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「おもろい」「がめつい」と思われがちな大阪のイメージはどこから生まれ、定着していったのだろう。考えた事はありますか?
「おもろい」「がめつい」と思われがちな大阪のイメージはどうして定着したのだろう。
それを「河内」「船場」という2つの街について、高度経済成長期のメディア文化を視ていく事で考察しよう、という本である。
知っているようで、あんまり知らなかった大阪。
関西以外の友人と話をする時に、「こういうとこやで」と自信もって言えたらいいな、という期待も込めつつ手に取った。
個人的に「船場」というと大阪の本町らへん(今の船場センタービル周辺)、そういえば淀屋橋周辺はビジネス街のビルの合間にちょこちょこと昔ながらのお店・建物がありますな。
「河内」というと大阪市内よりもっと南っぽいイメージがある。
この本での「河内」は「大阪のなかの周縁というイメージが付与されてきた」(p.9)とある。
どちらも具体的な場所というよりも概念としての「船場」「河内」として扱われている。
読んでいてまず思ったのは「河内」イメージは今東光、「船場」イメージは山崎豊子の与えた影響が大きいんやなぁ、だった。
東京への一極集中が進み、大阪経済の地盤沈下により「船場」も衰退が進む。
新参者・外部者の進出もあり、今までの「船場」にあった「封建的なもの」が廃れてきた。そして「船場」も「河内」の「がめつい」「ど根性」といったイメージに置き換えられていった。
「船場」の「ど根性」をもってしても「封建的なもの」の衰退は克服したくてもできず。
その「河内」のイメージはというと今東光の作品やそれを原作にした映画によってイメージが強化されていった、という。
そしてラジオが普及する中で大阪発の番組が増え、「大阪表象の地ならし」「地方色の漂白」が進む。その流れでも大阪のイメージが単純化され、「河内」のイメージへの置き換えが進んだ。
というのがざっくりした流れである。
案外人間というものはメディアが生み出したイメージに踊らされやすいものなんだな。そして現地の人間が否定したくても変わらない。
個人的に興味のあった「大阪とSF」(第8章)は小松左京を通じて論じられる。
こちらでは「失われた大阪」となっており、そんな「かつての大阪」を聖化し、「大阪」を相対化から敢えて外し「イメージとしての大阪への郷愁」として創作している。
そうして経済的開発そのものに反対するのではなく、積極的に関与することで状況打破しましょう、という。
ちょっと『大震災’95』を思い出した。
あの「起こった事を憂うだけではなく、じゃあどうすれば良いのかを考え、提案していく姿」っていうのは、『日本アパッチ族』の頃から変わらないスタンスだったのだな。
へぇ、と思ったのが、必ずしも「こういうメディア戦略でイメージをすり込んで行こう」という訳ではなかったという事。せいぜい映画版『じゃりン子チエ』くらいだろうか。
当時の大阪を巡る時代背景を描く中で、元々あったイメージが単純化され、別の作品でも利用され、イメージがより強固なものになっていった。
その過程を追うのは、社会文化研究としては非常に興味深い、面白い事だっただろうなと思う。
(今後の大阪とメディア文化を追っていくのも研究対象としてさぞ面白いだろう。)
「河内」と「船場」ではどの作品・メディアを通じて論じるのか、が違うのが印象に残った。
論じる人が違うから当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、そういう所にも「河内」「船場」の特徴・個性の違いが出ているように思えた。語り手と大阪との距離感によっても、描かれ方が違うのが面白い。
長々としちめんどくさく書き連ねたが、シンプルに「昭和文化」「昭和の大阪」を知る一助としても面白い。
ここから『日本アパッチ族』や山崎豊子作品、今東光作品を読んでいきたくなったし、今後『じゃりン子チエ』を観る時も違う楽しみ方ができそうだ。
それを「河内」「船場」という2つの街について、高度経済成長期のメディア文化を視ていく事で考察しよう、という本である。
知っているようで、あんまり知らなかった大阪。
関西以外の友人と話をする時に、「こういうとこやで」と自信もって言えたらいいな、という期待も込めつつ手に取った。
個人的に「船場」というと大阪の本町らへん(今の船場センタービル周辺)、そういえば淀屋橋周辺はビジネス街のビルの合間にちょこちょこと昔ながらのお店・建物がありますな。
「河内」というと大阪市内よりもっと南っぽいイメージがある。
この本での「河内」は「大阪のなかの周縁というイメージが付与されてきた」(p.9)とある。
どちらも具体的な場所というよりも概念としての「船場」「河内」として扱われている。
読んでいてまず思ったのは「河内」イメージは今東光、「船場」イメージは山崎豊子の与えた影響が大きいんやなぁ、だった。
東京への一極集中が進み、大阪経済の地盤沈下により「船場」も衰退が進む。
新参者・外部者の進出もあり、今までの「船場」にあった「封建的なもの」が廃れてきた。そして「船場」も「河内」の「がめつい」「ど根性」といったイメージに置き換えられていった。
「船場」の「ど根性」をもってしても「封建的なもの」の衰退は克服したくてもできず。
その「河内」のイメージはというと今東光の作品やそれを原作にした映画によってイメージが強化されていった、という。
そしてラジオが普及する中で大阪発の番組が増え、「大阪表象の地ならし」「地方色の漂白」が進む。その流れでも大阪のイメージが単純化され、「河内」のイメージへの置き換えが進んだ。
というのがざっくりした流れである。
案外人間というものはメディアが生み出したイメージに踊らされやすいものなんだな。そして現地の人間が否定したくても変わらない。
個人的に興味のあった「大阪とSF」(第8章)は小松左京を通じて論じられる。
こちらでは「失われた大阪」となっており、そんな「かつての大阪」を聖化し、「大阪」を相対化から敢えて外し「イメージとしての大阪への郷愁」として創作している。
そうして経済的開発そのものに反対するのではなく、積極的に関与することで状況打破しましょう、という。
ちょっと『大震災’95』を思い出した。
あの「起こった事を憂うだけではなく、じゃあどうすれば良いのかを考え、提案していく姿」っていうのは、『日本アパッチ族』の頃から変わらないスタンスだったのだな。
へぇ、と思ったのが、必ずしも「こういうメディア戦略でイメージをすり込んで行こう」という訳ではなかったという事。せいぜい映画版『じゃりン子チエ』くらいだろうか。
当時の大阪を巡る時代背景を描く中で、元々あったイメージが単純化され、別の作品でも利用され、イメージがより強固なものになっていった。
その過程を追うのは、社会文化研究としては非常に興味深い、面白い事だっただろうなと思う。
(今後の大阪とメディア文化を追っていくのも研究対象としてさぞ面白いだろう。)
「河内」と「船場」ではどの作品・メディアを通じて論じるのか、が違うのが印象に残った。
論じる人が違うから当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、そういう所にも「河内」「船場」の特徴・個性の違いが出ているように思えた。語り手と大阪との距離感によっても、描かれ方が違うのが面白い。
長々としちめんどくさく書き連ねたが、シンプルに「昭和文化」「昭和の大阪」を知る一助としても面白い。
ここから『日本アパッチ族』や山崎豊子作品、今東光作品を読んでいきたくなったし、今後『じゃりン子チエ』を観る時も違う楽しみ方ができそうだ。
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面白い本についてぼちぼちと書いていきます。主にブログからの抜粋。
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- 出版社:ミネルヴァ書房
- ページ数:0
- ISBN:9784623097845
- 発売日:2025年03月07日
- 価格:3080円
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