サワコウさん
レビュアー:
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1984年当時での、今江祥智さんによる、大人・絵本・子どもの関係性の提言、教育現場までを含めて。
本書は判型菊版(215×150mm)、厚さ3㎝、約380ページ。その中に、12級(8.5pt)の文字サイズで、1972年頃〜80年頃までの、今江祥智さんの絵本や子どもの本に対する思いがびっしり詰め込まれた、文字通り厚い(熱い)本です。ご存命のうちに2度、僕は今江さんにお会いし、書いたものの添削を受けるという恩恵にまで与ることができました。フランスの文学史家ポール・アザールを知ったのも今江さんからです。今本書を読み返してみると、今江さんの考え方は教育者としても、子どもの本の書き手・作り手としても先進的ではあったけれど、偏向的な部分も結構あったとおもわざるを得ない。それでもその情熱は群を抜いていて、子どもの本の世界に及ぼした影響は計り知れないと考えるのは、決して僕一人ではないはずです。
絵本の始まりと歴史 ⎯⎯ 絵本とは
本書は、「絵本とは」という定義から始まります。その定義はこうです。
さらに続けて、今江さんはこうおっしゃいます。
そして、我が国初の(教科書としての)絵本らしきものとして源為憲の「三宝絵」を、海外では印刷物として作られた絵本の始まりとして、イギリスのウイリアム・カクストン(キャクストン)の「イソップ物語」をあげ、現在に通じる絵本の出現は19世紀まで待たなくてはならなかった、と続けられています。
その後、海外では1930年前後に絵本の第一期黄金時代とも言うべき時期があったことを述べ、我が国と比較しながら、現代(1970〜80年)へと変遷を辿ってゆきます。その間、日本でも明治から第二次大戦前まで子どもの本が様々発刊されましたが、絵本はまだまだ、単なる<子どものための絵>の本に過ぎませんでした。そうして時代は大戦へと突入し、軍国主義の旗のもと、子どもの本もその影響下に置かれざるを得なくなったのです。
でも海外では、1944年にエッツの『もりのなか』が発行されるなど大戦中も絵本は少しずつ進化を遂げ、1960年代に至って、第二次黄金時代を迎えることになるのです。そこで誕生したレオ・レオニやセンダックの絵本を原書のままの体裁で翻訳・刊行したのが福音館書店です。その福音館書店の「こどものとも」を舞台に、創作絵本という、一つの新しい物語に一人の画家、という形が生まれ、今に続く絵本作家と言われる書き手が続々と現れるに至って、70年代には日本も含めた第三次黄金時代を迎えることになった、と、今江さんはそのように纏められています。その前後を含めて活躍されていた、赤羽末吉、長新太、瀬川康男、田島征三、それから少し遅れて岩崎ちひろ、谷内こうた、といった面々の絵本は、今もうちの本棚の奥でひっそりと眠っています。
絵本は誰のため、何のためにあるものか?
絵本が、子どもが人生で初めて出会う<本>、という定義をした後で、今江さんは現行の絵本の世界を顧みたのち、上記のように、そこから始まった絵本はもっと広い視野に立って作られるようになった、と述べられます。さらに、子どもの本についての古典的名著、ポール・アザールの『本・子ども・大人』を引きながら、その中で絵本についてはほとんど言及されていないことをあげ、その後絵本論においても、新しい絵本の考え方が反映されるようになったとおっしゃいます。<絵本の作り手>が単純に<子どもを相手にした書き手(描き手)>ではなくなった、ということは、僕もデザイン学校で絵本の講義を取るなかで実感していました。絵も、ストーリーも、歴とした画家や、デザイナーや詩人や文章家、あるいは哲学者といった人までが真剣に取り組んでいる。その当時、絵本は既にデザインの一形態としてまた、誰もが自分の思想を簡潔に、わかりやすく表現できるものとして、学校で学ぶものになっていたのです。
今江さんは、そんな絵が子どもにはわかるまい、と批判する大人たちを、「遅れた眼しかもっていない大人の傲慢、 (略) おのれの狭い美意識、おのれの貧しい絵本体験からのみ判断する、まことに狭量な絵本観」と断じていらっしゃいます。今読み返してみると随分と大上段に構えているようで、隔世の感があります。それでも、今江祥智さんだけでなく、例えば教育者として強い情熱を持っておられた、『太陽の子(てだのふあ)』の著者灰谷健次郎さんや、『ひげよさらば』の上野暸さんら児童文学の書き手も含めた熱い時代があって今があるということ、これは覚えておくに及くはないと僕などはおもうのだけれど、如何でしょうか? 絵本は誰のため、何のためにあるのか、という問いに対しては、今江さんは次のようにおっしゃっています。
