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青年荷風の《試行錯誤の跡》を読む

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
あめりか物語
明治の東京に「おぼっちゃまくん」として生まれついた青年が、パリでの滞在を最終ゴールに定め、西回りの長旅に出る。海外第一歩を印したのはカナダに近い北アメリカ東海岸のシアトル。そこからミシガン州の田舎、首都ワシントン、ニューヨークと渡り歩いた。フランス語の習得と文学修行を念頭に置きながら……。 

顧みると、彼の5年に及ぶ海外生活うち実に4年が、当初の意図とは別に合衆国の人々の生き方や風土の観察に費やされていた。本書はその青年、つまり二十代の荷風がアメリカでの折々の実体験を、リアルタイムで23本の短編に結晶させたものだ。文学者としての荷風は、19世紀フランス文学と江戸後期の人情噺のエッセンスを血肉化して、やがて独自の作品世界を築いた。本書はそんな荷風の実質的なデビュー作であり、作家としての原点だ。

原点といっても、「それはたかだか到達点への歩み出しに過ぎない」という見方もできる。読者は23篇のなかに、青年荷風の創作の苦しみ、試行錯誤の跡を、すぐに見つけるだろう。甘いフランスの砂糖菓子のような描写を続けたかと思えば、一転、安煙草と悪酔酒の臭いに塗れたニヒルな筆遣いに切り替える。そんな起伏も読みどころだ。

甘さの例を挙げよう。今まさにフランス目指してニューヨークの港を離れた船中で「自分」は、合衆国最後のひと夏を過ごした同市郊外スタトン・アイランドの遠い島影に見入る。楽園のような自然に抱かれたその島で、イギリス移民の小柄な娘ロザリンと過ごした時間が忘れられない。

「自分ら二人の恋は、命を捨てたロミオやパウロや、ジュリエットやフランチェスカのそれにも劣らぬものだと信じて疑わない。二人は、今ここで、一度(ひとたび)別れては何日(いつ)また逢うか分らぬ身と知りながら、一瞬間の美しい夢は一生の涙、互に生残って永遠(とこしえ)に失える恋を歌わんがため、その次の日からは毎日の午後(ひるすぎ)をば、村はずれの人なき森に、深い接吻をかわしたのであったものを……」(『八月の夜の夢』)。純情もここまでいくと赤面しかねない。

対して、怪しげな裏町の彷徨を描くとき、荷風の若い筆は、小説巧者としての片鱗を早くも覗かせる。ニューヨーク最悪の貧民窟・支那街は、「人間がもうあれ以上には、堕落し得られぬ極点を見せた、悪徳、汚辱、疾病、死の展覧場である」。「四方の窓から投棄てた紙屑や、襤褸片が、蛇のように足へ纏(からみ)付くのみか、片隅に板囲いのしてある共同便所からは、流れ出す汚水が、時によると飛び越しきれぬほどの大きい池を成し…」。文字通りクソリアリズムだ。

そんな支那街には、べったり白粉を塗りたてた白人娼婦もいる。「その身分相当の夢を見尽くして、今はただ『女』という肉塊一ツを、この奈落の底に投げ込み、もう悲しいも嬉しいも忘れてしまった、欲も徳もなくなってしまった」。「世間普通の浮女(うかれめ)のように、媚を含む言葉遣い、思わせぶりの様子から、次第に人を深みに引き入れようとする、そのような面倒な技巧は用いはせぬ」。男が断れば「病犬の如く吼り狂」う(『支那街の記』)。

文体面から23編を概観すれば、当時の新風である言文一致体と荷風らしい和製漢文体とが、テーマの風合いに合わせて選択されているのがわかる。ルビの使い方も興味深い。明治人による東西文明比較論として読んでも裏切られることはないだろう。
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  • 掲載日:2026/04/23
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