ソネアキラさん
レビュアー:
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フロイト博士、文学をかく精神分析す

タイトルが気になって『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』 フロイト著 中山 元訳 を読む。
文学作品を文学的立場ではなく精神分析学的立場から解釈。その解釈が、なんかきわめて斬新。読後感が竹内康浩著の『謎ときエドガー・アラン・ポー -知られざる未解決殺人事件-』、『謎ときサリンジャー-「自殺」したのは誰なのか-』にも似ている。何篇かのうち2篇を取り上げる。
『不気味なもの』
まずは、「不気味なもの」の解釈。作品としてホフマンの『砂男』を分析する。
「E.イェンチュ」は不気味なものの卓越した事例として「外見からすると生きているように見えるのに、生きているかどうかが疑問に感じられるもの、その反対に、生命のないように見えるものが、生きているのではないかという疑問を呼びさますもの」を挙げており、具体的な」事例とした、蠟人形、精巧な人形、自動機械が引き起こす印象を挙げている」
ホフマンの『砂男』とは、「子どもを眠らせるため砂状の魔法の霧を目にふりかける」妖怪。主人公ナターナエルは子どもの頃、砂男を実在する人間と信じていた。青年になった彼にはクララという恋人がいた、しかし、美しいオリンピアに恋する。彼女は、木製の自動人形だった。ショックの余り、精神が錯乱状態となる。
「砂男の不気味さは、少年の去勢コンプレックスの不安によって生まれるのだと考えることにしよう」
「わたしたちは、自分の眼球が傷つけられるのではないか、目を失うのではないかという恐ろしい不安を感じる子供たちがいることを知っている。」
で、「砂男が、去勢するはずの恐ろしい父親の代理だと考えると、きわめて興味深いものとなるのである」
ブニュエルの映画『アンダルシアの犬』の有名なワンシーンとか。
「孤独、静寂、暗闇については、これらは多くの人間のうちで完全になくすことのできない幼児の不安に結びついた要因であることを指摘しておけば十分だろう。精神分析はこれらの問題について別のところで研究しているのである」
『ドストエフスキーと父親殺し』
「古今をつうじた文学の三大傑作が、どれも父親殺しという同じテーマを扱っているのは偶然ではない―ソフォクレスの『オイディプス王』、シェイクスピアの『ハムレット』、そしてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である」
ドストエフスキーの「4つの<顔>」とは。
「豊かな人格をもつドストエフスキーは4つの<顔>をもっていると言えるだろう。詩人としてのドストエフスキー、神経症患者としてのドストエフスキー、道徳家としてのドストエフスキー、罪人としてのドストエフスキーである」
「『カラマーゾフの兄弟』における父親殺しは、ドストエフスキーの父親の「殺害されるという」運命と明確な関係があることには、さまざまな伝記作者も注目している。―略―この体験こそがドストエフスキーの反応にこそ、彼の神経症の核心が潜んでいるのだと、精神分析に解釈しようとするのである」
フロイトの唱えたエディプス・コンプレックス。
「少年と父親の関係は、―略―両義的なものである。少年は(母親との愛情の関係で)父親をライヴァルとみなし、殺したいとまで憎んでいるが、同時に父親への愛情もある程度は存在している。この憎悪と愛が合流して、少年は自分を父親と同一視するようになる。父親をすばらしいと思うから父親にとって替わりたいと願う一方では、父親のようになりたいと思うので、父親を亡きものにしようと願うのである」
「ドストエフスキーが殺人者に示す同情は限りのないものであり、たんなる不幸な者への同情の域をはるかに越えている。―略―ドストエフスキーには犯人がまるで救済者のようにみえているかのようである。その犯人がやっていなければほかの人が犯したはずの犯罪を、わが身に引き受けているからである」
ドストエフスキーが好きな作家のひとりだという村上春樹。彼の『海辺のカフカ』とかにつながる。
『謎ときエドガー・アラン・ポー -知られざる未解決殺人事件-』竹内康浩著
『謎ときサリンジャー-「自殺」したのは誰なのか-』竹内康浩著 朴舜起著
『砂男/クレスペル顧問官』E.T.A.ホフマン著 大島ゆかり訳
