爽風上々さん
レビュアー:
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著者の川田さんは西アフリカの現地調査が専門の人類学者です。そしてまた、幼いころから落語に触れる機会が多かったということです。それが出会うとどうなるか。
人類学者の川田さんは西アフリカのモシと呼ばれる人々を現地調査することを専門に研究を進めてきました。
しかし、幼い頃から落語に触れる環境に育ったために日本の落語は名人と呼ばれる落語家たちの名演をじかに聞くことができたという、非常にうらやましい経験をしてこられました。
この本では前半に日本落語界の様々な思い出を、そして後半ではアフリカのモシ社会における一種の落語、家族や村落共同体で楽しむ話芸について解説しています。
日本の落語界を脇から支えてきた人に、今村次郎、信雄の父子がいます。
父親の次郎は明治時代に落語の速記を行って落語口演の記録ということを始めた人で、その後落語研究会という組織を立ち上げ落語界の正常化に力を注ぎました。
息子の信雄も父親の跡を継ぎ落語研究会をまとめてきたそうです。
その今村信雄と、本書著者の川田氏は縁戚ではなかったようですが、親戚同様の付き合いを家族ぐるみでしており、幼い頃には信雄氏に連れられて寄席へ通い、当時の名人の噺を実際に聞いていたそうです。
明治時代になり落語の口述速記というものを始めるまでは、落語の筋書きを文字にしたというものはありませんでした。
それを今村次郎氏などが徐々に記録していき、ようやく記録が整っていきました。
それは作家の人々にとっても大きな参考となるものでした。
言文一致という運動が起きたものの、実際にどのような言葉を文字にしていくかということは雲をつかむような話でした。
そこで二葉亭四迷は圓朝の落語を参考にしたという伝説があります。
ただし、圓朝の噺というものが当時の落語界で一般的というわけでもなかったようです。
圓朝は生涯ほぼ東京の下町と呼ばれる地域に住んでいましたが、その言葉遣いには下町らしさが希薄です。
一人称代名詞として「あたし」「あっし」という言葉が使われることはなく、必ず「わたくし」です。
さらに語尾もほぼ「でございます」を使っています。
これには圓朝の生まれが関わっているのではないかということです。
圓朝の父親は音曲師で噺家の橘屋圓太郎ですが、その父親は加賀大聖寺藩の藩士の息子でした。
そのような徳川幕藩体制の侍の末裔ということが圓朝の言葉遣いのこだわりにつながったのかもしれません。
アフリカの現在で言えばブルキナファソ南部に暮らすモシと呼ばれる人々の社会を著者は長期間共に暮らしながら観察してきました。
モシ社会には日本の落語と型式は異なるものの、内容は落語とそっくりという「ソアスガ」と呼ばれる風習があります。
同じ村落に暮らす一族知人が夜になると集まって、皆が得意の小話や長話を披露するというものです。
子どもから年寄りまで、多くの人々が代わるがわる話していくのですが、やはり話名人という人はいて、それがトリを務めるという形式も見られます。
話の内容は、王族や貴族をからかうようなものから、露骨な下ネタまでさまざまのようです。
なお、話す人は男女どちらも居るのですが、なぜか中高年以上の男性は加わらないそうです。
そのため名人役となるのは高齢女性が多いようです。
社会はやはり男性優位であり、中高年男性は村落の支配層であることがその理由のようです。
日本の落語界の話、アフリカモシ社会の話、どちらも興味深い内容でした。
しかし、幼い頃から落語に触れる環境に育ったために日本の落語は名人と呼ばれる落語家たちの名演をじかに聞くことができたという、非常にうらやましい経験をしてこられました。
この本では前半に日本落語界の様々な思い出を、そして後半ではアフリカのモシ社会における一種の落語、家族や村落共同体で楽しむ話芸について解説しています。
日本の落語界を脇から支えてきた人に、今村次郎、信雄の父子がいます。
父親の次郎は明治時代に落語の速記を行って落語口演の記録ということを始めた人で、その後落語研究会という組織を立ち上げ落語界の正常化に力を注ぎました。
息子の信雄も父親の跡を継ぎ落語研究会をまとめてきたそうです。
その今村信雄と、本書著者の川田氏は縁戚ではなかったようですが、親戚同様の付き合いを家族ぐるみでしており、幼い頃には信雄氏に連れられて寄席へ通い、当時の名人の噺を実際に聞いていたそうです。
明治時代になり落語の口述速記というものを始めるまでは、落語の筋書きを文字にしたというものはありませんでした。
それを今村次郎氏などが徐々に記録していき、ようやく記録が整っていきました。
それは作家の人々にとっても大きな参考となるものでした。
言文一致という運動が起きたものの、実際にどのような言葉を文字にしていくかということは雲をつかむような話でした。
そこで二葉亭四迷は圓朝の落語を参考にしたという伝説があります。
ただし、圓朝の噺というものが当時の落語界で一般的というわけでもなかったようです。
圓朝は生涯ほぼ東京の下町と呼ばれる地域に住んでいましたが、その言葉遣いには下町らしさが希薄です。
一人称代名詞として「あたし」「あっし」という言葉が使われることはなく、必ず「わたくし」です。
さらに語尾もほぼ「でございます」を使っています。
これには圓朝の生まれが関わっているのではないかということです。
圓朝の父親は音曲師で噺家の橘屋圓太郎ですが、その父親は加賀大聖寺藩の藩士の息子でした。
そのような徳川幕藩体制の侍の末裔ということが圓朝の言葉遣いのこだわりにつながったのかもしれません。
アフリカの現在で言えばブルキナファソ南部に暮らすモシと呼ばれる人々の社会を著者は長期間共に暮らしながら観察してきました。
モシ社会には日本の落語と型式は異なるものの、内容は落語とそっくりという「ソアスガ」と呼ばれる風習があります。
同じ村落に暮らす一族知人が夜になると集まって、皆が得意の小話や長話を披露するというものです。
子どもから年寄りまで、多くの人々が代わるがわる話していくのですが、やはり話名人という人はいて、それがトリを務めるという形式も見られます。
話の内容は、王族や貴族をからかうようなものから、露骨な下ネタまでさまざまのようです。
なお、話す人は男女どちらも居るのですが、なぜか中高年以上の男性は加わらないそうです。
そのため名人役となるのは高齢女性が多いようです。
社会はやはり男性優位であり、中高年男性は村落の支配層であることがその理由のようです。
日本の落語界の話、アフリカモシ社会の話、どちらも興味深い内容でした。
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小説など心理描写は苦手という、年寄りで、科学や歴史、政治経済などの本に特化したような読書傾向です。
熊本県の片田舎でブラブラしています。
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- 出版社:青土社
- ページ数:0
- ISBN:9784791771301
- 発売日:2020年01月23日
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