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hackerさん
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シムノンが生み出した名探偵としては、メグレがあまりにも有名ですが、本書で活躍する素人探偵「ちび医者」は、メグレとは対照的な外見と生活スタイルではあるものの、肝心なところはやはり似ています。
ジョルジュ・シムノン(1903-1989)の生み出した名探偵として、メグレ警視はあまりにも有名ですが、シムノンは他にも何人か名探偵を生み出していて、田舎医者ジャン・ドーラン、通称「ちび医者」 Le Petit Docteur も、その一人です。彼が活躍する短編は全部で13書かれていて、一冊の短編集として出版されたのは1943年ですが、仏語版 Wikipedia によると、実際に書かれたのは1938年だそうです。実は、1938年という年が興味深く、メグレ・シリーズは、定年退職後のメグレの活躍を描いた第十九作『メグレ再出馬』(1934年)の後、短編は書いていたものの、しばらく長編のメグレものは書かれていない時期が続いており、この頃、シムノンはシリーズを終わらせる考えがあったことがうかがえるからです。結局、第二十作『メグレと死んだセシール』(1939年)で本格的にシリーズを再開することになるのですが、その前年だったわけです。つまり、ミステリーを書くのは諦めるつもりはないが、メグレを書き続けるのか、シムノンが悩んでいた時期の作品群ではないかと思うのです。


本書の主人公「ちび医者」は、「ちびでやせっぽち」であること、素人であること、30歳であること、独身であること、田舎医者であること、これらの点において、恰幅がよく、プロの警視であり、50代の妻帯者であり、パリ在住のメグレとは対照的な設定なのですが、実は、共通点も多々あります。最大のものは、犯罪現場若しくは犯罪の関係者たちの環境に身を置いて、被害者なり犯人なりを理解しようとする姿勢です。それと、二人とも、日本人の感覚から見るとアルコール依存症ではないかと思うほど、大酒飲みです。特に「ちび医者」の方は、アルコールが入らないと、推理のための頭が回らないようなので、ちょっと心配になります。また、「ちび医者」は独身ですが、メグレ夫人同様、煮込み料理が得意な女中のアンナがいます。もっとも、アンナの方は、メグレ夫人と違って、口うるさいです。

というわけで、「ちび医者」は、メグレとは別人ではなく、デフォルメ像と言えそうですし、それゆえ、メグレ・シリーズが本格再開される前に書かれていたというのは、興味深い点なのです。


前置きが長くなりましたが、本書には、六つの短編が収められています。メグレものの短編小説は、本格ミステリーの味付けが濃いものが少なくないのですが、「ちび医者」シリーズは、メグレもののような警察小説風のものが多いです。

収録作の中で、特に印象に残るものとしては、ふと訪れた避暑地で出会った、絵に描いたような美少女に岡惚れした主人公が、彼女が衆人環視のカジノの中でルーレットの客から現金を盗ろうとした謎、あたかも逮捕されたがっているかのような行動を採った謎を探る『薄水色の服の令嬢』を挙げておきます。ちょっと『ベニスに死す』を思わせる設定なのも面白いです。

あと、主人公の友人が新妻の不貞を疑い調査を依頼する『12月1日の夫婦』と、金をめぐる大農場主の兄弟の争いを描いた『死体が空から降ってくる』が、メグレものでも頻繁に扱われる、上流階級の隠れた腐敗と異常な愛情を扱っているのが印象的です。

ただし、私のようなメグレ・ファンでなければ、こういう興味からの見かたはしないでしょう。ですから、正直なところ、万人に無条件でお勧めできる類の本ではありません。あと、本書の国内出版は1958年ということで、クロワッサンが「三日月パン」と訳されているのは、ご愛敬ですね。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2276 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. ゆうちゃん2021-06-16 18:34

    シムノンにメグレ以外の探偵のキャラクターがいるとは思いませんでした。彼もドイルや他の例のごとく推理作家と言われるのを嫌っていたのではなかったかと思いますので二人目が意外です。

    書評を拝読する限り確かにメグレと似たと言うか、核心は同じ捜査手法ですね。仕事中に酒を飲む、欧州、フランスやイタリアではよきと言うか羨ましき習慣です。メグレのどの作品か忘れましたが、事件ごとに飲む酒の種類を決めると言うメグレのセリフがありました(その時は「ペルノー酒」の事件だったと思います)。

  2. hacker2021-06-16 19:03

    シムノンの名探偵というと、他に『13の謎』に登場するジョゼフ・ルポルニュがいます。ただ、こちらは、いわゆる安楽椅子探偵なので、メグレとはだいぶ趣が違います。その他には、ジュブナイルの範疇だと思いますが、「名探偵エミールの冒険」シリーズがあります。

    ですから、シムノンは結構ミステリー好きだったのではないかと思っています。最後に関係者を集めて謎解きが行われるものの、その主催者も謎解きを行うのもメグレではないという『サン・フィアクル殺人事件』、裁判の結果をメグレも読者も知らないで終わってしまう『メグレ保安官になる』、殺人犯が誰なのか分からないままで終わる『メグレの打ち明け話』、シリーズとしては珍しい本格もの『メグレの幼な友達』などを読むと、相当数のミステリーを読んでいたはずだと思います。

    ところで「ペルノー酒」の事件は、どの本だったのか思い出せません。すいません。

  3. ゆうちゃん2021-06-16 20:56

    3人目の探偵がいるとは思いませんでした。仰る通りミステリは好きだったのですね。
    ペルノー酒の事件、大変失礼いたしました。事件ごとに酒を変える、という言葉だけ頭に残っておりました。機会があったら調べてみますが、迷宮入りするかもしれません・・・。

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