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天下人となった豊臣秀吉。弟秀長の存在あっての出世への道だが、ふたりは異父兄弟だった。

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
  • 豊臣兄弟 天下を獲った処世術
  • by
  • 出版社:文藝春秋
豊臣兄弟 天下を獲った処世術
 豊臣秀吉を知っていても、弟秀長のことはあまり知らなかった。ただ、人格者だったことや秀長亡き後、秀吉をとめる人がいなかったという話はどこかで聞いたように思う。ふたりは、異父兄弟だったことや秀吉が16歳で実家を出たのは、母の再婚がきっかけだったこと、村でいじめの問題があったことなどが「太閤素生記」前田家に伝わる「国祖遺言」宣教師フロイスの「日本史」などから推測している。

 歴史小説とは違って、一次資料や信頼のおける資料をもとに磯田氏が推察しているところがとても興味深い。豊臣兄弟のなかで最も関心があるのが、なぜ明智光秀は本能寺の変をおこしたのかということだった。転換期となったのが、三木合戦らしい。秀吉と秀長が神戸と姫路の中間にある三木城を攻囲し、落城させたことが中国攻めで優勢にたった。本能寺の変の原因については、まだ答えがでてないとしながらも信長の戦略転換が光秀を追い詰めたとか、光秀が武田に内通していたふしもあるとか、信長の信頼を失い処分の対象になるのではといったことなどいくつかの要因があるらしい。

 そして、秀吉は当時窮地に陥り信長に援軍を頼んだが、その救援軍を明智光秀が止めてしまい助けに行かなかったとか。戦国大名は、「頼られたら必ず助けに行く」ことが大原則なのに、光秀はそれをしなかった。その結果秀吉には恨まれ、本能寺の変の後光秀に加担する者はほとんどいなかったらしい。この、三木合戦で武名を上げたのが秀長だったとか。

 秀吉の情報ルート、情報拠点も光秀と格段の差があったこともスゴイ。もともとは、信長の無理難題に応えるための情報網だったらしいが、秀吉が中国地方から素早く翻ることができたのも情報をキャッチしたり操作したりの結果だったのだ。人の心にスーッと入ってしまう人たらしの秀吉と、決して裏切ることのない秀吉を支えた秀長の存在。最強の兄弟だったことが伝わり、戦国時代のおもしさをまたひとつ感じることのできる内容だった。
 
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  • 掲載日:2026/05/14
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