hackerさん
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「けっして目標に向かって急がず、ただ一つの物を欲しているような、はしたない様子は見せない」(猫の紳士の戒律第七戒、本書より)
「戸口に立っている二人の婦人を厳粛な面持ちで眺めながら、彼は自分に言いました。私はあなたがたの猫になりましょう、もしあなたがたが私のハウスキーパーになってくださるのなら。
そしていうまでもなく、彼女らはこの提案に合意しました。それは彼の尻尾にある真っ白いぶぶんのためでもあれば、彼があんなにいろいろなのど声やら歌やらのハミングを聞かせてくれるためでもあり、彼が事実とてもハンサムな猫であるうえに、彼女たちがまことに柔らかな心をもっているためでもありました」(主人公の猫がメイ・サートンの家に迎え入れられる場面)
本作中で「ぶっきら声」と紹介されているメイ・サートン(1912-1995)が、「やさし声」ジュディ・マトラックと一緒に一軒家に住んでいた時に、迷い込んできた猫は、トム・ジョーンズと名付けられ、彼女たちと一緒に暮らすようになります。1957年刊の本書は、実在したこの猫の視点から描かれたものです。原題は 'The Fur Person' 「毛皮の人」で、題名から分かるように、猫のトム・ジョーンズは擬人化されているわけではなく、人間と同格の別の生き物として描かれています。メイ・サートンが『吾輩は猫である』を知っていたのかどうかは知りませんが、当然それを連想します。
トム・ジョーンズという名前は、歌手から取ったものではなく、イギリスでは有名なヘンリー・フィールディングの小説『捨て子トム・ジョーンズの物語』(1794年)からのものです。主人公の猫は、生まれてすぐの子猫の時に保護され、とある家に引き取られて住んでいたのですが、2歳のころに、「快適ということにかけてはもうひとつぱっとしない生活」に見切りをつけ、「そろそろ身を固めるべき時」と思い、家出をします。では、どんな生活を探そうと決意したのでしょうか。
「さてどんな猫でも知っていることですが、理想的なハウスキーパーとは中年の独身女性(オールド・ミス)で、できれば庭付きの小さな家に住んでいることが好ましいのです。それに家には屋根裏と地下室がほしいものです。屋根裏は遊び部屋に、地下室は狩猟用に、子供たちはといえば、正直いってできるだけ避けましょう。彼らはハウスキーパーを乱して務めを忘れさせがちですし、またマナーという点でもまだまだ身につけてもらいたいことだらけなのですから」
というわけで、メイ・サートンの家は、主人公にとって理想的な場所だったのです。それと、同時に、この文章は、メイ・サートンが主人公のことを人間と同格の存在であることと感じていることが分かるものでもあります。
先にレビューを書いた『ユリシーズの涙』は、人間の視点で描かれたワンコ本であるのに対し、本書は猫の視点で描かれたニャンコ本ということで、作品のスタイル自体に犬と猫の差が表れているのは、とても興味深いですね。もちろん、両方とも、楽しく、素晴らしい本です。
また、本書の主人公は、メイ・サートンの猫らしく、時折詩を吟ずるのですが、それもとても素敵です。一つだけ紹介します。
「ありがとありがとありがとう
ほかの誰でもないあなた
やさしい声したまろやかさん
大好きな人間のお母さん
デリケートなその雰囲気
心憎いほどの扱い上手
そっとくすぐるその手のタッチ
ほんとにほんとにありがとう」
また、猫好きの方ならば、第七条以外の猫の紳士の戒律とは何なのだろうと思われるでしょうが、それは本書を手に取って、お確かめください。読んで楽しいことは保証いたします。
最後に、例によって、またちょっと脱線します。
本書収録の作者によるまえがき(新版に向けて書いたもの)には、1950年代のはじめにメイ・サートンはナボコフ夫婦に、トム・ジョーンズ付で家ごと貸していたことが書かれています。トム・ジョーンズはすっかりナボコフに懐き、ナボコフとトム・ジョーンズが大好きで、二人でロシア語の猫語で話し合っていたそうです。その頃のナボコフは『ロリータ』の構想を練っていたそうで、トム・ジョーンズがそれに多少なりともインスピレーションを与えたのかもしれません。
