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賛否両論を呼んだ表題作を収めた円城塔氏の作品集。とは言えこれは小難しく読むべき書物ではない。一種のホラ話/トール・トークなのだ。最先端を歩む海外作家の過激なユーモアに負けず劣らず、笑わせてくれる一冊。

  • レビュアー: さん
  • 本が好き!1級
  • 道化師の蝶
  • by
  • 出版社:講談社
道化師の蝶
円城塔氏の作品は、兎角「難解だ」という感想を良く目にする。私は円城塔氏の作品は『オブ・ザ・ベースボール』程度しか読んだことがないのだけれど、それで「難解な小説なら読みたくないな」と思って後回しにしてしまっていたのだった。私は小難しいことを考えるのが元来大嫌いな、怠惰な読者なのだ。だから円城塔氏の芥川賞受賞作が収められている本書も積んだまま読まずに済ませるつもりだった。なんだかんだで読んでみたのだけれど、読んだ感想は「何処が難解なんだろう?」というものだった。確かに巷間に溢れている小説と比べれば不親切なところはあるのかもしれない。だが、この作品集が描かんとしている問題はむしろ私にはこの上なく明晰なもののように考えられたのだ。

ところで、私はこうやって言葉にして物事を伝えんとしているわけだがそれが伝達出来ているのは不思議なものである。例えば、私が「愛してる」という言葉を書くとする。これ自体は漢字の「愛」と平仮名の「してる」という言葉が繋がり合ったものである。もっと言えば「愛」と「し」と「て」と「る」というパーツが組み合わさった結果、この四文字の言葉が他の四文字のあらゆる言葉とは違って独特の意味を持つということになる。これはしばしばトラブルを生み出す。某元フリーアナウンサーが「スラング」のつもりで使ったという「殺せ」という言葉を想起しよう。「殺せ」は「殺」と「せ」が繋がったもので、どちらも特に破壊力はない。ただ、それが繋がると実際に誰かが人を殺めるという事態を招きかねない。言葉自体は単なるモノでありながら、同時に人を動かす怖ろしい物質なのだ。

円城塔氏のこの『道化師の蝶』は表題作と「松ノ枝の記」というふたつの中編に依って構成されている。読みながら、本書が扱わんとしているのがそうした言葉の持つ魔力なのではないかという解釈を私は行ったのだがどうだろうか。これ以上書くとなるとパロールとエクリチュール、シニフィアンとシニフィエという問題に踏み入ることになるのだけれど、そんな厄介事はゴメンなので省略させていただきたい。要するに書かれたもの(本書の場合では、登場人物たちが書いたり翻訳したりする小説がそうだ)が正確に書き手の意志を伝達しているかどうかという話になって来る。読み手の側が誤読することで逆に独自の意味が生まれ、作品が翻訳というコピーとは異なったオリジナリティを帯び始めるというパラドックスも生じて来るその面白さが「松ノ枝の記」ではテーマにされる。

小説を書くことに関する小説……つまりメタフィクション。と書くとなんだか難しい話になりそうだ。私も先述した通り難しいことは出来れば考えたくない。なのでこの中編集の面白さを伝えるにはどうするかという話になるのだが、例えば私はこの文章を生成しているのはもちろん伝えたいことがあってのことだ。だからなるべく今考えていることを文字に固定しようとする。私はしかし、ここで書いたことを忘れてしまうかもしれない。私という主体の考えることもそれだけ曖昧なのだ。だが、書かれたことはくっきりと残る。そしてそれが様々な読み手に依って読まれ解釈されることで、読者の数だけヴァラエティに富んだ発想が残されることとなる。

本書が伝えんとしているのはそうした、読み手が文字の羅列からどんな意味を読み取るかということではないかと思われる。どちらの中編も具体的に主人公たちが「翻訳」という行為に手を染めることに注目したい。ありふれた着眼ではあるだろうが、翻訳の過程ではどうしたって誤訳という問題がつき纏う。その誤訳はしかし、意味を不正確に伝えるという意味では失敗であるだろうが独自の作品の面白さを立ち上げてしまうという意味においては成功しているとも言えるのだ。アクの強い翻訳家の翻訳(例えば柳瀬尚紀のような?)はその意味で、ことに依るとオリジナルより面白いもの、日本人でしか楽しめないもの(あの『フィネガンズ・ウェイク』さえも「翻訳」されているのだ!)となっているのかもしれない。

とまあ、話がどんどん難しい方向に転がって行くが円城塔作品のキモはそんなところにはない。私自身円城塔作品をそんなに知らないので推量になるが、例えば発想をキャッチする「網」なるものを登場人物が飛行機の中で取り出す……ほら、これで「なんじゃそりゃ?」って気にならないですか? こういう真顔でジョークを飛ばしているような、突拍子もない発想がとんでもないところに転がる面白味を読み逃してしまっては円城塔という作家の魅力を捉え損ねることになる。例えば海外ではマヌエル・ゴンザレスのようなシュールな持ち味が魅力の作家が居るが(エクス・リブリスや新潮クレスト・ブックスあたりでそんな作家の作品はポピュラーな地位を占めているが)、円城塔氏もそうした作家に引けを取らないユーモアのセンスを備えている。

この駄文もそろそろ閉じなければならなくなってしまった。肝腎の中身についてもっと語りたくなって来たのだけれど、ここで私の怠慢/不勉強をこれ以上開陳するのも気が引けるので止めておく。ひとつだけ言えるのは、円城塔氏の持ち味は意外なところからぶっ飛んだ着想を持ち出してそれにリアリティを帯びさせることが巧いという点にあるのではないかと思う。その意味では本書はホラ話/トール・トークとして読めば面白いのではないか、と。つまり生真面目に読む本だとは思えないのだ。本書は何処までも可笑しい。だから用意された言葉のオモチャの中を遊歩するくらいのつもりで読めば良いのではないか。そんな陳腐なオチをつけてこの文章を〆ることにしたい。
  • 掲載日:2016/12/19
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