ひとり暮らしの人も、家族と暮らす人も、自分の家は自分のものと思っているだろうが、実はそんなことはない。「家」に住んでいるのはヒトだけではなく、多種多様な生物もまた、自分たちの「家」として住んでいるのだ、というのがこの本の主眼。多種多様というのは文字通りの意味で、10や20、100ですらない、本書の著者らによれば、何と、20万種もの生き物がヒトとともに暮らしているのだという。
まさに「生態系」としかいいようのない大集団である。
多くの生態学者にとって、研究すべき「フィールド」とは森や山、川や海、ジャングル、サバンナなど、「ここ」ではないどこかを指す。いわゆる「自然」の中だ。
だが本書の著者らは、実は「家」の中にもさまざまな生物が潜むことに気付く。
シャワーヘッドに潜む微生物。地下室にいつの間にか住み着いたカマドウマ。窓枠にいるハエやクモ。そしてさらにそれらに寄生する細菌やファージなども。
今までは、生物そのものを見つけ出し、培養して増やすなどしなければ検出できなかったものが、近年の分析技術の発展により、微量のDNAから生物種が特定可能になった。
そのため、生物叢の研究は飛躍的に進んだ。
「家にいるのはあなたやあなたの家族だけでなく、小さな生き物がごまんと、いや20万ほどいる」と聞いたら、仰天して、駆除したり除菌したくなったりする人もいるだろう。
だが、ことはそう簡単ではない。なぜならこれらは「生態系」だから。
自分にとって好ましくないものを省こうとしても、それだけが死ぬわけではなく、すべてのものが死んでしまう。あるいは、弱った生態系の中で、病原性の高いもののみが生き残る。
結果、自分が意図したのとは逆の、もっと好ましくない状態になってしまうことが往々にしてある。
子供のころから多様な生物に触れていることは、想像する以上に重要なことのようである。著者らは自宅の裏庭の生物多様性と子供のアレルギーの度合いの関係を調査した。その結果、裏庭が自然豊かであればあるほど、子供の皮膚から検出される細菌は多様になり、こうした子供ではアレルギーの度合いが低い傾向が明らかに認められた。
著者は研究ネットワークを作るのに非常に長けた研究者である。昆虫分類のエキスパートやチャバネゴキブリの味覚ニューロンを調べ続ける研究者など、研究者仲間の尖がったエピソードもなかなか楽しい。
一方で、著者はまた、一般の人々を研究に取り込むのもうまい。世界各地から集められたシャワーヘッドのぬめりサンプルなくして、大規模な調査はありえなかった。これらの分析から、地理的な相違も重要だが、水道水を使用しているか井戸水を使用しているかでも大きな違いがあることが見えてきた。
終章がなかなか示唆に富む。
発酵食品は世界各地に多様なものが存在するが、その味は作り手に左右されることが実に多い。同じようにキムチを仕込んでも、同じように糠漬けを漬けても、同じようにチーズを作っても、同じ味になることはない。著者は、それは作り手の「手」やその「家」に住み着いた微生物によるのではないかと推測する。そこで実験として、多くのパン職人の協力を得て、パンを作ってもらい、作り手の微生物とパンの風味の関係を調べてみる。結果は読んでのお楽しみということにしておこう。同じく発酵の産物であるビールと合わせて、パンをテイスティングするシーンがこの章のクライマックスで、何だか不思議な多幸感を誘う楽しい一節である。
地下室に住み着いたカマドウマを調べる一環で、著者らはカマドウマの体内に住む細菌が、製紙工場の廃液中のリグニンを分解して、利用しやすい小分子炭素化合物にする能力を持つことを見出す。リグニンの分解はかなり困難で、分解能を持つ上に実用に向く細菌は知られていない。カマドウマ由来の細菌は実用に耐える可能性があるようだ。
それはそれで結構なことだが、実のところ、こうした実利的な部分はおまけのようなものであり、生態系が豊かであることの利点は、生態系が豊かであるということ自体なのではないかという気もしてくる。
カマドウマが何かの役に立たなくたっていいじゃないか。カマドウマのいる世界は多分、いない世界よりちょっと「よい」世界なのではないだろうか。




分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
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この書評へのコメント
- ぽんきち2021-06-21 20:20
>キノコの一種がリグニンの分解酵素を持ったことが、石炭紀が終わった原因
ああ、そうなんですか。なるほど。それはかなり大きい話ですね。おもしろそう。
