気が向いたり、本を忘れたりすると青空文庫で泉鏡花を探す。今回は後者。やはり泉鏡花といえば妖し怪し。現実と話の中のあわいがどこかあいまい。
唐、らしい。雨の日、とある官人が従者を連れて知人の説法の席へ向かっていた。正面に子牛の荷車が現れた。どうやら地域の油売りらしい。
「とう、とう、とう/\。」肩が隠れるくらい大きな雨傘をかぶった男が牛に声をかけている。狭い道官人の一行に近づいた時、片寄れ、と警告しても聞かない。従者は怒り、肘で男を突いた。すると、男の首が取れ、雨に濡れた落ち葉の上に転がった。そして、首のない胴体が牛を煽ると、牛が猛然と駆け出したー。
官人は
「奇怪ぢや、くせもの、それ、見届けろ。」
と命じ追いかける。胴体だけの男と牛、油を乗せた車は、突き当たりの屋敷に入ったかと思うと古い槐(エンジュ)の大木の下で「ぼツと煙の如く消えたのである。」
どうやらこの物語には読み手が存在するようで
「私は此を読んで・・」とかいう言葉が入る。そして、牛らが消えた後、官人は従者に角助、当家は斎藤道三の一族か?なんて訊いている。道三は油商人ではあったようだが消えた?伝説は知らないなあ。
官人からの依頼でその邸の家令が老爺に槐の根元を掘らせた。と空洞が空いて、そこには大きなキノコが1本、大きな蝦蟇ガエル。つまりは大きな笠をかぶった男はキノコで、牛は蝦蟇、油は槐の樹液。妖怪たちである。
蝦蟇が「とう、とう」と鳴くと、キノコの軸が震え、古井戸の釣瓶の箍(たが)がクシャミをして、霧が湧いて水滴が梢に集まって、門内に雨が降り出した。家令の話ではつい先日、キノコの化けものを捕まえようとして掴んだものの頭の帽子の部分だけが抜けて手に残った。生垣に引っ掛けておいたところ雨続きとなったという。
読み手は確実にいるようだ。最後にも出てくる。だけれど果たしてこの話が漢籍のどこからか取ってきたのか、日本の古典からか、想像かはよく分からない。いろいろ揺らして、翻弄されてる気分。
物語は、いままで買っていた油が妖怪がらみの樹液だったと知った市井の人々にパニックが起きる、という後日談へと展開してクスッとなる。
怪奇もの、はこの人の常だけども、ここまでいくつも読んできた身には、キノコ、好きすぎ
(^ ^)と、微笑ましくなる。たぶん地方の屋敷町、狭い道、苔むした邸、そして雨。雰囲気を醸成するための設定が心憎いほど。そしてキノコとガマガエルと大きな大きな槐の樹、樹液。自然に抱かれる、自然に囲まれ操られる、いたずらされる感覚は好ましい。
短い話で、また鬼才の技を味わえたかな。
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