また、『捨て子トム・ジョーンズの物語』は、イギリスの「怒れる若者たち」の世代を代表する映画監督として知られるトニー・リチャードン(1928-1991)が1963年に映画化(邦題『トム・ジョーンズの華麗な冒険』)していて、主演はアルバート・フィニー(1936ー2018)が演じました。映画全体はコメディー・タッチでとても楽しい作品ですが、もしかしたら映画史上もっともいやらしい性欲をかきたてる食事の場面があることでも知られています。アルバート・フィニーの遺作は『007 スカイフォール』(2012年)で、ボンドの故郷スカイフォールの館の番人を演じました。彼の主演作では、オードリー・ヘプバーン主演の最良の映画の一つである『いつも二人で』(1967年)が、個人的にはとても好きです。
トニー・リチャードソンの方は、現在では忘れられてしまった感もありますが『怒りを込めて振り返れ』(原作・脚本ジョン・オズボーン)『長距離ランナーの孤独』(原作・脚本アラン・シリトー)『ラヴド・ワン』(原作イーヴリン・ウォー)『マドモアゼル』(脚本ジャン・ジュネ&マルグリット・デュラス)『悪魔のような恋人』(原作ウラジミール・ナボコフ)『太陽の果てに青春を』(ミック・ジャガー主演、オーストラリアの有名な義賊ケリー兄弟の物語)『ホテル・ニューハンプシャー』(ジョン・アーヴィング原作)など、実に意欲的なフィルモグラフィーを残しています。ただ、私としては『トム・ジョーンズの華麗な冒険』が、一番好きな作品です。
最後の最後、本書の表紙や挿絵は、訳者武田尚子の友人イスラエル生まれのベンジャミン・レヴィによるもので、表紙からもお分かりいただけると思いますが、ぜんぜん猫可愛がりの雰囲気がなく、やはり、人間と対等の別の生き物という感じがよく出ています。こちらも楽しい絵です。
そしていうまでもなく、彼女らはこの提案に合意しました。それは彼の尻尾にある真っ白いぶぶんのためでもあれば、彼があんなにいろいろなのど声やら歌やらのハミングを聞かせてくれるためでもあり、彼が事実とてもハンサムな猫であるうえに、彼女たちがまことに柔らかな心をもっているためでもありました」(主人公の猫がメイ・サートンの家に迎え入れられる場面)
本作中で「ぶっきら声」と紹介されているメイ・サートン(1912-1995)が、「やさし声」ジュディ・マトラックと一緒に一軒家に住んでいた時に、迷い込んできた猫は、トム・ジョーンズと名付けられ、彼女たちと一緒に暮らすようになります。1957年刊の本書は、実在したこの猫の視点から描かれたものです。原題は 'The Fur Person' 「毛皮の人」で、題名から分かるように、猫のトム・ジョーンズは擬人化されているわけではなく、人間と同格の別の生き物として描かれています。メイ・サートンが『吾輩は猫である』を知っていたのかどうかは知りませんが、当然それを連想します。
トム・ジョーンズという名前は、歌手から取ったものではなく、イギリスでは有名なヘンリー・フィールディングの小説『捨て子トム・ジョーンズの物語』(1794年)からのものです。主人公の猫は、生まれてすぐの子猫の時に保護され、とある家に引き取られて住んでいたのですが、2歳のころに、「快適ということにかけてはもうひとつぱっとしない生活」に見切りをつけ、「そろそろ身を固めるべき時」と思い、家出をします。では、どんな生活を探そうと決意したのでしょうか。
「さてどんな猫でも知っていることですが、理想的なハウスキーパーとは中年の独身女性(オールド・ミス)で、できれば庭付きの小さな家に住んでいることが好ましいのです。それに家には屋根裏と地下室がほしいものです。屋根裏は遊び部屋に、地下室は狩猟用に、子供たちはといえば、正直いってできるだけ避けましょう。彼らはハウスキーパーを乱して務めを忘れさせがちですし、またマナーという点でもまだまだ身につけてもらいたいことだらけなのですから」
