましたが、そもそも粘土をこねて神を崇拝する存在としての「人間を作った」のがプロメテウスだったのですね!
神に似せた人間を作り出したプロメテウス…。
http://www.greek-mythology.info/prometheus.php
上手くページが貼り付けられずスミマセン(^^;;
そうそう。副題が近代的プロメテウス問題は結構気になるポイントですよねえ。
ログイン後、コメントできます。
いらっしゃいませ~!ご参加ありがとうございます!! 難しい話から
ちょっとしたツッコミまで大歓迎です~。またどしどしコメントいただけると嬉しいです。よろしくお願いします!
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
光文社訳
「やや哲学的過ぎて、またあまりに一貫し過ぎていたかもしれませんが、わたしが、子供時代に科学についてどのような結論に到達していたかについては、すでにお話ししたとおりです。わたしは、近代の自然科学の研究者が下していた結論には満足していませんでした。」
角川訳
「もしかしたらいささか哲学的かつ強情すぎるかもしれませんが、少年時代に科学に対してどのような考えに至っていたのかは、先にお話ししましたとおり。近代自然科学の教授たちが支持するような結論の数々では、私は満足などできなかったのです。」
「いささか哲学的で筋が通りすぎていたかとも思いますが、わたしが少年時代、科学についてどういう結論に達したかは、前にお話ししたとおりです。子供のわたしは、現代の自然科学教授たちが約束するような成果には満足できなかったのです。」
ログイン後、コメントできます。
「キマイラ」というのはもともとはギリシャ神話に出てくる幻想の怪獣で、ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A9
以下wikipediaより抜粋
中世のキリスト教寓意譚では、主に「淫欲」や「悪魔」といった意味付けを持って描かれた。12世紀の詩人マルボートによれば、様々な生物の要素を併せ持つ事から女性を表すとされている。この他、ライオンの部分を「恋愛における相手への強い衝動」、山羊の部分を「速やかな恋の成就」、蛇の部分を「失望や悔恨」をそれぞれ表すとされたり、その奇妙な姿から「理解できない夢」の象徴とされた。一般には、怪物の総称や妄想、空想を表わす普通名詞ともなっている。
・・・が、シェリーの時代だと、一般に荒唐無稽な感じの妄想を指したものでしょうかね。
この下の103の「不老不死の薬は妄想だ」の妄想もchimeraの語が使用されています。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
すびばせん、脱線ですw
「クレンペ教授はずんぐりした小男で、どら声に顔つきもいやらしく」
ヴァルトマン教授は「背は低いがきりっと真っすぐに立ち、声は聞いたこともないほどこころよいものでした。」
人は語られた内容よりも言語以外の情報、とくに話し方によって話の真偽を判断し勝ち。第一印象の好悪と、小馬鹿にせず学生の話を聴いてくれる謙虚さがあるかどうか。2人の両極端の教授に会ったことで、他の選択肢は考えず、一生の師を決めてしまったのですね。
ログイン後、コメントできます。
光文社訳では「天の雷を統御し、地震を人工的に起こし」
角川訳では「空に雷(いかづち)を呼ぶことも、地に地震を模倣してみせることも」となっていました。
*(いかづち)はふりがなです。
ログイン後、コメントできます。
So much has been done, exclaimed the soul of Frankenstein, -- more, far more, will I achieve: treading in the steps already marked, I will pioneer a new way, explore unknown powers, and unfold to the world the deepest mysteries of creation.
「してきたことはこれだけ」というと、これまでのことを軽く見ているように思えますが、ここはむしろ「これだけのことがなされたのだ」、「けれども」私、フランケンシュタインはさらに多くのことを成し遂げるぞ、という高揚した決意宣言だと思います。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「古くさいもの=すべて間違い、新時代の新知識=正しい≒科学的」というのがクレンペ先生、「人が顧みないものの中にも真実が潜むかもしれない」というのがヴァルトマン先生、という感じでしょうかね。
フランケンシュタインは、ここまでのところ、純粋で勤勉かもしれないけど、直観に左右される傾向がある青年のように思えます。「直観」というのも結構アブないもんじゃないか、と個人的には思ってますw
*以下は脱線です。
STAPに関しては、いろいろ思うことに整理がつききらず状態のままなのですが。「ある」か「ない」かで言えば、「ある」のかもしれないですが、可能性はかなり低いと思います。
少なくとも、当初言われていた手法で、当初言われていた効率で得られるものではなく、そうであるならば「ある・なし」を追求することにあまり意味は感じられないです、個人的には。極端に言えば、今あるものを超える大きな長所はないということですから。
それよりも、この件が何でこんなに大騒ぎになってしまったのかは考えるべきなのだろうと思っているのですが、ちょっと解きほぐすのが大変そうですねぇ・・・。
こうして、私にとって記念すべき日は終った。それは、私の来るべき運命を決定したのだ。
ログイン後、コメントできます。
本日はここまで。
明日また、続きから読みすすめます。
物語自体はもちろん、みなさんのコメントも、面白い!
やー、まだまだ先は長いので、のんびりどうぞ!
この日から、自然科学が、また特に、もっとも広い意味においての化学が、私のほとんどただ一つの仕事となった。私は、近代の研究者たちがこれらのものについて書いた、才能と眼識にみちた著作を熱心に読んだ。大学の科学者たちの講義を聴き、その人たちに知己を求めた。クレンペ氏さえ、なるほどいやな人相や態度がつきまとってはいるが、だからといってそれだけ値うちがないわけでなく、どうしてなかなか堅実な意識と現実的な知見をもっているのがわかった。ヴァルトマン氏とはほんとうの友人になった。教授の温厚さには独断の臭みがなく、その講義は、あけっぱなしで、人の好さがあらわれ、どんな衒学的な考え方もしなかった。教授は数えきれない方法で私のために知識の道を歩きやすくしてくれ、どんな難解な研究も、はっきりと平易に理解させてくれた。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ハンテリアン博物館の解説にありますが、「これらの標本の中に、彼は何を見出したのでしょう」ね。
現代であれば間違いなく動物愛護団体に猛批判を食らう研究です。
ドリトル先生とジキルハイド両方のモデル!もはやフランケンシュタインよりも興味深く感じてしまう実在の人物(笑)
ログイン後、コメントできます。
考えてみれば具体的にどういう手順を踏んだら生命の秘密がわかった、とは書けないですよね。そか、この辺はぼかしてあるんですね。
・・・や、この先でもう少し具体的に明かされるのか・・?
電気が何か大きな役割を果たす?w
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
レイン版やバートン版が出てくるのはまだちょっと先、という感じですね。
http://www.honzuki.jp/book/175773/review/112128/
シンドバッドは元々アラビアンナイトには含まれていなかったようなのですが、ガランが紹介してうわっと広まったみたいです。
ガラン版の脚色の特徴は子ども向けでお色気成分薄めであることのようですw シェリーも幼少時に読んでいたのかもしれません。
てか、「あのアラビア人」(the Arabian who had been buried with the dead, and found a passage to life, aided only by one glimmering, and seemingly ineffectual, light)で通じるというのが何か教養人の暗黙の了解だったんですかね・・?
