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※ネタバレ注意!

あくなき「拡大、発展、成長」を目指す、ヒトという生物の未来予想図。

生殖記
『イン・ザ・メガチャーチ』で、2025年度の本屋大賞を受賞した、
今を時めく朝井リョウ氏の旧著。

ヒトという生物としての人間の生の在り様を
一人の若者の稀有な感覚を通して鋭く詳細に描いた物語。


決して一般化できない、生まれもった個しての感覚、
そしてそれに基づいて積み上げられた経験こそが、
その人の本質であり、その人が生き延びるにあたって
本当に必要なものなのかもしれない。

しかし、もしそんな個人の感覚が社会全体の中では異質なものであり、
しかもその共同体の是とする価値観や生き方にそぐわなかった場合、
その人がその社会で心身共に脅かされずに生きていくには、
どうしたらよいのだろうか。

この『生殖記』という作品は、そんな個人の感覚において少数派に生まれつき、
社会の中で生き延びるために、自身のナチュラルな感覚を
隠し続けて生活する、ある青年の物語だ。

青年の名前は達家尚成(たついえ・しょうせい)。
彼は幼少期にすでに自身が同性愛者であることを自覚する。
そして彼にとってはその自然な在り方が、
一般社会にとっては特殊であるばかりでなく、否定、場合によっては
排斥されかねない嫌悪の対象であることを身をもって悟る。

そしてその結果身につけた、自身の“しっくり”くる生き方が
以下の言葉に凝縮されている。

 だけど尚成、その気持ちを表出させることは絶対にしません。
 共同体の均衡、拡大、発展、成長に貢献したい気持ち、
 すなわち共同体感覚という、尚成のことを長年に亘って
 じっくりと嬲り殺してくれたものが“人生にとって大切なもの”と
 語られている間でさえ、です。
 大きなマットを皆で運んでいるときに大切なのは、その進行を邪魔しないこと。
 そのマット自体がどれだけどうでもよくても、
 その進路に全く納得感がなくても、それを悟られないようにしつつ、
 判断、決断、選択、先導を担うポジションに就かないようにしながら、
 ただただ歩くこと。
 手は添えて、だけど力は込めず。
 これが、今の尚成の“しっくり”です。

彼は自分にとってナチュラルな感覚(同性愛的感覚)を表に出すことなく、
その場を支配する空気に合わせて、無事に(?)生まれ育った家庭や学校、
故郷という共同体から離れ、就職して経済的に自立し、
自分個人の“しっくり”を内側に秘めて、一人で生きていく。

 その場の空気を読む能力だけは、尚成、なかなか高いんです。
 まあ、幼体のうちにその能力を高めざるを得なかったので、
 当然といえば当然ですが。
 ちなみに、この空気を読む能力にかつての尚成はとても救われ、
 殺されました。
 今、大多数のヒトからするとおかしな文章が登場したかもしれませんが、
 尚成にとっては真実なのでこのまま進めます。

尚成が生まれ育った共同体(両親、学校、故郷等)は、
彼のような少数者を認め難い場所だった。
生まれついたあるがままの自分が、他者にとって受け入れ難い存在と知ったとき、
ほとんどの人がそれを隠す──<擬態>に入るのではないだろうか。
尚成も、そうすることでかろうじて、
共同体の中で生き延びることができたのだった。

なぜ同性愛者が「複数のヒトが集まることで成立している共同体」において、
彼らが他者に危害を加えるわけでもないのに嫌悪され、
時には存在そのものを否定されるのか──尚成は思いを巡らせる。

 どの共同体も、均衡や維持、或いは拡大や発展や成長、
 それらのうちのどれかを目指して活動している、ということです。
 これは、もはや目指しているという意識すらなく、
 発生した瞬間には自然とその方向へと動き出している、
 デフォルトでそのような設定が組み込まれている、
 というレベルの話です。(中略)
 発生したその瞬間から次の一秒を生き延びるため
 生命体が呼吸を始めるように、共同体は発生したその瞬間から
 崩壊や縮小を回避すべく均衡や維持、或いは拡大や発展や成長を目指します。
 目指すというより、もうそういうものなのです。

彼がその原因として行き着いた答えは、
共同体そのものの「デフォルトの設定」にあるという。
ヒトという生物が形作る共同体にデフォルトに組み込まれた「設定」に
そぐわない同性愛者(彼らは子孫を残さないから)は、
それを阻害する存在──“悪”として排除される、という構造だ。

(尚成が生まれ育った地域社会や家族の在り方は特に、
彼のナチュラルに対して否定的な素因を比較的多く含む、
いわゆる保守的なものだったこともあり、
彼の<擬態>はより必須なものとしてより強固に
「デフォルト」で設定されているといえる)

また、たとえ尚成が無事就職し、経済的に自立したとしても、
彼が所属する会社、そして社会全体が、まさに「拡大、発展、成長」を是とする
初期設定であり続ける限り、それに反する感覚を持った彼が安全に、
穏やかに生活していくためには、そのまま擬態を続けるしかない。

