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神宮さん
神宮
レビュアー:
無私に生きた最強のナンバー2、その光と影
 江戸幕府の基礎を築いた名君・保科正之。本書は、将軍の隠し子という不遇な生い立ちから、日本初の高齢者年金制度(社倉制)の創設や他藩の飢餓難民救済といった先進的な善政を敷いた彼の生涯を、圧倒的な熱量で描き出す傑作です。
中でも本書のハイライトとして読者の胸を打つのが、江戸の街の6割以上を焼き尽くした歴史的大災害「明暦の大火(1657年)」で見せた、正之の超弩級の危機管理能力です。

■ 命と暮らしを最優先にした、驚異の「危機対応」
炎が江戸城にまで迫る極限状態の中、正之が下した決断はどれも驚くほど迅速で、どこまでも人道主義に貫かれていました。

・「切放し」の英断: 猛火が迫る牢屋敷から「3日後に集まれば罪を減じる」という条件付きで罪人を一時解放。極限状態でも法秩序と人道性を両立させ、多くの命を救いました。
・迅速な民生安定: 幕府の備蓄米を即座に放出して大規模な炊き出しを行い、米の買い占めや物価高騰を阻止。パニックを圧倒的なスピードで鎮静化させます。
・天守閣再建の断念: 最も象徴的なのが江戸城天守閣の再建断念です。「天守は軍事的な飾りに過ぎず、今大金をかける必要はない。その資金はすべて江戸の復興と被災者救済に充てるべきだ」と計画を白紙に戻したのです。

国家のメンツよりも民の生活を最優先にしたこれらの決断により、江戸の街は驚異的なスピードで復興へと向かうことになります。

■ 優秀すぎるナンバー2がもたらした「影」
しかし、本書の真の面白さは、彼をたんなる聖人として称賛するだけでなく、組織を陰から支える「補佐役(ナンバー2)」が抱える宿命的な限界にまで深く踏み込んでいる点にあります。
正之は自らの私心を一切捨て、幼くして4代将軍となった甥・家綱の補佐に全精力を傾けました。しかし、彼の実務能力とお膳立てがあまりに完璧だったため、トップである家綱は正之の決断にただ「左様せい(そうしなさい)」と追認するだけの存在になってしまいます。優秀すぎる補佐役に依存しすぎた結果、トップの主体性や次代の育成が阻害されてしまったのです。彼の「無私」の精神は美しくも、それを永続的なシステムとして組織に定着させることの難しさを、私たちはこの歴史の皮肉から学ぶことができます。

■ 明治政府による抹消と、現代への「再評価」
これほどの治績を残しながら、明治以降、正之の名は意図的に歴史から消し去られました。幕末、彼が遺した「徳川家への絶対の忠誠」という家訓を愚直に守り抜いた会津藩は、新政府軍から「朝敵」の烙印を押されます。明治政府の正当性を高めるための「悪政を敷いた旧幕府」というプロパガンダの中で、福祉や人道主義を実践した正之の存在は都合の悪い歴史として隠蔽され続けたのです。
しかし戦後、民主主義の進展とともに彼の政治は「仁政を徹底し、近代的福祉思想に通じる政治を行った指導者」として劇的な再評価を遂げます。さらに、相次ぐ災害を経験した現代の日本において、彼の危機対応はビジネスや組織論の視点からも今なお輝きを増しています。

■ 「足るを知る」という著者独自の視点
著者があとがき等を通じて最も強く訴えかけるのは、正之が貫いた「足るを知る(自分の分をわきまえ、傲らない)」という精神の気高さです。正之は自らの偉業を誇るどころか、むしろ「自分の足跡を消しながら死んでいく」かのように、徹底して謙虚であり続けました。

自己アピールや手柄の奪い合いばかりが目につく現代において、自らの足跡を消すように生きた正之の「無私の美学」は、本物のリーダーシップと人間の品格がどこにあるのかを静かに、しかし、烈しく訴えてきます。歴史の面白さと、一人の人間の生き様の尊さに震える、まさに「本が好き」な人にこそじっくりとページを捲ってほしい傑作です。
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神宮
神宮 さん本が好き!3級(書評数:7 件)

読書と園芸(イチゴ栽培)が趣味の教員です。読み終えた後、重くならない爽やかな気持ちになる本を最近は好んで読んでいるような気がします。

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