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
もしそれを知ってしまったら「破滅と避けられぬ不幸へ」(角川訳)まっしぐららしいですよ~(><)
ログイン後、コメントできます。
「フランケンシュタイン
あるいは現代のプロメテウス」
という題名のページがあり、その裏に、このエピグラフも訳されています。
土くれからわたしを、創り主よ、人の姿に創ってくれと
わたしがあなたに求めたろうか? 暗黒より
起こしてくれと、あなたにお願いいしただろうか?-
『失楽園』第十巻743-5行
『政治的正義』『ケイレブ・ウィリアムズ』等の著者
ウィリアム・ゴドウィンに
つつしんでこの本を
著者より捧げる
となっています。
ログイン後、コメントできます。
ちなみに光文社訳では
「成功をめざして心がはやる日々を送り始めると、胸の内にはまるで暴風雨のようにさまざまな感情が渦巻きました。……(中略)……そうすれば新たに生まれた種は、創造主であるわたしを寿(ことは)ぐでしょうし、数多(あまた)の幸福にして優れたものたちが感謝の気持ちを抱くはずです。」
角川版では
「成功への情熱にまみれた私をさならがハリケーンのように巻き込み、突き動かしたあの数多(あまた)の感情は、決して誰にも理解などできますまい。…(中略)……新たに創造されし者たちは、きっと私を創造主、源として賛美し、幸福にして優れた数多の者たちがその命あることを私に感謝するのだ。」
私これまで、まさかフランケンシュタインが自ら「神」になろうとしているとは思っていなかったので衝撃を受けております……。
今なら台風かもしくはそのままハリケーンの語を当てるところでしょうかね。
(あ、すみません、書いてから、かもめ姐さんのコメントに気が付きました。ま、いいかw)
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「それはじつはつかのまの恍惚状態にすぎなくて、のちに不自然な刺激の作用がやみ、昔の習慣にかえったとたんに、新たに研ぎすまされた感覚になってよみがえってきたのですが。」
このあと、ほんとに怪物が生まれて・・・きっとフランケンシュタイン自身思いもしなかった恐ろしいことが起こって・・・
でも、一人で怪物を追いかけて(?)北極まで来て、こうして語っているんですね。
まだ何も起こっていないのに先走ってしまいますけれど、彼、最後はどうなるんだろう、と気になります。
好きな登場人物が一人も出てこない!と思っていたんだけれど、彼、とっても気になります。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
自分は悪徳やあやまちで家族との連絡を怠っていたわけではないと当時の自分は思っていたけれど、父がそう言ったのも今となっては分かる、って感じでしょうか。
「当時のわたしは、便りがないのを父がわたしの不徳や落度のせいにするとしたら、それは不当だと思ったものですが、今でははっきり、完全に無罪とは思ってもらえなくともしかたがなかったのだと感じています。完成した人間は、いつも穏やかで平和な心を持たねばならず、激情やつかのまの欲望に平安を乱されるようなことは、けっしてあってはならないのです。知識の追求とて、この法則の例外とは思いません。もしあなたのなさる研究に、愛情を弱め、どんな不純物もまじりえない素朴な楽しみを味わう力をそこなうきらいがあるようなら、それは、その研究が不法なもの、つまり人間の精神に不相応なものと見て間違いない。」
ログイン後、コメントできます。
他者の犠牲や迷惑も顧みず自分中心にどこまでも突っ走ってかまわないとする生き方、VS、人としてそれをやっちゃあおしまいよという美学とか倫理とか良心の声みたいな歯止めには従う生き方、の対立でしょうか。
家族を顧みず研究に没頭する学者や、冒険家などは昔からいたと思いますが、ヴィクター君はそれだけでなく、家族に自信を持って言えないような研究を隠れてしていた、それはやってはいけないことだとどこかで思っていたからで、人間としてそんなものに手を出してはいけなかったんだ、と思ってるのではないかなあ。
吹っ切れれば115のコメントで触れたハンターやフラゴナールになっていてた可能性もあったところでしょうから。
踏み越えてはいけない一線があるという考え方を抱いたのが、神への畏れなのか幼少時の温かな記憶なのか、なかなか難しいところですけれども。
フランケンシュタインの父が常識人であり、彼がその父を愛していたことは大きいようにも思います。
一線を越えることに対する怖れ自体は、著者シェリー自身の思いでもあり、時代の空気でもあった、のかもしれません。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
また来週~
ログイン後、コメントできます。
今週読んだ関連本ですw
「エネルギーの科学史」
http://www.honzuki.jp/book/202423/review/167736/
エネルギーから時代の雰囲気が見えてくる感じもあり、なかなかおもしろいです。図書館等にあるようでしたら、第2章だけでも読むと参加の皆様には楽しめるかなと思います。
「現代のプロメテウス」が何を指しているかの示唆もあります。このあたりは実際「彼」が誕生してから(来週以降?w)の方がネタバレにならないかもしれません。
十一月のあるものさびしい夜に、私は、自分の労作の完成を見た。ほとんど苦悶に近い不安を感じながら、足もとによこたわる生命のないものに存在の火花を点ずるために、身のまわりに、生命の器具類を集めた。もう午前の一時で、雨が陰気に窓ガラスをぽとぽと打ち、蝋燭はほとんど燃え尽きていたが、そのとき、冷えかけた薄暗い光で、その造られたものの鈍い黄いろの眼が開くのが見えた。それは荒々しく呼吸し、手足をひきつるように動かした。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
怪物まだかまだか、と期待しすぎたせいでしょうか、ちょっと肩すかし?
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
その夜を私は、みじめな気もちで過こした。ときどき脈搏が早く激しくなり、その鼓動が動脈の一本一本に感じられた。また、そうかとおもうと、体がだるく、極端に弱りきって、今にも地べたにくずおれそうになった。この恐怖にまじえて、私は、失望の苦渋をなめた。すなわち、あんなに長いあいだ私の食糧であり快い休息であった夢が、今では、私にとって地獄となったわけで、それほど急速に変り、それほど完全にひっくりかえったのだ!
