脳からみた心

脳の損傷が起す様々な心理症状は驚くべきものだが、同時に一部の軽微なものは我々にも多少の心当たりがある。正常と異常、通常と非情の線引きは難しい。そしてそこから導き出された心の傾向は人の知覚の限界を示す。
ややこしい名前だけれど、著者は女性。アラスカのユーコン川1500kmほどを一人カヌーでくだった体験記が著されている。
「なぜこんなにも安田恭輔にひかれてしまったのだろうか?」安田恭輔とは、新田二郎の『アラスカ物語』に描かれていた主人公のこと。
ユーコン川にカヌーを浮かべた日もまだ、その答えを持っていなかった。
・・・(中略)・・・ 。
私は、この旅を一人で行くことに決めた。
「危ないから誰かと一緒に行きなさい」ともよく言われたが、誰かと行っては楽しかった観光旅行で終わってしまう」
私は、私なりにその答えを一人で探したかったのだ。(p.16)
英語圏で私の名は「まさーきー」と英語的発音で呼ばれる。旅の途上で遭遇した危機的様子よりもむしろ、出発前に出会っていた人々や、途中で寄った街で数日間共に過ごすことになった人々との交流の様子がたくさん書かれている。
時には、マサアキやマチャアキと聞こえることもあって、それはなんとも可笑しいが、私は「まさーきー」と呼ばれるのが好きだ。(p.21-22)
作業中、蚊の大群がすごく、しつこいほどにまとわりついてくる。蚊は、アラスカの国鳥?といわれるほど、アラスカには蚊が多い。パンパン叩き落とすが、きりがない。(p.49)アラスカみたいに寒い所にも蚊がいるの?! とビックリもするけれど、ユーコン川をカヌーでくだれるのは夏だけ。沼沢地なんかも結構あるから、川の上なのに蚊もブンブン飛んでいるってことだろう。
(リトルサーモン)村は、朽ちたキャビンが幾つか立つ廃墟だった。落書きされた日本人の名前という恥ずべき精神の集積が、今でも世界中のあっちこっちの観光地に残されていることだろう。なんでそんなことしたがるのか、チャンちゃんには全く理解できない。
キャビンの空虚の中に入ってみると、丸太の壁一面に、過去に川旅でやって来た人々の名前がマジックで書かれ、ナイフなどで彫り込まれていた。私は、そのことにひどく胸を痛めた。
殆どが日本人の名前で、それがとても悲しかった。川旅の思い出として名を刻んでいくのだろうが、そのキャビンはただ落書きされた哀れな歴史の残骸のようだった。(p.62)
川の流れは漕がなくても時速6キロほどで、私を川下へと運んでくれる。(p.81)一日8時間くだるとして48キロ。目的地まで1500キロだから、計算上はおよそ1ヶ月が必要になるけれど、実際は1ヶ月半位かかったらしい。天候もあるけれど、途中停泊した街でいろんな人に出会い、いろんな体験をしていたからだろう。
カヌーの上での生活も随分と慣れてきた。バランスも上手く取れるようになり、カヌー上で大概のことはできるようになった。へへぇ~、女の負け。
出来ないのはピー(pee オシッコ)だけ。
・・・(中略)・・・。 大きな川は一度カヌーを川に出すとカヌーは常に川のまん中にいるので、両岸は遠く、岸に漕ぎ着くまで結構時間がかかるのだ。
その点、男は楽でいいな~。
子供のころには、なぜ、あんな便利なものが女性には付いていないのだろうと思ったものだったが、この川旅ではやはり不公平だ。(p.82)
ゴールドラッシュの味は、サワー・ドウと呼ばれる天然酵母のパンとサワー・トウと呼ばれる、しょっぱい、ちぎれ落ちた足の指の味だ。(p.97)極寒の中を峠を越えてやって来て、凍傷で足の指をなくしてしまう。それを塩漬にして保管したものなのだという。
美味しい食べ物、お酒、女、音楽、ギャンブル、何でもこの街にはある。ユーコン川の厳しい自然にさらされた川旅に比べると、ドーソンシティーは疑いもなく極北のパラダイスだ。ゴールドラッシュの時代、一攫千金を得た者は、この街で全てをゼロに以下にさせられてしまったのだろう。
精を抜かれてしまうのも無理はない。私もこの街の居心地の良さに出発を一日一日と延ばしていた。(p.98)
結局、彼らは、帰国の航空チケットを購入し、アラスカを回って帰ることにしたという。
この街は、男をダメにする。(p.99)
ほとんどの熊は、人を避ける傾向にあります。しかしながら、毎年多くの熊が熊を恐れる人によって、殺されるのです。(p.105)人間が住む地域で餌にありつく習性になってしまった熊はたしかに危険だけれど、それ以外の自然に生息する熊は、威嚇しない限りパンフレットのある通り。だから、著者は、銃の代わりにギターをカヌーに積んでいた。
「凍ったユーコン川は、きれいだよ。夏は、こんな泥川だけどね、冬には透き通って、魚が泳いでいるのが氷を通して見えるのさ」ユーコン川の上流で、セントエライアス山脈を源流とするホワイトリバーが合流している。この川の水は、火山灰のシルトで白濁しているけれど、冬場はこの地域が凍結するからユーコン川全体が透明になるのだという。
驚いた。鳥肌が立った。(p.155)
フランク安田が率いてきたエスキモーの人々は、そのころエスキモー語を話していたが、英語教育や白人文化の浸透により、世代に語り継ぐ言語や文化の喪失につながったのかもしれない。同じモンゴロイド同士なのに確執があったという話は残念だけれど、食糧が豊富でない地域では、地球上どこへ行っても苛烈な現実になってしまったのだろう。
また、フランク安田が率いてきたエスキモーの人達は男女、子供を含め200人ほどだった。
周りがアサバスカンインディアンの土地の中で200人という数は、種を保存するには、あまりにも小さすぎたのだろう。
インディアンとエスキモーの確執は、とても古い時代からあった。インディアンの中でも多くの部族にわかれ、抗争を繰り返してきたことを考えると、比較的排他的な彼らが共存するというのは、とても珍しいことだった。(p.241)
ビーバー村の村人のほとんどが既にインディアンの顔をしていた。エスキモーの人々は日本人にそっくりな顔をしているので、その違いがよくわかる。
外では、頭にバンダナを巻いた小麦色の子供たちが無邪気に遊んでいた。フランク安田が率いたエスキモーの人々から数えると、この子ども達はもう4代目になる。(p.242)

脳の損傷が起す様々な心理症状は驚くべきものだが、同時に一部の軽微なものは我々にも多少の心当たりがある。正常と異常、通常と非情の線引きは難しい。そしてそこから導き出された心の傾向は人の知覚の限界を示す。

コランとクロエ、シックとアリーズ、二組のカップルの恋の顛末。幻想的で現実には起こりえないような場面ばかりの小説である。

日本人がこんなことをしてきたことを、知っていますか?

前書のパワーと比較するとずいぶんと劣る。贅肉が多すぎて読みにくい。近未来人類滅亡カウントダウンな世界で、三人の富豪と一人のチャイナの女性が無人島に・・・。

本に選ばれた少年。本は彼に何を求めたのか?
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