就職したての頃よく読んでいたのが、河出書房新社のシムノン「メグレ警視シリーズ」と講談社の『花田清輝全集』だ。
当時の僕は、花田のめくるめくばかりの華麗なレトリックに魅せられていたのだ。
僕が花田にたどり着いたのは、安部公房が「夜の会」※のメンバーであり、花田もまたそこに参加していたからだ。/
※「夜の会」:
評論家の花田清輝、画家の岡本太郎が発起人となり、総合芸術運動を掲げて1948年に発足した研究会。初期メンバーは野間宏、椎名麟三、埴谷雄高、佐々木基一など。後に、安部公房、関根弘が参加。彼らの多くは、綜合文化協会の機関誌『綜合文化』に携わった。(「美術手帖」ART WIKI より。)/
◯「歌─ジョット・ゴッホ・ゴーガン─」:
【ゴッホは熱帯へ行こうとはしなかった。このオランダ生れの小鬼のような顔つきをした男は、パリでは画商の店員、ロンドンではドイツ語とフランス語の教師、ベルギーの鉱山町ボリナージュては福音の伝道者、アルルでは(略)画家、そうして、ふたたびパリにあらわれたときには、狂人であった。(略)
ロンドンでみた労働者街の光景は、ボリナージュできいた落盤のひびきは、アルルで知りあった農民の話は─そうして、就中、果もなくつづく、かれの孤立無援の窮乏は、かれにたいして、この世のからくりの秘密をあかすとともに、身にしみて、生の立場の正しさを確信させた。かれは、かれらの味方であった。否、かれは、かれらのひとりであった。
かれらのひとりとして制作すること─(略)。
─中略─
アルルを吹きまくる朔風(ミストラル)を真向からうけながら、表現の苦労に痩せほそり、かれが、かれの肉体をすりへらしてゆけばゆくほど、反対にカンヴァスのなかでは、底流はいよいよ速く、光はめくるめくばかりになり、歌声はとどろきわたるのであった。平原が、丘陵が、樹々が、雲が、部落が、藁山が、色彩で燃えあがり、揺れ、わめき、身もだえをし、抑圧に抗して、いっせいに蜂起するもののように、堰をきって、画面いっぱいに、どっと氾濫しはじめるのだ。ゴッホはいう。「我々の探求するのは、タッチの落着きよりも、むしろ、思想の強度ではないか。(略)」と。
─中略─
ゴッホは敗北した。
─中略─
嘲笑することはやさしい。(略)しかし、それがなんだというのだ。(略)高らかに生の歌をうたい、勝ち誇っている死にたいして挑戦するためなら、失敗し、転落し、奈落の底にあって呻吟することもまた本望ではないか。生涯を賭けて、ただひとつの歌を─それは、はたして愚劣なことであろうか。】(本書。【】内以下同様。)/
かつて、こんなにも熱い評論があっただろうか。/
◯「汝の欲するところをなせ─アンデルセン─」:
【アンデルセンは、エゴイストであった。こういうと、かれを夢みがちな、やさしい詩人のように思っている人びとのなかには、或いは腹をたてるひともあるであろう。しかし、子供は大ていエゴイストであり、「永遠の子供」が「永遠のエゴイスト」であったにしても、かくべつ不思議なことはないのだ。
─中略─
歯にきぬきせずいうならば、アンデルセンは、単に無邪気なエゴイストであったばかりではなく、また、非情冷酷なエゴイストでもあったのだ。
─中略─
第一作の有名な『火打箱』からうかがわれるものは、当時、かれが孤独である上に、貧乏でもあり、なんとかしてこの窮境を打開したいと思いつめていたにちがいないということだ。お金が欲しい。そのためには、魔女の一人や二人くらい、殺したところで構わないと考えている。これはまさしくラスコーリニコフの心境である。事実、かれ(『火打箱』の主人公の兵隊。引用者注。)はお金を貰った上で魔女を一刀の下に斬り殺す。しかし、あくまでエゴイストであるかれは、『罪と罰』の主人公みたいに、そのためにくよくよと煩悶したりしない。】/
このくだりにきて、アンデルセンも、その物語も、僕の頭のなかから消し飛んで、雑念が次から次へと雑草のようにわいてきた。
引用文中の「アンデルセン」の部分を、「プーチン」、「ネタニヤフ」、「トランプ」に置き換えてみてほしい。
聞くところによれば、世間には「恐るべき子供たち」という小説があるらしいが、たぶんそれはプーチン、ネタニヤフ、トランプたちのことではないだろうか?