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
死体を寄せ集めたかもしれないけど、今は生きてるんだから何か栄養つけてあげないとー。生まれたばっかりなのにかわいそう・・・。
怖れおののきながらさびしい道を
歩む者のように、一度は後を
振り向いて、歩みつづけ、
二度とはもう振り返らない。
彼は知っているからだ、その後に
怖ろしい悪鬼が迫っているのを。
――コールリッジ「老水夫行」――
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「とても達者だよ。そして幸福だよ。ただ、君がめったに手紙をよこさないのかちょっと気がかりのようだったね。その話については、おいおい君に、ちっとばかり小言をいうつもりだ。――それはそうとフランケンシュタイン」と言いさし、私の顔をつくづく眺めて続けた、「今まで言わなかったが、君はたいへんかげんがわるそうに見えるよ。ひどく痩せてるし、顔色がよくない。まるで幾晩も眠らなかったように見えるぜ。」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
そ、そうか、誕生シーンはあっさりなんですね。
先週、思わせぶりなことを書いてしまったので、一応ネタばらしをしておきますね。
前出「エネルギーの科学史」http://www.honzuki.jp/book/202423/review/167736/で示唆されていた「怪物」の「生命の源」は電気です。このあたり、「現代のプロメテウス」の副題とも絡むのですが、創元推理文庫版の解説者、新藤純子さんはここでの「プロメテウスの火」に当たるのが、「電気である」と指摘しているそうです。また、同じ創元推理文庫版には著者シェリー自身の前書き(初版にはなく、最終版に収録されていたものです)もあります。その中で著者が、バイロン卿とシェリー(夫)の会話を聞きながら、ガルバーニ電流を使って屍をよみがえらせることができるだろう、生物の構成部分を組み立てて生命の熱を吹き込むこともできるだろう、と思ったと書かれています。
つまり、電気という新たな「不滅の」エネルギーを使い、生命の秘密に迫ることができるという期待、それと同時にそれを上回る畏れを、シェリーや同時代の人々はおそらく、感じていたのではないかと思います。
(実際のところ、「ガルバーニ電流」でカエルの脚が動いたのは、カエルが生き返ったために動いたわけではなく、電気の通り道になっただけなのですが、実際に目にすると驚くべきことであっただろうとは思います)
新しいものに対する期待と畏怖。このあたり、この物語のポイントの1つであろうかなと思います。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「何も訊かないで――」あの怖ろしい化けものが部屋に滑りこむのを見たような気がして、両手で眼を覆いながら私は叫んだ。「あいつに訊けやわかるよ。――おお、助けて! 助けて!」私は、怪物が自分をつかまえたと思いこみ、荒れ狂ってもがき、発作を起して倒れてしまった。
きのどくなのはクレルヴァルで、どんな思いがしたことやら。あれほど喜んで待っていた会合が、へんなぐあいに、こういうひどいことになったのだ。といって、その悲しみを、私はこの眼で見たわけではない。というのは、私は死んだも同然になって、長いあいだ正気にかえらなかったからだ。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「君がくよくよしないで、できるだけ早くよくなってくれれば、それですっかり償いがつくというものさ。ところで、そんなに元気になったようだから、君に一つ話したいことがあるのだが。」
私は慄えた。一つ話したいことだって! それはなんだろう。私があえて考えもしないでいることを言いだすつもりだろうか。
ログイン後、コメントできます。
でも、アナキストの娘で、17で既婚者のシェリーと駆け落ちしてヨーロッパ旅行中、これを書き始めた頃はまだ10代だったことを考えると、200年は先を行ってる翔んでる女性。
女性は2世紀かけて、ようやくメアリーに追いついてきているようだけど、男性諸君はこの200年で果たして変わられたのかしら?
核開発でも生命操作でも、結局おたくらヴィクトルと同じやないか(何故に関西弁?)、という大きな疑いが浮かんでならないのですが・・・
「話というのはそれだけなの、アンリ? 僕はまずまっさきに、僕の愛する、そしてその愛情に応えてくれる、なつかしい人たちに思いを馳せているのに、それが君にはわからなかったのだね。」
「君がそういう気もちでいるのだったら、ね、四、五日もここにある君あての手紙を見たら、たぶん喜ぶだろうよ。君の従妹からだよ、それはきっと。」
ログイン後、コメントできます。
しかしこれまでのところフランケンシュタインには全く同情の余地はないような……っていうか、勝手に生み出しておいて放置されたあげく、いなくなってホッとしたなんて、怪物があまりに気の毒な気がしています。
この先、この気持ちが変わるのかどうか……。
私はぽんきちさんが心配されるので、最近怪物は何を食べるのかが気になって仕方ありません。
クレルヴァルはそこで、つぎの手紙を私に手渡した。それは私のエリザベートから来たものであった。――
「なつかしいヴィクトル――かげんがずいぶんおわるかったのですね。親切なアンリからはしじゅうお手紙をいただきますが、それでもどんなふうなのか安心しきれないのです。あなたは書くこと――ペンを取ることを、禁止されていらっしゃいますのね。だけど、ねえヴィクトル、私たちの不安をなだめるために、あなたの手で一筆書いてよこしてくださいませんか。長いこと私は、今度の便こそそれが来るだろうと考えて、伯父さまがインゴルシュタットへおいでになることをやっきとなってお留めしました。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
まずは角川版
「長旅でご不便したり危ない目に遭われたりしたら大変なのでお止めしたのですが、私自身がいけずに悔しい思いをすることも、一度や二度ではなかったのですから!もし従兄さまの看病が雇われの老看護婦なんかに任されていたら、きっと従兄さまがしてほしいことなんて分かってもらえないでしょうし、分かってもらえたとしても、従妹の私ほど優しく愛情を込めてなんてくれないに決まっています。」
つづいて光文社版
「長旅で不便な思いをしたり、ひょっとすると危険な目に遭うかもしれないとお引き止めしてきたのですが、それならなぜわたしは行けないのかと悔しい思いをしたことも、一度や二度ではありません。病床で看護しているのが、お金で雇われたおばあさんだったとしたら、お従兄様がして欲しいことがわからず、従妹のわたしほどの優しい心配りをしてもらえないのではと、つい思ってしまうのです。」
「そんな長旅で不便な思いや、ひょっとして危険な目にお遭いになってはいけないので、おひき止めしましたけど、でもわたし、自分で行けなくて口惜しいといくたび思ったことでしょう!想像してしまうのですもの。病床のあなたにつき添うお仕事が、お金で働くどこかのお婆さんの看護人にまかされていたらどうしよう。してほしいこともわかってくれず、ご用を足すにも、ふつつかな従妹ほどにも優しい心くばりをしてくれないにちがいない、と。」
ログイン後、コメントできます。
アルムおんじは、もとは農場の長男だったけど、ばくちやお酒で身を持ち崩し、兵隊になってナポリにいっていたらしいです。戦争ではなく、ケンカで人を殺して、そのせいもあってナポリから脱走したらしいです。
「傭兵」とは書いてないけど、そういうことなのかな・・?
今、図書館本がどわっときてしまったので不確実ですが、余裕があったら「ハイジ」、読み直そうかなと思いますw
それはそれとして、スイスの歴史というのもおもしろそう。
てか、私、何でイギリス人のシェリーがスイス人が主役の物語を書いているのか、いまいちわかっていないんですけどw この頃、結婚を許されずにパーシーとヨーロッパ旅行していたから?なのかな?
