本書は、1983年に刊行された「日本語の世界」シリーズの1冊を文庫化したもので、大野晋や丸谷才一、山崎正和といった名うての論客が筆を執っています。加えて文庫版の解説には高島俊夫。好きな人にはたまらないことでしょう。
直截的なタイトルに比べ、冒頭におさめられている「国語改革の歴史」(戦前編は大野氏、戦後編は杉森久英氏による)は、類書の中でもコンパクトかつしっかりとまとめられており、意外な収穫でした。国語改革を第二次大戦をはさんでの数十年単位で見るのではなく、明治にまでさかのぼってとらえている視点は安心して読めます。
さて、本書もその一部をなす「国語国字論争」(日本語の表記をどうすべきかという論争。仮名遣いはどうすべきか、漢字かなまじりか、漢字を廃止するか、またはローマ字化してしまうか、など)とは、明治以来、多くの論客を巻き込んだ一大論争でした。
おそらく、日本の人文社会系の「論争」の中で、最大かつ最もスリリングな論争といってよいでしょう。それぞれの陣営が、持てる知識と教養とを総動員しての論争なのですから、面白くないはずがありません。また論者にとっても、政策に直に反映されること、またその国民全体への影響力などを考慮に入れれば、極めて「やりがい」のある論争だったことでしょう。
ところが、本書を読んでいると、だんだんとこの論争についていくのが面倒になってきます。おそらく、私自身がどっぷりと現代仮名遣いの中でのみ生きてきた世代のために、「批判派」と心情的に共有できるものがあまりないということも大きいのでしょう。本来、「国語改革批判派」は旧来の仮名遣いを重視する保守派のはずなのですが、私が読んでいると急進的な改革派に見えてきてしまいます。
また、様々な議論が積み上げられて行くたびに、「何かが離れて行く」ようにも感じるのです。母語のもつはずの身近さがうすまっていくとでも言いましょうか。身近なことばであるはずなのに、いつのまにか遠さを感じてしまうのは、なぜなのでしょう。なんだか少々淋しい気がしてしまったのです。
*初出:bk1 2005年4月4日
・再掲載にあたり、いくつか文言の修正や改行などを行いました。
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