チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を発表したのは1859年だったが、それ以前から化石の発見などにより、生物は古い形から新しい現在の姿へと次第に進化してきたとする「進化論」が科学界で喧伝されるようになり、科学的な発見を何でも旧約聖書の創世記に結び付ける自然神学を堅持する古い科学者たちにより進化論は非難され続けたという。化石で発見された絶滅種をノアの箱舟に結びつけるなど現代ではばかばかしい様な議論なのだが、今でも米国の福音主義者は進化論を認めないのだというから、呆れてしまう。(著者は米国人だから福音主義者の存在は無視できなかったろう。)
この本を読むとダーウィンは若い頃は聖職者になる予定だったというから驚かされる。彼は家族から医者になることを期待されたが、博物学を研究したくて、仕事の暇な司祭になって研究を続けるつもりだったとか。
この本では化石がテーマになっているから、進化論は化石の研究から生まれたと思いがちだが、ダーウィンは南洋への調査旅行に同行した際に目にした動物たちの多彩さに目を奪われ、見た目も生態も異なる動物たちが大昔は同じ先祖から変化した結果現在の姿になったと推論した。まだ遺伝子の正体が知られていなかった時代であったが、動物の遺伝は変化しうることを彼は直感したらしい。
同時代のラマルクの進化論は獲得形質が遺伝するというものだった。一方のダーウィンのアイデアではランダムに遺伝子が変化し、その中で自然選択の過程で極まれに生き延びたものが新しい種になるという考えだった。(ラマルク説の方が格段に理解し易いが、遺伝の仕組みが解れば間違いだったと言わざるを得ない。)
ダーウィンは真の科学者らしく、自分の進化論の弱点について自ら指摘していた。それは進化の過程を示す「移行化石」がまだ見つかっていないことだった。例えば海棲のクジラは陸生の先祖から進化したはずだが、その先祖の化石は当時見つかっていなかった。
考えてみればある化石が移行化石だと断定するのも簡単ではない。クジラの先祖は骨格にクジラにしかない特徴を持ち、かつ陸上に住んでいたことが確認できねばならない。
クジラの移行化石が見つかったのは1981年になってのことだった。頭の骨だけだったが、その耳の骨にクジラ独特の特徴が認められた。2001年になって頭以外の骨格が発見された。パキケトゥスと名付けられたクジラの先祖の外見はまるで狼のような動物だった。
ダーウィンの進化論が広まると人類もサルから進化したと考えられるようになったが、やはり移行化石は見つからなかった。20世紀の半ばになっても西洋の科学者は、黒人に対する人種差別の感情から、人類の故郷はアフリカではなくてアジアだろうと考えていた。
しかし南アフリカでアウストラロピテクスの化石が発見され、その後もホモ・ハビリス、サヘラントロプスなどアフリカで次々と人類の先祖と考えられる化石が発見されて、人類進化の系統樹が描かれるようになった。その樹は複雑に枝分かれしており、途中に未発見の種がまだ隠れていることが想定されている。またほとんどの時代で複数の人類の先祖が併存していた。
これまでの研究から、19世紀の西洋の科学者が考えたような、人類の進化の道筋が低級な先祖から高貴な人類へと進化する一本道などではないことが明らかになった。ホモ族はホモ・サピエンス以外は既に絶滅したが、そのホモ・サピエンスがもっとも高級であるとの神学的な解釈は間違っているのだ。進化は偶然に支配されているのだから。
この書評へのコメント