あと、この登場人物たちは、何語で会話してる設定なんだろうというのがずっと不思議ですw
ちょうど怪物とおんじ、同い年くらいでは(笑)
スイスが舞台であることにも意味があったらすごいな!
スイスって公用語4つあるんですよね。
ひょっとしていろんな国と言語が飛び交うという意味で
メアリーシェリーが便利に使ったのかなとも考えたり。
ハイジ、私も読み返したくなってきたなー。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
エリザベート・ラヴェンザ
ジュネーヴ、一七××年三月十八日」
ログイン後、コメントできます。
パンドラの箱を開けてしまったのに、知らん振りしているヴィクトルくん、出てった奴のこと、気にならないの?目の前からいなくなればそれでいいの?そういうことができるくらい頭がいいんだったら、そのままで済むはずがないとわかっているよね?
母親としては、自分の息子だけはそういう男ではないと思いたいところ。でも、人間っていざとなると卑怯者。自分でも気づかずに同じようなことしてないかとか、気になってきちゃいました。
先週のコメントみて、怪物を作ったのが女性だったら、
少しは違う何かが起こったのかなぁと考えたりしました。
でも今回の手紙で長々とジュスチーヌの身の上話が出たのは
必ずしも子が愛を得られるわけではないという
隠喩でもあるのかなあとも。
どちらにしろ生まれた者に責任はないんですよね。
フランケンシュタインはどこでそこに気付くのでしょうか。
うーん、改めて面白いなーこの話。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
それこそ、アラビアンナイトとかなのかな・・?
ゲーテの「西東詩集」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%B1%E8%A9%A9%E9%9B%86
14世紀のイランの詩人ハーフェズ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%BA
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ある日曜日の午後に大学に帰ったが、ちょうど百姓たちが踊っているところで、私たちの出会った人はみな楽しく幸福そうに見えた。私自身も元気いっぱいで、抑えきれない歓びと上機嫌の感情をもって踊りまわった。
ログイン後、コメントできます。
「自然科学嫌いになっちゃったー」と、自分の生み出したもののことまですっこーんと忘れてしまえるのでしょうか。
それとも、忘れたふりをしているのか、忘れようとしているのか・・・
美しい五月の描写も、そう思うと、なにやら不気味で・・・来週を待とうと思います。
今週もありがとうございました。
いま、気が付きました。この掲示板のタイトルに、「前編」という言葉が入ったんですね^^
私はどうにもフランケンシュタイン青年に好感が持てないなあ。
これから印象がかわるのかしらん?
帰ってみると、父からつぎのような手紙が来ていた、――
「わたしの大事なヴィクトル、――おまえはたぶん、こちらへ帰る日取りを決める手紙を待ちこがれていたこととおもう。わたしも最初は、ほんの二、三行書いて、おまえに帰ってもらいたい日を言ってやるだけにするつもりでした。しかし、それも無慈悲なのて、そうもできかねました。おまえは幸福な嬉しい歓迎を期待しているのに、それに反して涙とみじめな状態を見たとしたら、おまえの驚きはどうでしょう。ああ、どうしてわれわれの不しあわせを語ることができよう。家に居なかったからといって、おまえがわれわれの喜びや悲しみに対して冷淡になっているわけはない。だから、長いこと家を留守にしてる息子にどうして苦痛を与えることができよう。不吉な知らせに対して覚悟しておいてもらいたかったのだが、それもできかねることははっきりしている。
ログイン後、コメントできます。
「ウィリアムが死んだのだ! ――あの笑顔でわたしの心を明るくし、暖かくした、あんなにおとなしくて、しかもあんなに快活だった、あのかわいらしい子が! ヴィクトル、あの子は殺されたのだよ!
「私はおまえを慰めようとはしない。ただ事態を述べるにとどめよう。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
アルフォンス・フランケンシュタイン
ジュネーヴ、一七××年五月十二日」
ログイン後、コメントできます。
「君、フランケンシュタイン、」とアンリは、私がさめざめと泣いているのに気がついて叫んだ、「君はしじゅう不幸な目に会うんだね。ね、君、どうしたんだ?」
私は身ぶりで手紙を読んでくれとあいずしながら、興奮のあまり、部屋のなかをあちこち歩きまわった。手紙を読んで私の不運を知ると、アンリの眼からも涙が流れた。
ログイン後、コメントできます。
「すぐジュネーヴへ帰る。だから、いっしょにそこまで行って馬を頼んでほしいんだ。」
歩きながらもクレルヴァルは、慰めのことばを少しでも言おうと努力したが、真心のこもった同情を表わすことしかできなかった。
ログイン後、コメントできます。
アンリのいい男ぶりがこれで伝わるかどうかはわかりませんが、彼のセリフを拾ってきたので紹介させて下さい!ww
「おいおい、フランケンシュタイン」
「君は不幸になる定めだとでもいうのかい?いったい何があったのか、僕にも話してくれよ」
「こんなにつらいことがあるものか、僕にはどんな慰めもできやしない。君はこれからどうするつもりだ?」
「ウィリアム、なんと可哀想に!愛らしいあの子が、天使となったお母さんと一緒に眠っているだなんて!あの子の幼き美しさが見せた輝きと歓びを知る者なら、この早すぎる死を嘆かずになどいられるものか!殺人鬼の手にかかり、こうもむごい死を遂げてしまうだなんて!そうとも、あんなにも無垢な子を手にかけられるなど、殺人鬼以外の何者でもありはしない!可哀想に!僕らの慰めはただひとつ、親しき人びとがいくら嘆き悲しもうと、あの子が安らかなる眠りの内にいることだ。あの子の苦しみが絶え、永遠の安息を過ごしているということだ。あの優しき姿はもう芝土に覆われ、痛みを知ることもない。憐れむことはもうよそう。そして憐れみは、後に残された哀れな人びとのために取っておくのだ」
そっち系の翻訳がいっぱい出てきたら面白いなあと思ったら、特にそんなことはありませんでした。残念。
ログイン後、コメントできます。
現代では航空路もあるようですが、車で6時間、列車で8時間とか。
フランケンシュタイン君は馬車で移動していますが、怪物君が家族の側に行っているのなら、一体どうやって移動したのか、それも偶然なのか意図的なのか、気になります。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
道路は湖畔を通っていて、私のふるさとの町に近づくにつれて狭くなった。ジュラ山脈の黒いほうの側と、モン・ブランの輝かしい頂上が、いよいよはっきりと見えてきた。私は、子どものように泣いた。「なつかしい山よ! 私の美しい潮よ! おまえたちはこの放浪者を歓迎してくれるのか。山の頂は晴れ、空と湖は青く澄んでいる。これは平和を予言するのか、それとも私の不しあわせをあざわらっているのか。」
ログイン後、コメントできます。
このお話が生まれる元になったバイロン卿の別荘(ディオダディ荘)があったのがジュネーブ郊外のレマン湖畔なので、おなじみの場所だったということですかね。
場面的には重苦しいところですが、情景描写は対照的に美しいです。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
創元では「ああ!わたしの予感は当たっていました。ただひとつだけ、見落としていたことがあった。幾多の不幸を思いえがき、恐れたなかで、自分がしのばねばならぬ苦痛がどれほどのものであるか、その百分の一すらも、わたしは思いおよばなかったのです。」となっています。
I prophesied truly, and failed only in one single circumstance, that in all the misery I imagined and dreaded, I did not conceive the hundredth part of the anguish I was destined to endure.