花田先生にはまことに申し訳ないが、この評論を読んで僕の脳裏に浮かんできたのは、幼児が遊び飽きたおもちゃを壊すように、プーチンが、ネタニヤフが、トランプが、会心の笑みを浮かべながら世界をボロボロに破壊している姿だ。
見れば、奴らは口もとからダラダラと涎さえ垂らしている。/
◯「晩年の思想─ソフォクレス─」:
【いかにも眼のみえるようになったオイディプスは、そのまま死んでしまったが、その眼を自らの眼として生きつづける我々には、もはや青春とは愚昧以外のなにものでもないのだ。ルネッサンス的人間の自己否定は敗北ではなく、我々はかれらの落莫とした晩年を、身にしみて感じないわけにはいかないのだ。喝采を放棄し、尾羽打ち枯らさなくて、なにができるか。我々の欲するものは栄光ではなく、屈辱なのだ。】/
尾羽打ち枯らした僕のような人間にとっては、なんと勇気づけられる言葉だろうか。/
◯「探偵小説論」:
【今日の探偵小説の世界に新しいいぶきを吹きこむためには、我々は「偽計」と絶縁し、ふたたび「古き惨虐性」に帰る必要がある。それは論理を捨て去ることではなく、逆に論理本来の機能を回復することであり、(略)殺人の構成に不可欠の要素として、さまざまな企み、光と影、群集、詩、感情といったようなものを、懐疑や神秘の雰囲気のなかに置いてみることである。
かかるとき、なんと我々の日ごろ見なれた街頭風景が、疾走する乗物が、雑沓が、なんでもない人々の動作が、気にもとめなかった一箇の静物が、突然、戦慄と不安とにみちて、我々の眼にうつりはじめることであろう。これこそ現実の真の姿である。(略)新しい探偵小説の世界は、それらの事実にむかって、否応なしに、我々の視線を向けさせることになるであろう。
─中略─
それは血なまぐさい闘争の叙事詩であり、人間心理のもっとも激越野卑な、悪意ある情念の記録であり、不正なものに対抗して、一歩も後にひこうとはしない凄烈な気魄の表現であり、あらあらしい暴力の火花をちらす、戦慄と不安とにみちた世界の物語だ。】
この評論は、「自明の理」(1941年)に収録されたものだ。
前段の、特に【日ごろ見なれた街頭風景が、(略)なんでもない人々の動作が、(略)
気にもとめなかった一箇の静物が、突然、戦慄と不安とにみちて、我々の眼にうつりはじめることであろう。これこそ現実の真の姿である。】あたりには、あきらかにロシア・フォルマリズム、シクロフスキーの「異化」の薫りが濃厚に立ちこめている。
ロシア・フォルマリズムは、1910年代から30年代にかけての文学運動で、シクロフスキーの「言葉の復活」は1914年、「手法としての芸術」は17年なので、
左翼系の作家・文芸評論家だった花田がそれらを読んでいたか、少なくともそれらを知っていた可能性はかなり高いのではないか?/
ここで、花田が述べている主張は、ミステリー界における「本格ミステリ」や近年の国内における「新本格」派や、彼らを擁護する笠井潔の「探偵小説と記号的人物」などの考え方とは真向から対立している。
もちろん、花田の評論は八十年以上前に書かれたものであり、たしかに古いと言えば古いが、一方、「新本格」派の方も、一部の中国人作家などにその影響が見られるとはいえ、言ってみれば日本独自に進化を遂げたガラパゴス的な作風ではないだろうか?/
あいにく、僕は「本格ミステリ」には小説としてあきたらないものを感じる一方、血なまぐさい暴力シーンが多い「ノワール」も苦手である。
どちらかと言えば、文学としても読みごたえのある松本清張のような「社会派ミステリー」が好きなのだ。
ただ、この評論を読んで、花田先生がそこまで言われるのならと、少しだけ「ノワール」が読んでみたくなってきた。/
◯「悲劇について」(初出:1939年):
この短編小説を読み出して、思わずドキッとした。