今ご活躍中のヨシタケシンスケさんらの仕事がまさにこの言葉通りであること、それをおもって僕は嬉しくならずにはいられないのです。そして、あれから40年、50年を経た今では、絵本はもっと気楽に考え、誰もが手軽に作ることができ、時にはオシャレに持ち歩くこともできる、そうしたものに変わってきたと、僕はそうおもいます。
第三期黄金時代の絵本の作り手たち
後半では「絵本のつくり手たち」というタイトルで、レオ・レオニやアーノルド・ノーベル、田島征三、上野紀子、和田誠、さらには宇野亜喜良や谷川俊太郎まで、全部で16人の仕事について、詳細な考察がなされています。本書のラストでは、舟崎靖子さん文、小泉孝司さん絵になる『手のひらのねこ』を取り上げ、こう締めくくっていらっしゃいます。
つい昨日もXで、『ねずみくんのチョッキ』についてどなたかがつぶやいておられたのを目にしました。この4月からアニメ化されたとのことで、ポプラ社に特設サイトが開設されています。これなど1974年の発行なので、実に50年もの長きに渡って読み継がれてきたということでしょう。絵本に限らず、50年も経てば時代に合わなくなってしまっているものも多々あるとはおもうけれど、(絵本などは特に)描かれている内容が明快で、時には単純であるものほど、時代がどれだけ変っても、受け入れられてゆくものなのではないでしょうか? その意味でもまた、絵そのものの美しさという点でも、本書に取り上げられた絵本のほとんどは、今後も忘れられることなく人々に選ばれてゆくものだとおもいます(巻末には「絵本・わたしの100選」というタイトルで、今江さんが選ばれた100冊の絵本と、今江さんご自身の仕事による作品リストが掲載されています)。
アニメ ねずみくんのチョッキ 特設サイト
絵本の始まりと歴史 ⎯⎯ 絵本とは
本書は、「絵本とは」という定義から始まります。その定義はこうです。
絵本は開かれた新しい世界を提示する、子どもが人生で初めて出会う<本>である。
『絵本の新世界』 大和書房/序章 子どもの国への通路=絵本 より
さらに続けて、今江さんはこうおっしゃいます。
100人の子どもがいれば100ある個性の、いちいちとつきあう多様な世界をもち、それこそ三歳から八十歳までの<人間のための本>なのである。
『絵本の新世界』 大和書房/序章 子どもの国への通路=絵本 より
そして、我が国初の(教科書としての)絵本らしきものとして源為憲の「三宝絵」を、海外では印刷物として作られた絵本の始まりとして、イギリスのウイリアム・カクストン(キャクストン)の「イソップ物語」をあげ、現在に通じる絵本の出現は19世紀まで待たなくてはならなかった、と続けられています。
その後、海外では1930年前後に絵本の第一期黄金時代とも言うべき時期があったことを述べ、我が国と比較しながら、現代(1970〜80年)へと変遷を辿ってゆきます。その間、日本でも明治から第二次大戦前まで子どもの本が様々発刊されましたが、絵本はまだまだ、単なる<子どものための絵>の本に過ぎませんでした。そうして時代は大戦へと突入し、軍国主義の旗のもと、子どもの本もその影響下に置かれざるを得なくなったのです。
でも海外では、1944年にエッツの『もりのなか』が発行されるなど大戦中も絵本は少しずつ進化を遂げ、1960年代に至って、第二次黄金時代を迎えることになるのです。そこで誕生したレオ・レオニやセンダックの絵本を原書のままの体裁で翻訳・刊行したのが福音館書店です。その福音館書店の「こどものとも」を舞台に、創作絵本という、一つの新しい物語に一人の画家、という形が生まれ、今に続く絵本作家と言われる書き手が続々と現れるに至って、70年代には日本も含めた第三次黄金時代を迎えることになった、と、今江さんはそのように纏められています。その前後を含めて活躍されていた、赤羽末吉、長新太、瀬川康男、田島征三、それから少し遅れて岩崎ちひろ、谷内こうた、といった面々の絵本は、今もうちの本棚の奥でひっそりと眠っています。
絵本は誰のため、何のためにあるものか?