なので、百分の一が正しいと思います。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
その時まで忘れようと考えていた出来事が、つぎつぎと心に浮んだ。すなわち、生きものをつくるまでの自分の進歩の全系列、自分の手でつくったものが私のそばに現われたこと、それが立ち去ったことなどが。あいつがはじめて生を享けてからも二年近く経っているが、それがあいつの最初の犯罪だったのであろうか。ああ、私は、虐殺や惨劇を喜びとする邪悪なやつを、世の中に野放しにしてしまったのだろうか。そいつが弟を殺したのではなかろうか。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「わたしが人類のなかに放りだしてしまった生き物、わたしがあたえた意志と力で、今げんにおこなったような、恐ろしい行為をやってのけることのできるあいつ。それはまるで、墓より放たれ、わたしの大事な人々を皆殺しにすることを強いられた、わたし自身の吸血鬼、わたし自身の霊のようなものにわたしには思われました。」
ログイン後、コメントできます。
「もしこの話を家族がうまく信じてくれたとしても、あのけだものは底知れぬ本能で、あらゆる追跡の手をかわしてしまうに決まっています。ならば、追っ手を向けたところで意味などありましょうか?」
光文社古典新訳文庫では
「家族を説得して追いかけたとしても、あの不思議な生き物は、追求をかわして逃げてしまうかもしれません。そうなれば、追いかけたところでどんな意味があるのでしょうか?」
となっています。
しかし、「ヴィクトルお前は!!」って、だんだん腹が立ってきました。
「それだけじゃない、よしんば親類縁者が信じてくれて追跡開始にこぎつけたとしても、あの生き物の不思議な性質はどんな追跡もかわしてしまうだろう。だったら追いかけて何になる?」
どうせ与党が勝っちゃうだろうから投票には行かない、ってそれ与党を応援してるのと同じだから。
ログイン後、コメントできます。
連続ドラマのように楽しみにしています。
自分で何かを創ったというより、自分の内なる悪魔、封じ込められていた悪鬼みたいなものに取りつかれ唆されて、そいつを解放してしまった感じですね。
解放した瞬間に、やってしまったと思った(それすら思ってない?)けど、直視するにはあまりに強すぎ(邪悪すぎ?怖すぎ?)て、相手をしっかりとまともに見てさえいない。
相変わらず「三大モンスター」の1つとして読んでいるのですが
ドラキュラ・狼男そしてフランケンシュタイン(怪物)が
後世まで愛されているのは、ただホラーというのではなく
モンスターたちが悲劇と描きやすい要素を
兼ね備えているからだろうな、と思ったり。
ドラキュラは悲恋と美貌、狼男は人外という孤独とアクション的要素、
そして怪物は「何者でもない」ことが悲劇とホラーに。
ホラー部分がゾンビに取って代わられてしまい、
フランケンは不思議と現代映画にあまりならないんですよね。
その意味でもぽんきちさんの「ゾンビ」的存在という指摘は納得デス。
元が知人でもゾンビになった途端に駆除対象になるような
ヴィクトルの今の心境はそんなカンジなのかもですな。
怪物とヴィクトルの邂逅がめっちゃ楽しみ!
ログイン後、コメントできます。
過去の事件をもとに父が望んで描かせたもの(創元推理)でした
カンケーないけど、青空文庫の文章を起こすスタッフのことを「青空工作員」と呼ぶらしい。
http://www.aozora.gr.jp/shikumi.html
青空文庫のしくみ
マニュアルみたいなのもあったけど、翻訳に関してはあまり出てこない。
最終的にはタダだしなぁと読み流してしまうのだけど
「?」となるような訳文にはチェック入らないのかしら…。
意図せぬミス入力はあるかもしれないけど、チェック体制も整っていたんじゃなかったかな・・?
ログイン後、コメントできます。
「誰よりもエリザベートを慰めてほしいですね。」とエルネストが言った、「自分が弟を死なせるもとになったというので、自分を責めて、それこそ、みじめな思いをしているのですよ。しかし、殺したやつが見つかってから――」
「殺したやつが見つかったって! なにをいうのだ! そんなはずがどうしてあるものか。誰がそいつを追いかけることができるんだい? そんなことはできない相談だよ。風に追いつこうとしたり、一本の藁で山川をせき止めようとしたりするのと同じことだよ。私もそいつを見たが、昨夜逃げられてしまったのだ!」
ログイン後、コメントできます。
「ジュスチーヌ・モリッツだつて! かわいそうに、あの子が嫌疑を受けたのだって? だけど、それはまちがっているよ。誰だってそんなことはわかっている。誰だって信じているわけではないね、エルネスト?」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
このとき父が入ってきた。父の顔には深く刻まれた不幸が見えたが、父は、私を元気で迎えるように努力し、哀悼の挨拶を交したあとで、私たちの災難以外の何か別の話をしようとしたが、エルネストはそれに乗らなかった、「そうだ、お父さん! ヴィクトルは、かわいそうなウィリアムを殺したやつを知っているのだって。」
「運の悪いことに、わたしらも知っているよ。わたしが高く買っていた者の、あんな背徳と忘恩を見るくらいなら、何も知らんでいるほうが、ほんとによかったよ。」
ログイン後、コメントできます。
「そうだとしたら、断して罪人として苦しんだりすることのないようにしたいもんだね。今日、裁判があるはずだが、無罪放免となるように、わたしは、わたしは、心から望んでいる。」
父のことばで私はおちついた。私は心のなかで、ジュスチーヌが、いや実際のところどんな人間でも、この殺人事件では無罪だと固く信じた。だから、ジュスチーヌを有罪と決めるに足るほどの、強い状況証拠が持ら出されはしないかと心配はしなかった。私の話は公けに発言すべきものではなかった。胆を潰すようなあの怖ろしさも、民衆の眼には、狂気の沙汰としか映らないにきまっているのだ。自分の感覚でそれを確かめでもしないかぎり、私が世界に放ったような、僭越で無知な、何をしでかすかわからない、生きた記念碑が存在する、ということを信ずる者が、創造者である私を除いて、実際にあるだろうか。
ログイン後、コメントできます。
ああ、そうか、ここはフランケンシュタインが結果がどうなるかわかりもしないのに作り出した(&解きはなった)という意味なのか。そっちの方がすっきりしますね。
ログイン後、コメントできます。
「無罪だよ、エリザベート、」と私は言った、「それは証明されるよ。何も心配しないで、無罪放免を確信して元気を出すことだね。」
ログイン後、コメントできます。
「エリザベートや、」と父が口を出した、「涙をお拭き。おまえが信じているように無罪だとしたら、この国の法律の正しさと、露ほども不公平の影がないようにしたいとおもっているこのわたしの運動に信頼しなさい。」
ログイン後、コメントできます。
この作品は怪物ホラーしゃなくて、ゆとりっこホラーなんじゃないか?