カマドウマの話は、地下室で見つかったことから、元々は洞窟生物だったのではないか、そうだとしたら栄養分が少ない環境の中で何か特殊な能力をカマドウマの腸内細菌が持っているということもありうるのではないか、という発想から始まっています。
で、有害化学物質を無毒化する微生物について研究している研究者に、スクリーニング材料として何か良いものはないかと相談したところ、製紙工業の廃液である黒液はどうかと提案されて調べてみた、という流れです。
真菌がリグニンを分解する例は知られていたものの、黒液の分解ができるものはほとんど見つかっていなかったのだそうです。それがカマドウマ由来の細菌で見つかったと思われるとのことなので、これはこれで大きな発見だと思います。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ゆうちゃん2021-06-23 14:52
最近の学説では、リグニン分解説は否定的で、石炭紀の終了は、地質学的な理由だと言うものもあるようです。
「近年有力になってきた説明のひとつは、腐敗の分解プロセスで中心的な役割を演じる石炭紀の真菌に、倒木を生化学的に分解する機能が単に備わっていなかったというものだ。初期の樹木は高く高く成長するために、幹を支えるより多くの内部強度を必要としていた。植物の多くはセルロースを含んでいたが、高くそびえる木に強度を与えていたのはリグニンと言う別の生態物質だ。リグニンはセルロースよりはるかに分解しにくい。だがより近年の証拠では、石炭紀の湿地で石炭を生成した最も一般的な種類の木には、実際にあまりリグニンは含まれていなかった。また、森がリグニンで自らを強化するのと真菌がそれを消化する能力を発達させるまでの進化上のタイムラグが理由ではなさそうである」。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ゆうちゃん2021-06-23 14:56
前段に続き「どうやら石炭紀に膨大な石炭鉱床が残された理由は、生物学なものではなく、地質学的な事情にあったようだ」とありました。ちょっとお茶を濁したかなと言う感じですが・・・。
「森がリグニンで自らを強化するのと真菌がそれを消化する能力を発達させるまでの進化上のタイムラグが理由ではなさそう」。このタイムラグは数千年単位くらいのものだと思いますが、これは共進化の性質を考えると納得的でした(ルイス・ダートネル 「世界の起源」から)
本書は朝日新聞の書評を読んで、う~ん、どうしようかと思ったのですが、以前に読んだ「土と内臓」に近いコンセプトの本で、取り敢えず読まない選択をしております。ぽんきちさんの書評はとても参考になりました。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ぽんきち2021-06-23 15:54
ゆうちゃんさん、ありがとうございます。
うーん、なるほど。進化、難しいなぁ。
タイムスケール的に実験で立証しにくいですし。
いろんな魅力的な仮説が出るのは楽しいところでしょうね。
>「土と内臓」
あー、なるほど。似ている部分もあるかなと思いますが、この本は、著者さんの語りが楽しかったかな。研究者にもいろんなタイプの人がいるでしょうが、この著者さんは人を誘い込んだり研究テーマにつながりを見つけたり、コミュニケーション能力に長けている感じがします。楽しんで研究されているようで、読み心地がよかったですね。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ゆうちゃん2021-06-23 17:06
ぽんきちさんの本文の通りで、コミュニケーション力がある人なのでしょうね。学者にしては珍しいタイプだと思います(最近はこう言う人が多い??)。
詳しくは掲げた本の第9章をご一読ください。石炭紀末期の気温の低下と海水準の不安定化、それとゴンドワナ大陸とローラシア大陸の衝突による造山運動による盆地の形成が関係しているようです(造山運動と言うと山だけ作るように思えますが、実際には高くなる部分と低くなる部分があります)。
三太郎さんのお説もそれほど古い説ではなく、私の引用した説がもっと新しい説だと言うだけのことです。こう言うものは学者の専門や立場などの関係もあり実証が難しいですね。ひと様の板をお借りしてすいませんでしたが、楽しい議論でした。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- 出版社:白揚社
- ページ数:0
- ISBN:9784826902236
- 発売日:2021年02月19日
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