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「パパ、褐色って、白色より絶対いいんだよね?」「そう考える人もいるよ。だけどね、アメリカ人っていうことの方が、そのどっちよりもいいことなんだ」(本書収録『黒いボール』の親子の会話より)

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
ラルフ・エリスン短編集
ラルフ・エリスン(1914-1994)は、主に『見えない人間』(1952年)で20世紀を代表する黒人文学者の一人として名を残しています。本書は死後の1996年刊で、13編収録されていますが、うち6編は生前未発表とのことです。例によって、特に印象的なものを紹介します。


●『広場のお祭り騒ぎ』

『アメリカン・マスターピース 準古典篇 (柴田元幸翻訳叢書)』に『広場でのパーティ』というタイトルで訳されており、そちらで既に読んでいた作品ですが、本書のベストではないかと思います。『アメリカン・マスターピース 準古典篇』のレビューでは、次のように書きました。

「本作は死後発掘されてものだそうで、執筆年は1930年代の後半と推測されています。町の広場で行われた『パーティ』と呼ぶ、黒人へのリンチ殺人を、白人少年の視点から描いた作品なので、発表など夢にも思わずに、書いたものなのでしょう。殺される黒人と、面白半分にリンチを行う白人たちの対比と凄惨な描写に息を呑みます」

補足すると、白人少年の一人称で黒人リンチの様子を語った小説と言うのは、あまりないのではないかと思います。リンチも火刑という方法で、白人少年の目に焼きついた黒人の断末魔の描写は強烈なものがあります。こういう設定ゆえに、作者は発表できないと考えていたのではないでしょうか。リンチを扱った小説となると、やはりフォークナーの『乾いた九月』を真っ先に思い出すのですが、それに並ぶ作品だと思います。

●『列車に乗った少年』

父親を失ったばかりの少年ジェームズの一人称で、それまで住んでいたオクラホマ・シティから、母親の新しい働き場所マカレスターへ、まだ赤ん坊の弟と3人で列車で旅する姿を描いた作品です。少年にとっては、はじめて「世界」を見る機会でした。そして、母親はジェームズにこう言います。

「父さんと母さんはこの同じ鉄道で、はるばるジョージアからやって来た。14年前のことだった。生まれてくるおまえたちにとって、状況が少しでもよくなるかと思ってのことだった。ジェームズ、覚えておいておくれ。父さんと母さんは、南部ほど酷くはない少しでも良い社会を求めて、長い旅をしたんだよ。ジェームズ、それが14年前のこと。今じゃ父さんもいないし、お前が一家の柱だよ。社会は私たち黒人には酷いんだよ。私たち3人だけなんだから、離れないようにしないとね。社会は酷いから、戦わないと...絶対に私たち、戦わないと!...」

敬虔なクリスチャンである母親は、家族のために祈ります。

「主よ、この初めての町で、私たち親子3人が離ればなれになりませんように。道は暗く長く、私の不幸は耐えがたいほどでございます。ですが主よ、これがご意志であるならな、私に子どもたちの教育をさせてくださいませ。この人生をよりよく過ごせるよう、私に息子たちを育てさせてくださいませ。自分のためなどではありません。主よ、ただこの子たちのために私は生きたいのでございます。子どもたちをたくましく、正直な人間にしてくださいませ。そしてこの世での私の仕事が済めば、イエスさまの腕にやすらかに抱いていただき、あなたさまの国、天国へ私をお連れくださいませ」

祈りながら涙を流す母親を見て、ジェームズはなぜ母親が泣くのか考えます。

「パパが死んだからじゃなかった。そんなふうには思えなかった。何かほかのことが原因だ。大きくなったらそいつを殺してやる、と考えた。そいつがママを泣かせたみたいに、そいつを泣かせてやる」

そして思います。

「今は1924年だ。これからもママの言ったこと、ぜったいに忘れるものか」

実は、本書全体は、黒人の少年が大きくなって青年となり、社会の中で苦しむようになるまでを描いた連作短編集のような体裁をとっています。例外は『広場のお祭り騒ぎ』だけですが、これとて主人公が白人というだけで、少年の成長過程の1エピソードと捉えることはできます。