文学作品を文学的立場ではなく精神分析学的立場から解釈。その解釈が、なんかきわめて斬新。読後感が竹内康浩著の『謎ときエドガー・アラン・ポー -知られざる未解決殺人事件-』、『謎ときサリンジャー-「自殺」したのは誰なのか-』にも似ている。何篇かのうち2篇を取り上げる。
『不気味なもの』
まずは、「不気味なもの」の解釈。作品としてホフマンの『砂男』を分析する。
「E.イェンチュ」は不気味なものの卓越した事例として「外見からすると生きているように見えるのに、生きているかどうかが疑問に感じられるもの、その反対に、生命のないように見えるものが、生きているのではないかという疑問を呼びさますもの」を挙げており、具体的な」事例とした、蠟人形、精巧な人形、自動機械が引き起こす印象を挙げている」
ホフマンの『砂男』とは、「子どもを眠らせるため砂状の魔法の霧を目にふりかける」妖怪。主人公ナターナエルは子どもの頃、砂男を実在する人間と信じていた。青年になった彼にはクララという恋人がいた、しかし、美しいオリンピアに恋する。彼女は、木製の自動人形だった。ショックの余り、精神が錯乱状態となる。
「砂男の不気味さは、少年の去勢コンプレックスの不安によって生まれるのだと考えることにしよう」
「わたしたちは、自分の眼球が傷つけられるのではないか、目を失うのではないかという恐ろしい不安を感じる子供たちがいることを知っている。」
で、「砂男が、去勢するはずの恐ろしい父親の代理だと考えると、きわめて興味深いものとなるのである」
ブニュエルの映画『アンダルシアの犬』の有名なワンシーンとか。
「孤独、静寂、暗闇については、これらは多くの人間のうちで完全になくすことのできない幼児の不安に結びついた要因であることを指摘しておけば十分だろう。精神分析はこれらの問題について別のところで研究しているのである」
『ドストエフスキーと父親殺し』
「古今をつうじた文学の三大傑作が、どれも父親殺しという同じテーマを扱っているのは偶然ではない―ソフォクレスの『オイディプス王』、シェイクスピアの『ハムレット』、そしてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である」
ドストエフスキーの「4つの<顔>」とは。
「豊かな人格をもつドストエフスキーは4つの<顔>をもっていると言えるだろう。詩人としてのドストエフスキー、神経症患者としてのドストエフスキー、道徳家としてのドストエフスキー、罪人としてのドストエフスキーである」
「『カラマーゾフの兄弟』における父親殺しは、ドストエフスキーの父親の「殺害されるという」運命と明確な関係があることには、さまざまな伝記作者も注目している。―略―この体験こそがドストエフスキーの反応にこそ、彼の神経症の核心が潜んでいるのだと、精神分析に解釈しようとするのである」
フロイトの唱えたエディプス・コンプレックス。
「少年と父親の関係は、―略―両義的なものである。少年は(母親との愛情の関係で)父親をライヴァルとみなし、殺したいとまで憎んでいるが、同時に父親への愛情もある程度は存在している。この憎悪と愛が合流して、少年は自分を父親と同一視するようになる。父親をすばらしいと思うから父親にとって替わりたいと願う一方では、父親のようになりたいと思うので、父親を亡きものにしようと願うのである」
「ドストエフスキーが殺人者に示す同情は限りのないものであり、たんなる不幸な者への同情の域をはるかに越えている。―略―ドストエフスキーには犯人がまるで救済者のようにみえているかのようである。その犯人がやっていなければほかの人が犯したはずの犯罪を、わが身に引き受けているからである」
ドストエフスキーが好きな作家のひとりだという村上春樹。彼の『海辺のカフカ』とかにつながる。
『謎ときエドガー・アラン・ポー -知られざる未解決殺人事件-』竹内康浩著
『謎ときサリンジャー-「自殺」したのは誰なのか-』竹内康浩著 朴舜起著
『砂男/クレスペル顧問官』E.T.A.ホフマン著 大島ゆかり訳
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女子柔道選手ではありません。開店休業状態のフリーランスコピーライター。暴飲、暴食、暴読の非暴力主義者。東京ヤクルトスワローズファン。こちらでもささやかに囁いています。
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- ページ数:340
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