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献本書評
祐太郎さん
祐太郎
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喧嘩っ早い若者が豊臣秀長と出会い、才能を開花する。恩人である秀長の大和豊臣家が秀吉に潰された後、家康に寄り添い大坂豊臣家を滅ぼす。彼がいなければ茶道の流れが変わっていたかもしれない。
藤堂高虎をミネルヴァ日本評伝選が取り上げた。

高虎というと、戦国時代から江戸時代にかけて主人を渡り歩いた世渡り上手として世に知られているが、本当にそうだったのだろうか。

彼が世に出たのは1576年に木下(のちの豊臣)秀長に出会ってからである。1570年に15歳で浅井長政の下で姉川の合戦で初陣を果たしてから、阿閉貞征、磯野員昌、織田信澄と経たのちのことである。浅井、阿閉を辞した理由はいずれも同僚や中間を殺したからであり、後年の高虎の姿からは想像のできない喧嘩っ早い若者の姿がそこにある。実際、かなりな巨漢で戦では無類の戦功をあげていたらしい。

そんな高虎であったが秀長に出会ってから能吏・建築家としての側面が急激にでてくる。20代半ばには城づくりで名をあげ始め、20代後半には紀伊半島で一揆を抑えつつ山奉行として木材を大坂・京都に送り込み順調に大和豊臣家(秀長の系列)出世を重ねた。高虎にとって秀長は大恩人であり、真に仕えるへき主君だったのだろう。

しかし、幸せは時間はあっという間に過ぎていく。1591年、秀長が52歳で亡くなる。そして養子の秀保に仕えるが、95年に秀保が疱瘡で急死。そして、大和豊臣家は断絶。高虎はなんと高野山にこもってしまう。恩人の作った大和豊臣家を断絶させる秀吉に失望したとしか言いようがない。その直後に秀次事件が勃発する。秀吉の説得で世俗に戻って秀吉の武将として活躍するが、彼は明らかに家康に接近する。あとは、家康にとって西国や豊臣恩顧の大名、さらには近衛家や天皇家との仲介役として活躍し、江戸時代初期、将軍家の確立になくてはならない人となった。世渡り上手というより、秀長に身を捧げ、秀吉を憎んだために家康に仕えたというのが正しいのではないのだろうか。

個人的には養女とはいえ、高虎の娘婿が「小堀遠州」というところに惹かれた。城づくりの高虎と作庭の遠州。そして高虎は伊賀焼を保護するなど茶道にも精通していた。小堀遠州を家康につなげたのは高虎だったという。この二人がいなければ日本の茶道のありようも変わっていたかもしれない。
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祐太郎
祐太郎 さん本が好き!免許皆伝(書評数:2380 件)

片道45分の通勤電車を利用して読書している
アラフィフ世代の3児の父。

★基準
★★★★★:新刊(定価)で買ってでも満足できる本
★★★★:新古書価格・kindleで買ったり、図書館で予約待ちしてでも満足できる本
★★★:100均価格で買ったり図書館で何気なくあって借りるなら満足できる本
★★:どうしても本がないときの時間つぶし程度ならいいのでは?
★:う~ん
★なし:雑誌などの一言書評

※仕事関係の本はすべて★★★で統一します。

プロフィールの画像はうちの末っ子の似顔絵を田中かえが描いたものです。
2024年3月20日更新

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