というわけで、メイ・サートンの家は、主人公にとって理想的な場所だったのです。それと、同時に、この文章は、メイ・サートンが主人公のことを人間と同格の存在であることと感じていることが分かるものでもあります。
先にレビューを書いた『ユリシーズの涙』は、人間の視点で描かれたワンコ本であるのに対し、本書は猫の視点で描かれたニャンコ本ということで、作品のスタイル自体に犬と猫の差が表れているのは、とても興味深いですね。もちろん、両方とも、楽しく、素晴らしい本です。
また、本書の主人公は、メイ・サートンの猫らしく、時折詩を吟ずるのですが、それもとても素敵です。一つだけ紹介します。
「ありがとありがとありがとう
ほかの誰でもないあなた
やさしい声したまろやかさん
大好きな人間のお母さん
デリケートなその雰囲気
心憎いほどの扱い上手
そっとくすぐるその手のタッチ
ほんとにほんとにありがとう」
また、猫好きの方ならば、第七条以外の猫の紳士の戒律とは何なのだろうと思われるでしょうが、それは本書を手に取って、お確かめください。読んで楽しいことは保証いたします。
最後に、例によって、またちょっと脱線します。
本書収録の作者によるまえがき(新版に向けて書いたもの)には、1950年代のはじめにメイ・サートンはナボコフ夫婦に、トム・ジョーンズ付で家ごと貸していたことが書かれています。トム・ジョーンズはすっかりナボコフに懐き、ナボコフとトム・ジョーンズが大好きで、二人でロシア語の猫語で話し合っていたそうです。その頃のナボコフは『ロリータ』の構想を練っていたそうで、トム・ジョーンズがそれに多少なりともインスピレーションを与えたのかもしれません。
また、『捨て子トム・ジョーンズの物語』は、イギリスの「怒れる若者たち」の世代を代表する映画監督として知られるトニー・リチャードン(1928-1991)が1963年に映画化(邦題『トム・ジョーンズの華麗な冒険』)していて、主演はアルバート・フィニー(1936ー2018)が演じました。映画全体はコメディー・タッチでとても楽しい作品ですが、もしかしたら映画史上もっともいやらしい性欲をかきたてる食事の場面があることでも知られています。アルバート・フィニーの遺作は『007 スカイフォール』(2012年)で、ボンドの故郷スカイフォールの館の番人を演じました。彼の主演作では、オードリー・ヘプバーン主演の最良の映画の一つである『いつも二人で』(1967年)が、個人的にはとても好きです。
トニー・リチャードソンの方は、現在では忘れられてしまった感もありますが『怒りを込めて振り返れ』(原作・脚本ジョン・オズボーン)『長距離ランナーの孤独』(原作・脚本アラン・シリトー)『ラヴド・ワン』(原作イーヴリン・ウォー)『マドモアゼル』(脚本ジャン・ジュネ&マルグリット・デュラス)『悪魔のような恋人』(原作ウラジミール・ナボコフ)『太陽の果てに青春を』(ミック・ジャガー主演、オーストラリアの有名な義賊ケリー兄弟の物語)『ホテル・ニューハンプシャー』(ジョン・アーヴィング原作)など、実に意欲的なフィルモグラフィーを残しています。ただ、私としては『トム・ジョーンズの華麗な冒険』が、一番好きな作品です。
最後の最後、本書の表紙や挿絵は、訳者武田尚子の友人イスラエル生まれのベンジャミン・レヴィによるもので、表紙からもお分かりいただけると思いますが、ぜんぜん猫可愛がりの雰囲気がなく、やはり、人間と対等の別の生き物という感じがよく出ています。こちらも楽しい絵です。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:みすず書房
- ページ数:128
- ISBN:9784622047032
- 発売日:1996年10月01日
- 価格:2100円
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