はやく!怪物でてきて!
「なんでやねん!」ってツッコンでやれ!!!
角川版
「もしお前の信じるとおりにあの子が潔白ならば、法の正義が必ず証してくれるとも。いささかの不義も行われぬよう、私もできる限りのことをしよう」
光文社版
「おまえが考えているようにあの娘が無実ならば、法の正義を信じることにしよう。そしていささかも不公平にならないように、できるだけのことをするのだ」
あれ?できるだけのことをするのは……お父さんですよね??
裁判が始まる十一時まで、私たちは悲しい時間を過ごした。父をはじめ家族がみな証人として出席しなければならないので、私もそれについて裁判所へ行った。この裁判のいまいましい猿まねのあいだ、私はなまなましい苦悩を感じた。それは、私の好奇心やとんでもない発明の結果が、親しい人たちを二人まで死なせるかどうかを決定することであった。その一人は、死ぬ前は歓びと無邪気に溢れてにこにこ笑っていたが、もう一人は、聞くも怖ろしい人殺しということでますます汚名が高まったために、ずっとずっと恐ろしく傷つけられている。
ログイン後、コメントできます。
ありがとうございます。納得です。
この表紙怖いですね。
よく見ると別の訳者の本のようですが??
>別の訳者の本
あ、ほんとだ(^^;)。なんすかね、これw
気が付いてませんでした。ありがとうございます~。
*宍戸氏訳のフランケンシュタインをちょっと見てみたいけど、地元の図書館にはありませんでした(><)。別の本(ピーターパンとか宮澤賢治論とか)はあったのですけど。
ログイン後、コメントできます。
日本で言ったら「正子さん」というところでしょうか(^^;)。
正義。
このあたり、少し作者の意図があった、のかも。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「私になんにも罪のないことは、神さまもごぞんじでいらっしゃいます。けれども、自分の申し立てで私が無罪放免になれるようなふりはいたしません。私が無罪であることは、私に対して数え立てられている事実を、ありのまま手短かに説明すれば、おわかりになるとおもいます。私のいつもの性格をお考えになれば、疑わしい、あるいは怪しいと見えるような事情があっても、判事さまがたは善意に取ってくださることとぞんじます。」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
多年ジュスチーヌを知っている数人の証人が呼ばれ、有利な話をしたが、ジュスチーヌが犯したと考えている犯罪を怖れかつ憎んでいるために、みな憶病になって進んで立つのを喜ばなかった。エリザベートは、この最後の頼みの綱、すなわちジュスチーヌのすぐれた気性、非の打ちどころのないふるまいが明らかになってさえも被告がいま罪に陥ろうとしているのを看て取って、ひどく取り乱しながらではあるが、証言に立つ許しを乞うた。
ログイン後、コメントできます。
ここちょっとわかりづらいようなので、読み比べしておきますね。
角川版
「そこでジュスティヌを長年知る証人たちが呼ばれて彼女の肩を持つ証言をしたのですが、恐怖と憎悪とにまみれたこの罪は彼女が犯したのではないかという疑念から、誰もがおずおずと、気の進まぬ様子なのでした。」
光文社版
「こうして長年ジュスティーヌを知っていた証人が数人召喚され、みな行為に満ちた証言をしました。けれども彼女が犯したとされる罪を恐れ、それを憎んだために、証言は控えめとなって、ともすれば口ごもりがちでした。」
「長年ジュスティーヌを知っている何人かが証人に立ち、彼女のことを褒めました。しかし彼らは、ジュスティーヌがおかしたと思われる罪を恐れ憎む気持から、おずおず、しぶしぶ出てくるのでした。」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%AD%BB%E5%88%91
イギリスに限った事なのかどうかまでは分かりませんが、
少なくとも当時は死刑がかなり「簡単」に決定されていたようです。
こちら↓は現代のものですが
欧州の死刑存廃状況 英国
http://www.geocities.jp/aphros67/090530.htm
基本、罪というものに厳しい立ち位置のようですね。
作者はただホラーを書くだけでなく
「罪を犯す」「罪を許す」というサブテーマがあったんじゃないかと
考えてみたり。
そう考えるとサブタイトルも考えさせられますな。。
なんにしろ別荘でワイワイ思いついたとは思えない深さ…。
それにしても、怪物がやったという確信はどこから来ているのか。怪物は創ったフランケンシュタインの意志や潜在意識が動かしているのでしょうか。
きっとそうだ、これは自分の責任だ、と思ったなら、どうせ無理と思わずに何かしろよ!とどついてやりたい。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「では、あなたまで、私がそんなよくよくの悪者だと思いこんでいらっしゃいますの? あなたまでが、私をおしつぶそうとする私の敵といっしょになって、私を人殺しとしてお責めになりますの?」そう言う声は、すすり泣きでとぎれてしまった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
*ここで「人でなし」と訳されている語は原文ではmonsterですね。フランケンシュタインが作った「怪物(monster)」にも、何かこう残忍なイメージがつきまとうというところかな。
コメント222でぽんきちさんがおっしゃっていたジュスチーヌ=Justice(正義)だとすると、このエピソードはまさに正義というものが科学によっても、宗教によっても否定されている、ということなのかもしれない。
否定されている、だと言いすぎかなあ。保証されていないと言うべきか。何が悪いとかそういうんじゃなく、科学や宗教そのものがmonsterを生み出してしまう、そういう人間の業のような。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「ほんとにありがたいことですわ。この最後の瞬間に、私は、私のことを親切に考えてくださる方に心の底からのありがたさを感じます。私のようなみじめな者にとっては、他人の愛情がどんなに嬉しいでしょう! それだけでも、私の不幸の半分以上が無くなります。私の身の潔白をあなたがたに認めていただいた今では、安らかに死ねそうな気がしますわ。」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
しかし、ひどすぎませんかね?ヴィクトル!言おう言おうと思ったんだけれども、言ったところでどうせ事態はよくならないし、狂人扱いされるだけだったでしょうし…って、この期に及んで自己弁護か!(><)
光文社版
こうして次の日、ジュスチーヌは処刑されました。エリザベスの心のこもった言葉をもってしても、あの聖なる被告が罪を犯したとする判事たちの確信を揺るがすことができなかったのです。わたしが熱を込め、怒りを交えて反論しても、彼らの耳に届くことはありませんでした。そして冷たい答えを受けた上に、厳しく血も涙もない論拠を聞かされ、心に決めていた言葉はわたしの口元で消えていきました。そんなことを口に出せば、自ら狂人だと告白するようなものだったでしょうし、そうしたとしても、それが哀れな犠牲者に下された刑を取り消すことにはならなかったでしょう。かくしてジュスチーヌは、殺人犯として処刑台の露となったのでした!
