心は自己中心的である。
社会や世界をどう見るかは、個人個人で大きな違いがある。人と人との関係で言うならば、偏見こそ常態である。
われわれが経験し、生きている世界はかなり選択的で、恣意的なものである。
心は鏡のように周囲を映すものではない。自分の間尺に合わせて、周囲を切り取っている。
脳損傷が引き起こす、多様な心理症状を脳損傷の部位や量と対比させて心と脳の関係を探ってゆこうとする研究領域である神経心理学。その立場からの考察をまとめたのが本書である。前半は、脳損傷のため言葉や知覚、記憶に起こる、一見すると不思議な症状の具体例を挙げている。それはそれで面白いのだが、言ってみれば症例の羅列に過ぎず、興味も限定的だ。
しかし、最期に著者がまとめた上記の心についての考察は非常に考えさせられた。AIの能力が著しい進歩を遂げている現代においては、本書が書かれた当時よりも、人間の心についての考察は深まっているのかもしれないが、自分自身を含めた我々一般の人々は、人間に対して過剰な自信を持っているような気がする。どんなに注意深く世界を眺めても、どんなに深く真理について考えたとしても、しょせん人は個人の経験の範囲でしかものは見えないし、考えることにも限界がある。
それについて言葉の章が分かりやすく説明してくれている。単語とは音声に、それが現わす意味のイメージが表裏一体にくっついてできているもの。ところが、その意味のイメージは、どうしても個人個人が生まれてから過ごして来た人生の経験に左右されてしまう。個人を超えた普遍的な意味など望むべくもない。まして、その組み合わせである文。それをさらに編み上げて作られる文章などに至っては、書いた人が与えようとする意図と、受け取る人が考える意図が完全に一致するなどといいうことはあり得ない。
一概に欠点とは言えないだろうが、脳には他にも様々な傾向がある。対象同士を関連付けて考える傾向。何かしらの意味や象徴を見ようとする傾向。相手を分類し、ラベルをつける傾向。ないものを勝手に補ってしまう傾向。もしかするとこれらはAIが活躍する場面であれば、人間がもっているエラー要因の原因と考え得るかもしれない。が、これらが神話や宗教を生み出して来たとも思え、すべてを否定する気にもなれない。
人間は本性として暴力的なものを抱え込んでいる。どこかでそんなことを読んだ。そして、本書によれば心は自己中心的で、他人と本当にわかりあうことも、かなり難しそうだ。こんなに科学や文明が進歩したと自慢したとしても、争いも不平等もなくならないのは、当然のことなのかもしれない。けれど、そのことを踏まえた上で理解し合うための努力をすることが肝要なのだろう。
【読了日2026年4月9日】
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