●『翼があったら』

本書には、ライリーとバスターという二人の親友の連作短編が4作収録されていて、本作は3番目のものとなります。前2作は『ミスター・トゥサン』と『昼下がり』で、最後の『皮を剥がれたインディアン』は少年から大人になる通過儀式をライリーの一人称で描いていますが、他の3作は三人称で描かれています。また、『ミスター・トゥサン』と『昼下がり』は、二人の少年の少年らしいというか、むしろ無邪気と言うか、男の子っぽいというか、二人の遊びの様子を綴ったものです。本作も、その路線の継続ではあるのですが、「空を飛ぶ」という行為が重要なモチーフとして出てくるのが特徴です。

つまり、二人が遊びのつもりで、ボロ布から作ったパラシュートを作り、それにヒヨコたちを乗せて、高いところから落とすのですが、途中でパラシュートがきかなくなって、地面に激突したヒヨコたちがみな死んでしまうという話なのです。黒人の地面を這うような生活と、「空を飛ぶ」ことと、自由とを象徴的に対比させた作品です。

●『名前を聞いておきたかった』

貨物列車に無賃乗車し、町から町へ移動していた黒人の季節労働者(ホーボー)が、ある時、同じ貨物列車に乗り合わせた白人の老夫婦においしいサンドイッチをわけてもらったりして親切にしてもらう話です。聞けば、彼らは5年前に家出した息子が入っている少年院を訪れる途中で、明日釈放される予定だと言うのです。そして、息子にはよく黒人と遊んでいたとのことでした。老人の方はこう言います。

「今は本当に幸せじゃよ。財産があったときには、息子がいなくなった。財産を失ってみれば、息子がわしらのもとに戻ってくる。幸せじゃよ」

主人公は、彼らと別れてから「名前を聞いておきたかった」と悔やむのでした。

行きずりの、社会の底辺に生きる人々の、人種や年齢など関係ない心の触れ合いが印象的です。

●『ビンゴゲームの王様』

妻がいまにも死にそうな病気の上、文無しで腹ペコの黒人の男が、映画館で同じ映画を3回も観ている場面から始まります。何故そんなところにいるのかと思うのですが、映画が終わってからビンゴ大会をやるからだと分かります。どうやら、映画を一回観るとビンゴの用紙を一枚もらえるようで、男はそれを5枚も持っていました。ビンゴが始まり、男は見事に最初にビンゴの名乗りを上げます。しかし、36ドル90セントの大当りを取るには、それだけではダメなのです。その後でそのために作られた回転盤の回すボタンを押し、ゼロとゼロの間、つまりダブルゼロのところで停止させなりません。男はそのボタンを押します。ところが、いつまで経ってもボタンを押しています。指を離さなければ、回転盤は静止しないのです。ついに、他の観客からヤジが飛び始め、映画館全体が険悪な雰囲気になっていきました。


さて、ラルフ・エリスンは、『見えない人間』が大成功を収めた反動か、第二作の長編を発表することなしに世を去りました。そういう意味では、『アラバマ物語』(1960年)を書いたハーパー・リー(1926ー2016)を連想します。ただ、本書を読むと、短編でもその才能を十分に発揮していたようで、長編にこだわらなくてもよかったのではないかと余計なことを考えてしまいます。英文Wikipediaによると、第二作は2000ページまで書いていたそうですが、完成しませんでした。本書では、エリスンの次の言葉が紹介されています。

「黒人の作家にとって一番の難題は、黒人ならこう感じるべきだとか、黒人ならこう感じなさいと促すのではなく、自分がほんとうにどう感じているかを書き表すことだ」

やはり、一種の完全主義者だったのだろうと思います。本人は『見えない人間』ですら、満足していなかったそうですから。

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  • 掲載日:2026/04/20
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