会社はより利益を上げ、家族の中では子孫をつくって親となること──
「拡大、発展、成長」を是とする社会においては、果てしなく「次」を
求められるが、尚成は「次」を求める未来を描けない。

 好きな人との未来、好きな人との子ども、親になったという事実、
 独りで生きていく不安を打ち消してくれる何か。
 樹が「私はどれが欲しいのかにゃ~」と悩んでいた全て、
 尚成がとっくの昔に諦めて、それらにまつわる感情を司るアンテナごと
 捨ててきたものばかりでした。
 尚成、何もかもトリミングしてきました。
 異性愛個体が欲するようなものを何一つ享受できなくなったって
 歩き続けられるよう、神経を焼き切り、心を作り変えてきた人生でした。

「神経を焼き切り、心を作り変えてきた人生」──サラッと書いてあるけれど、
これはかなり苛烈な言葉だ。

尚成が選んだ<擬態>という生き方が、いつか限界がきて、
何か決定的な事件が起こり、<擬態>としての生活が破綻するのではないか、
という怖れを抱きつつ、読者は物語を読み進めていくことになる。

三十歳を超えた尚成は、その年齢に応じた会社での役割を与えられ、
彼の外部的要因が少しずつ変化していく。
会社では、リーダーとしての役目が期待され、
管理職への道が徐々に形作られていく。
同期の同僚たちも、それぞれ結婚や転職など、
次々に新たなステージへと進んでいく。
住み慣れた独身寮も遠からず出なければならなくなる。

ひたひたと近づく変化のなかで、尚成の一番の岐路となったのは、
会社の後輩が起業するために退社を決めて、
尚成に「一緒にやりませんか?」と誘った時ではないだろうか。

実は後輩も同性愛者で、彼は同性愛者がこれからもっと
生き易い社会を作るためのNPOを立ち上げる予定であり、
直接問い質しはしないが、どうやら彼は、
尚成も同性愛者だということを見抜いている様子。
しかしここでも尚成は“カミングアウト”することなく、
後輩の誘いをやんわりと断る。

(この部分で、この後輩の出自が、尚成と大きく異なっていた
ことが設定されている。
後輩は大都会のど真ん中で生まれ育ち、
家族も、彼が今まで属した学校などの共同体も、
同性愛者である理由で彼を排除しなかったことは、
同じ同性愛者といえども生まれ育った環境によって、
その生き方や、社会との関わり方が違ってくることを物語っている)

同性愛者としての自己を他者に堂々と開示している後輩は、
少数者でありながら、自身の生き方を「拡大、発展、成長」のラインに
乗せることができている点において、尚成とは逆の存在、
彼が背をむけた共同体の側の人間、ともいえる。

マイノリティを描いた物語では、同様の状況にある者同士が、
何らかの共感や協働を経て、それなりの関係性や居場所を見つけ、
そこに築かれた小さな運命共同体の中で、自己肯定的な生の在り方を見つけて
一つの救済を迎えるものが多いと思うのだが、
作者はこの尚成の物語には、そういう小さな希望の灯さえ準備しない。

マイノリティの中にもまた、尚成のようにただ生き延びるだけの
「サバイブの段階」の人もいれば、後輩のようにそこを終わらせ
「コンストラクション──構築の段階」に進み、
さらにはその世界(共同体)のために、悪い(とヒトが判断する)部分を正す
「レジスタンス──抵抗運動」を立ち上げる、
つまり「拡大、発展、成長」のラインに進む者も存在する。

そう、少数者の中においてもまた、生産性のある側の人間と
非生産的な人間とに分断される構造が、永遠に交わることの無い、
河の両岸のようにどこまでも横たわり続いているのだった。
まさに、逃げ場無し、といった感じだ。
ここがこの物語の最も深い肝の部分であり、現代社会と人間の在り方を
正確に見抜いている作者の洞察の凄いところだと思う。

 尚成はというと、発生したときからずっと、
 0に向かって進んでいる感覚です。
 いつか自分という個体と世界の仕組みが合致するような場所に
 辿りつけますようにと思いながら、独りで歩き続けているのです。
 与えられたこの個体で生きているというただそれだけの状態が、
 種の保存に背くとか生物学の根幹にあらがうとか言われないような場所を、
 ずっと探し続けているのです。

自分という個体の感覚を是として、共同体に認めさせ、
そこに自身の生きる場を作ろうとしている後輩とは対照的に、
「この心身を次の時間に無事運ぶこと」だけを考えている尚成。

一読者の安易な考えとしては、偶然の曙光として、尚成に相思相愛の恋人か
(最初、例の後輩とそういう関係になるのかとも思った)、
彼が心から安心してありのままの姿を見せることができる友人が登場すれば
(同期の二人:大輔と樹がそうなるのかと思った)…と若干願ったが、
やはり作者はそんな安易な恩寵では終わらせない。