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
怪物はヴィクトルが創ったのだからヴィクトルが制御すべきだし、制御できる可能性がある、という発想の下で、みんなして主人公を卑怯者呼ばわりしてきたわけですが・・・気づいたことがあります。この時代の本人としては
如何ともしがたいのではないだろうか?
いわば、封印を解いてくれという妖の誘惑に負けただけで、いったん解きはなってしまったら、相手に対して影響力を行使することはできないのでは?解きはなった直後に相手の正体に気づきそのことを思い知った、ということなのでは?
カンと言えばカンなんでしょうが
何よりも「醜い」という理由なんじゃないかなあと思ったり。
この頃はまだ「見世物小屋」とかが当たり前にあった頃ですよね。
醜悪に人権はないということ
状況証拠の揃った容疑者に正義はないこと
この章は2つの対比のようにも思えてきました。
そして多分、このムカつくヴィクトルは
当時この本を読んでいる読者そのものを意味しているのでは──?
と思ったりしてイヤーなキモチに。
いつもお疲れ様ですー。
やつぎばやにつぎつぎと起った事件に感情が昂じたあとで、それにつづいて魂の希望も恐怖も共に奪い去ってしまう、あの無為と必然の死のような平静さほど、人間の心にとって苦痛なものはない。ジュスチーヌは死んで安らかになったのに私は生きている。血は私の血管を自由に流れたが、何ものを、動かすことのできない絶望と悔恨の重みは、私の胸を抑えつけた。眠りは私の眼から逃げ去り、私は悪霊のようにさまよい歩いた。というのは、私は、身の毛もよだつような、いなそれ以上の、筆舌に尽しがたい災害の行為を犯して(と私は思い込むんでいた)、まだ隠れているからだ。けれども私の心にも、親切と徳を愛する心が溢れた。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
しっかりとは出てこなかったけど、ジャン=ジャック=ルソーのwikiで
「門の刻限に間に合わず、叱られるのが嫌でジュネーブ出奔」と
書かれていたので、きっとあったんでしょうね。
ルソー、お前もゆとりか。
あ、そうそう、ルソー、ここにちょっと出てましたw
https://books.google.co.jp/books?id=HTtiJdfl6Z4C&pg=PT265&lpg=PT265&dq=%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%96+%E9%96%80%E9%99%90&source=bl&ots=8LnJ3zwvv3&sig=rgPPcRQM99DUv6Gjo2-yn1mXw98&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjIrdSa97nTAhWKWbwKHR-sDYQQ6AEILzAC#v=onepage&q=%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%96%20%E9%96%80%E9%99%90&f=false
3回も遅れたらしいす(^^;)。困ったちゃんだったんですかね。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
生命を生み出して、その後どーするつもりだったんでしょ。
学会に発表して、栄えある賛辞を受けたかったのか。
だとしたら怪物(醜くなくても)はどんな扱いを受けたんだろう。
どっちにしてもコイツ、自分のコトしか考えてないんだよねえ。
復讐は人のためじゃなくて、自分の為にやるものだし。
「ねえヴィクトル、ジュスチーヌ・モリッツがあんなふうにみじめに死んだことを考えると、」とエリザベートが私に言った、
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
こうして友情のやさしさも地や天の美しさも、私の魂を憂愁のなかから救い出すことはできず、愛のことばも効きめがなかった。私は、慈愛にみちた力も突き抜けることのできない雲に取り囲まれていたのだ。人の入りこまぬどこかの叢林を指してふらふらする脚を曳きずりながら、そこで突き刺さった矢を眺めて死ぬ鹿――それが私の象徴でしかなかった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
今ちょっと読み比べる時間がとれないので、GWの最後辺りにさかのぼってコメントするかもしれません。
年譜によれば、メアリは17歳になる前にシェリーと駆け落ちしています。
翌々年ジュネーブ滞在中、バイロン卿の提案でそれぞれ怪談話を書き、本書の構想を得た時わけですが、そのころは、生後間もない娘を亡くし、次に息子が生まれて半年くらいだったはず。
とても小さい子どもを持っている母親の書くものとは思えないですが。
まもなくイギリスに戻って、奥さんが自殺するとさっさと結婚して、9か月後に娘を生み、それから本書が出版される。
娘は1歳で、息子も3歳で亡くなって、そのあと最後に生んだ息子だけが成人したらしい。しかもその子が3歳になる前にシェリーは亡くなっている。メアリこのときまだ24歳。
なんという人生。
つぎの日は谿じゅうをさまよって暮らした。ひとつの氷河から出ているアルヴェイロンの水源のほとりに立ったが、この氷河は、山脈の頂上からゆっくりとずり落ちてきて、谷間を塞いでいるのだった。巨大な山の切り立った面が、私の前にあり、氷河の氷の壁が私に覆いかぶさるように立っていた。わずかばかりのひしげたような松の木が、あちこちに立っていた。帝王なる大自然のこういった赫々たる謁見室にあって、その粛然たる沈黙を破るものはただ、雪崩の雷のような音とか、積った氷の山々に沿うて反響する破裂の音だけであった。この氷の山は、不朽の法則のもの言わぬ作用によって、まるで手なぐさみでしかないように、おりおり裂いたりちぎったりされるのであった。こういう荘厳で雄大な情景が、私の受けうる最大の慰めを与えてくれた。
ログイン後、コメントできます。
「帝王なる大自然のこういった赫々たる謁見室にあって」以下が雄大でいいですね。原文だとthe solemn silence of this glorious presence-chamber of imperial Nature。なかなかこんな表現は思いつかないような基がします。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
われわれは起きる、一つのさまよう考えが昼を汚す。
われわれは感じる、思いつく、推論する、笑ったり泣いたりする。
つまらぬ悲しみにくよくよしたり、注意を棄ててしまったりする。
それは同じことだ。なぜなら、喜びであろうと悲しみであろうと、
それの離れ去る道は、いまだに自由であるからだ。
人の昨日は明日と同じではないかもしれない。
無常のほかに永続きするものはどこにもない!