どうも上手く言えないが、どこか安部公房の臭いがするのである。/
【あの事件以来すでに八年たつが、なお一箇の帽子の影像が僕の記憶になまなましく残り、ともすれば、僕を不安にする。それは平凡な黒いベレ帽だ。どこにでもある代物だけに、ふと行きずりにそんな帽子をかぶっている人をみかけたりすると、今でも僕はなぜか心の落着をうしなってしまう。たちまち泡のようなものが、最初はとぎれとぎれに、胃袋のあたりから咽喉にむかって実にはげしい勢でこみ上げはじめる。そうして、泡は、やがてそれをつとめて抑えつけようとする僕の意志を無視して、逞しい一本の線となり、絶えず僕の身うちをするどく掻きむしりながら、ぐんぐん猛烈な勢で奔騰し出すのだ。】/
「物の論理」とでも言うべき、安部と共通のものを感じるのだ。
プロット的には、この短編は、書けない画家の「僕」が、友達の売れっ子画家のメエ・オンを発狂させて復讐しようというものであり、《極限的な飢餓状態にある「おれ」が、資本家の夫人である「女」を騙して阿片中毒にし、財産を奪うことで「復讐」をする物語である》(岩本知恵「自他境界は欲望する─安部公房「飢えた皮膚」論─」より。)安部の「飢えた皮膚」(初出:1951年)とよく似ている。
というか、花田の「悲劇について」の初出の方が1939年と古いので、安部の「飢えた皮膚」が、「悲劇について」のプロットに似ていると言うべきだろう。/
《安部 戦後、僕が小説を書き始めてから、一番共感をもてたのはやはり花田清輝だろう。いろいろ意見のくい違いもあったけど、芸術観というか、感受性でやはり抜群だったと思うな。
─中略─
安部 (略)いろんなことを教えてもらったよ。それに花田清輝は人間的に好きだったから、彼が運動、運動といえば僕もよろこんで乗っかって一緒にやったけど…》(安部公房『都市の回路』(安部公房全集第26巻/新潮社/1999年)/
安部がこう話しているからと言って、彼が花田を模倣したとは思えない。
たぶん、感性の面で強い親近性があったということではないか?/
◯「ロビンソン・クルウソオ」(『錯乱の論理』1947年):
【『ロビンソン・クルウソオ』には単調な波の音と微風と、世界を股にかけてとびあるくヨオクうまれの船のりの闊達さと─一言にしていえば大きな空間と、空間に対する挑戦がある。(略)
それは日常的生活からの奔放な脱出を促すものではなく、却って脱出それ自体が、本来の意味における日常生活への復帰にほかならないことを教える。冒険は漂流にではなく、むしろ定住にある。分析的な知性によってたてられた慎重な計画とその計画をつぎつぎに実現してゆく執拗な行動力と─そこには冒険譚にはみられない、生まなましい建設への情熱がある。】/
これは、安部公房『砂の女』(1962年)ではないか?
砂の穴に閉じ込められた男の発明、毛管現象による井戸の発見。
僕にはそうとしか思えない。/
◯「二十世紀における芸術家の宿命─太宰治論─」:
【ジョイスが、アイルランド文芸復興に冷淡であったのは、フォークロアに興味をもつイエーツらが、ナショナルなものを、単にナショナルなものとして押し出そうとしたからであって、なにもナショナルなもの自体に芸術的価値をみとめなかったからではなく、逆にその価値をかれら以上にみとめていればこそ、かれはナショナルなものを、インターナショナルに生かしたいと思ったのだ。】/
悲しいことに、この著作集にはたった一ページの解説さえついていないのだ。/
◯参考文献:
・「安部公房と花田清輝の関係について」(岩田英哉“Abe Kobo's place”(安部公房の広場)/
・安部公房全集第26巻(新潮社/1999年)/
・岩本知恵「自他境界は欲望する─安部公房「飢えた皮膚」論─」/
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