尚成の<サバイブ>──生きる時間の過ごし方は、
物語の終わりに向かうにしたがって、
さらに徹底して自己完結への道を進み、他者が介在する余地もなく、
他者から見れば、理解不能な行動へと進む。

そして今まで比較的親しくしていた人たちからも、
違和感を持たれてしまい、最終的に彼らと尚成の間には、
今までになく表面化した区別のラインが薄っすらと引かれた感がある。

そして不穏な予感を感じた友人たちと対照的に、
自分の進むべき道を確信して、
今までになく幸福そうな尚成の姿を描いて物語は閉じる。

こう書くとまた、尚成の人生が出口無しの悲痛で孤独な物語のように
思われてしまうのだが、物語は驚きの出口を見つけて、
彼の生きる時間を未来へと繋げていく。


この物語を読んで私は個人的に、人間をヒトという生物として
生き続けさせている命の根源の在り様が分からなくなった。
まあ、普通に考えて、その実体を知ろうと知らまいと、
生きていくことには直接関係ないのかもしれないが…。

ここで語られているように、ヒトは個として、そして共同体として、
より強くより長く生き延びようとするために行動(均衡、維持、
拡大、発展、成長)する。生殖行為もその一環だ。

しかし、その在り様も、人間にとってより苦痛が少なく、
効率的な方法に変わっていくのかもしれない。
それが如何にナチュラルな行為ではないとしても。

アンコントロールラブが終焉を迎え、人が本能によってではなく、
出生率向上の名の下に、生殖医療が発展して体外発生が可能になれば
「異性愛者の持つ無意識的な特権意識が引き剝がされる」──
それが普通の状態になる未来を、尚成は<擬態>のまま、
自分を否定する共同体の発展になるべく寄与しないようにしながら、待ち続ける。
それが彼が選んだ最も幸福度の高い生き方なのだ。

もし、尚成が予想した世界が実現するとしたら、
それはたしかに彼にとって息のつきやすい世界なのかもしれないが、
それは本当に、ヒトという生物がコントロール可能な世界なのだろうか。

ここで示された共同体のデフォルトの世界も、
現実世界では「均衡、維持」が抜けて、
より強者・多数者の利益に叶う「拡大、発展、成長」が
標榜されつつあるように感じる。

より強い者、より多数者の幸福度を上げる社会に突き進むこの世界は、
果たして本当に持続可能な世界なのだろうか。

そして、そういう人間たちが、より苦痛なく、効率的に
子孫を残す方法を選ぶことが、本当にこの世界を持続可能にする
最も適正な手段なのだろうか。

ここで描かれた尚成の物語は、多くの人が日常生活のなかで
意識すらしない「普通の生活」の在り様のもつ隠れたグロテスクさを、
テンポの良い分かり易い文章とストーリーで私たちに伝えてくれる。
(物語の語り手が尚成の「生殖本能」だというのも面白い)

この作品を読んで、私は最近読んだ村田沙耶香氏の
『世界99』の世界を思い出した。
あの世界も、家事・育児だけでなく出生を人間から切り離し、
「ピョコルン」というロボットに担わせ、同性愛どころか、
性愛そのものの存在しない家族と社会の在り様を描いた物語だった。

そして、性欲の対象として、常に受動者として位置付けられた女性の在り様、
あるいは会社や社会全体の歯車として働かせ続けられる男性の在り様、
さらには、あるウイルスの感染者としての
マイノリティの在り様について描いた物語だった。

(余談だが、もし『世界99』の空子と、『生殖記』の尚成が出会ったら、
恋人にはならないだろうが、なんか話が合いそうだと思った。
それとも空子の「呼応」ー「トレース」システムと、
尚成の「空気を読む」能力がガチンコ対決になって、
読み合いカオスに陥るのだろうか…;;)

この『生殖記』もまた、個体としての死、共同体としての崩壊に逆らって
(あるいはそれを忘れるために)、ヒトという生物の生存と発展をどこまでも追求し、
多数者にとって都合の良いように自然界の在り方そのものを
「上書き」することを止めようとしない人間の姿に、
そのラインに乗れない(乗らない)少数者の視点から
疑義を投げかけた物語ではないだろうか。

そう考えると、尚成が選んだ“しっくり”くる生き方──
「手は添えて、だけど力は込めず」、共同体のデフォルトの設定が
更新されるのを楽しみに待つ──は、
もしかしたらそれは現時点において、個人として自立した
最強の生き方なのかもしれないと感じた。

体外発生がデフォルトの世界──そのとき、ヒトの心の中は一体、
どのようになっているのだろうか。
性衝動を喪ったヒトという生物は、絶滅を免れて幸福に暮らしていけるのだろうか。

そしてそこにはまだ、愛を語る言葉や、言い難い何かを伝えたいと願う心は、
果たして残っているのだろうか──。

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  • 掲載日:2026/05/27
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