ログイン後、コメントできます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mutability_(poem)
これ読んでもパーシーとメアリ、どっちの作なのかよくわかんないんですけど(^^;)。この8行はメアリが作った、ってことなのかな。
「休むとき 夢の力が眠りを毒し
目ざめれば とりとめのない思いひとつが昼をけがす
感じ 思い 推論する 笑い 泣く
愚かしい悲嘆を懐き わずらいを打ち棄てるとも
同じこと 歓びにせよ哀しみにせよ
去りゆく道を阻むものは何もない
人の昨日と人の明日がたがわぬことはけっしてなく
いつの日も変わらぬものはただ無常のみ!
P・B・シェリー『無常』」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
被造物である人間の、創造主である神に対する、祈りとも訴えともとれますね。
私は怒りを抑えきれず、あらんかぎりの敵愾心に駆られて跳びかかった。
あいてはわけもなく身をかわして言った、――
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
フランケンシュタインが、こんな醜い失敗作は要らないとばかりに、放り出してさえいなければ、「怪物」は良い人だったのかしら。
映画では喋れない怪物が、原作でベラベラしゃべってたのに
一番驚きましたw
無言の怪物にどれだけ原作の背景が含まれていたのか
改めてもう一度見直したいキモチです。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
このとき初めて???遅いよ!!!
ログイン後、コメントできます。
どうやらクライマックスを迎えた様ですね?
ヴィクトルに「オ マ エ が 言 う な」と
ドコでツッコんでやろうかと思ってましたが
「こうすれば見えませんよ」という怪物につい失笑。
どこでそんなボケを学んだのか…。
この美しい情景描写たちは、人間との対比なんでしょうかねえ…。
「わたしというものがこの世に現われたそもそも初めのころのことは、なかなか思い出しにくいね。どうもあのころの出来事はみな、ごっちゃになって、どれがどれだかわからないのだ。わたしは、いろいろの妙な感覚に捉えられて、同時に見て、感じて、匂いを嗅いだ。自分のさまざまの感覚のはたらきを区別できるまでには、まったく長くかかった。今でもおぼえているが、そのうちにだんだんと、強い光が神経に当るので、眼をつぶらなければならなかった。すると、暗くなってまごついたが、そのことを感じるか感じないうちに、今ならわかりきったことだが、光がまた射してきた。
ログイン後、コメントできます。
(今回登場していないのにやっぱり叱られるヴィクトルw)
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
夜の球体が虧けてほっそりとなった=the orb of night had greatly lessened
月が欠けたことで何日か経ったことを示しているわけですが、ちょっと詩的な感じも受けます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
はたまた生存本能を引き継いでいるのかな。
木の実を食べ物と認識すると思ったら火を知らなかったりと、
やはりどこか不完全で繋がっていないってことなのかなあ。
偏った知識をもった赤ん坊であり、
また成長期に創造主を持てなかった子供と考えると
ヴィクトルの罪は軽くはないよなー。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
あ、「失楽園」でしたか。ありがとうございます。そか、エピグラフも失楽園でしたもんね。
イギリスの読者にはミルトンは(読んでなくても)常識なんでしょうが、日本語訳には注が必要ですよね。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「家が明けるとすぐ、隣りあっている母家を検分して、わたしが見つけたこの住まいにずっと居られそうかどうかをさぐるために、犬小屋みたいなところから這い出した。この小屋は、母家と背中合せになっていて、まわりは豚小屋と水のきれいな池になっていた。一部分は開いていて、そこからわたしは這い込んだものの、今度は、外から見えそうな隙間という隙間を、表に出るばあいにはそれを動かすことにして、石や木でふさいだので、わたしの享ける光は、豚小屋を通してくるだけだったが、わたしには十分だった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「三人はしばらくこういうことをやったあとで、燈を消して引っ込んだが、わたしの推察では、それは休むためであった。
ログイン後、コメントできます。
映画としては確かに、現代ホラーの原動力にはなったのでしょうが、
人間について考えさせられる深い話だなあと改めて。
お休み中もありがとうございます!
生まれたての怪物(ずっと名前もなくてかわいそうです~)がひとりぼっちで外へ出ていく姿が不憫です。
しかし、静かでなんと美しい世界。
最後に出会った三人の人たちは何ものなのでしょう。続き楽しみにしています。
「藁の上に寝たが眠れなかったので、その日に起ったことを考えてみた。わたしを主として打ったのはこの人たちのやさしい態度であって、そのなかに加わりたいとおもったが、それもできかねた。前の晩に野蛮な村人から受けた仕打ちをあまりによくおぼえているので、これからさきどういう行為を正しいと考えてするにしても、とにかく今のところ努力しようと決心した。
「家の人たちは、翌朝、日の出前に起きた。娘が家のなかを取りかたずけてから食事のしたくをし、最初の食事が終ってから若い男が出ていった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
それもあるかもしれないですが、ここは多分、見た目のことが大きいように思います。造形がperfectではない、異形であることを指している印象を受けます。
プラスして、成長過程も普通の道筋をたどっていない=教育も受けず、精神発達上も不完全であることも入っているのかな・・・?
それもこれも創造主=フランケンシュタインがちゃんと面倒をみなかったせいですけど。
ログイン後、コメントできます。
「わたしはまた、この人たちのほねおりを助ける別の手段を見つけた。若者が毎日燃料にする薪を集めるのに長い時間をついやしているのを知って、夜のあいだにときどき、使い方をすぐおぼえたその道具を取り出して、数日間も燃やせるぐらいの薪を取ってきて置いてやった。
「はじめてそれをしてやった時には、娘は、朝、戸をあけてみると、外に薪の山があるのを見つけて、ひどく驚いた様子であった。そこで大声で何か言うと、若者か出てきたが、これもびっくりしたもようだった。若者がこの日、森に行かずに、家の修理や菜園の耕作で一日を過ごしたのを見て、わたしは嬉しかった。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
「いくら一家の前に姿を見せたいと望んでも、その試みより先にまず彼らの言語を修得せねばならないのは、たやすくわかることだった。言葉の知識さえあれば、自分の姿の醜さを大目に見てもらうことができるだろう――というのは、このことも、たえず目にする対比のおかげで自分は知るようになっていたのだ。」
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ごん、おまえだったのか、いつも栗をくれたのは。
やっぱり、そうなってしまうのよね?
理解されず、報われない怪物、かわいそう過ぎ。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
ログイン後、コメントできます。
この物語の主人公は科学者のフランケンシュタインの方なのでしょうが、彼が創り出した、フランケンシュタインとして世に知られている怪物の方が、創造者よりずっと人間らしいように思いました。
責任も取らずずるいところも、人間の弱さなのでしょうが。
後篇もよろしくお願いいたします。
そうですね。確かにフランケンシュタインのずるさや弱さ、ある意味で人間らしさなのかな。
また後篇もよろしくお願いいたします!