絵本はいったい、誰のため、何のためにあるものだろうか。その回答は、「岩波の子どもの本」が出発した時点、福音館の「傑作絵本シリーズ」が出発した時点、「こどものとも」がひろく迎えられる時点、至光社の「こどものせかい」による新しい絵本作家たちが仕事を積み重ねる時点、チェコの国際絵本原画ビエンナーレでわが国の絵本が高く評価される時点、海外の新しい絵本作家台頭の時点・・・で考えれば、微妙にちがってくるのではないか。
絵本はまず子どものためのものだという主張は、自明の理である。だが、今日の絵本の世界の新しい諸相に具体的に対面してみると、その自明の理は、到達点ではなくて、実は出発点ではあるまいかという気持さえしてくるのだ。
『絵本の新世界』 大和書房/第一章 絵本は誰のためのものか/絵本は誰のためのものか より
絵本が、子どもが人生で初めて出会う<本>、という定義をした後で、今江さんは現行の絵本の世界を顧みたのち、上記のように、そこから始まった絵本はもっと広い視野に立って作られるようになった、と述べられます。さらに、子どもの本についての古典的名著、ポール・アザールの『本・子ども・大人』を引きながら、その中で絵本についてはほとんど言及されていないことをあげ、その後絵本論においても、新しい絵本の考え方が反映されるようになったとおっしゃいます。<絵本の作り手>が単純に<子どもを相手にした書き手(描き手)>ではなくなった、ということは、僕もデザイン学校で絵本の講義を取るなかで実感していました。絵も、ストーリーも、歴とした画家や、デザイナーや詩人や文章家、あるいは哲学者といった人までが真剣に取り組んでいる。その当時、絵本は既にデザインの一形態としてまた、誰もが自分の思想を簡潔に、わかりやすく表現できるものとして、学校で学ぶものになっていたのです。
子どもの目に戻って世界を見ることはあろう。子どもの絵の世界を大胆に導入する実験はあろう。わが国の絵画の伝統のさまざまを子どもの本の世界で再創造しようとする試みもあった。そしてそれだけに、それぞれの画家たちは画風まで目まぐるしいくらい変わった。職人的に技巧上の練磨のみ願う安定の世界から飛び出していった。そして、誰一人として、まずは子どものためになどと決して考えていはしないのである。
『絵本の新世界』 大和書房/第一章 絵本は誰のためのものか/絵本は誰のためのものか より
今江さんは、そんな絵が子どもにはわかるまい、と批判する大人たちを、「遅れた眼しかもっていない大人の傲慢、 (略) おのれの狭い美意識、おのれの貧しい絵本体験からのみ判断する、まことに狭量な絵本観」と断じていらっしゃいます。今読み返してみると随分と大上段に構えているようで、隔世の感があります。それでも、今江祥智さんだけでなく、例えば教育者として強い情熱を持っておられた、『太陽の子(てだのふあ)』の著者灰谷健次郎さんや、『ひげよさらば』の上野暸さんら児童文学の書き手も含めた熱い時代があって今があるということ、これは覚えておくに及くはないと僕などはおもうのだけれど、如何でしょうか? 絵本は誰のため、何のためにあるのか、という問いに対しては、今江さんは次のようにおっしゃっています。
もっと肝要なことは、一冊の絵本が子どもにとっても大人にとっても、想像力を刺激し、その世界をひろげるための起爆剤としてあることではないだろうか。
『絵本の新世界』 大和書房/第一章 絵本は誰のためのものか/絵本は誰のためのものか より
今ご活躍中のヨシタケシンスケさんらの仕事がまさにこの言葉通りであること、それをおもって僕は嬉しくならずにはいられないのです。そして、あれから40年、50年を経た今では、絵本はもっと気楽に考え、誰もが手軽に作ることができ、時にはオシャレに持ち歩くこともできる、そうしたものに変わってきたと、僕はそうおもいます。
第三期黄金時代の絵本の作り手たち
後半では「絵本のつくり手たち」というタイトルで、レオ・レオニやアーノルド・ノーベル、田島征三、上野紀子、和田誠、さらには宇野亜喜良や谷川俊太郎まで、全部で16人の仕事について、詳細な考察がなされています。本書のラストでは、舟崎靖子さん文、小泉孝司さん絵になる『手のひらのねこ』を取り上げ、こう締めくくっていらっしゃいます。
絵本のひろがり(描き手、書き手、読み手と、絵本そのもの)と深まりという点で、数年このかた大きく変ってきている中で、その一冊は絵本を読むことの意味を改めて考えさせる秀作である。そしてわたしの絵本論の次の頁は、こうした絵本群の出現と歩調をあわせて書きつがれていくはずである・・・。
『絵本の新世界』 大和書房/第七章 絵本一九八四 ⎯⎯ 一つの予告篇 3そして、いま・・・ より
つい昨日もXで、『ねずみくんのチョッキ』についてどなたかがつぶやいておられたのを目にしました。この4月からアニメ化されたとのことで、ポプラ社に特設サイトが開設されています。これなど1974年の発行なので、実に50年もの長きに渡って読み継がれてきたということでしょう。絵本に限らず、50年も経てば時代に合わなくなってしまっているものも多々あるとはおもうけれど、(絵本などは特に)描かれている内容が明快で、時には単純であるものほど、時代がどれだけ変っても、受け入れられてゆくものなのではないでしょうか? その意味でもまた、絵そのものの美しさという点でも、本書に取り上げられた絵本のほとんどは、今後も忘れられることなく人々に選ばれてゆくものだとおもいます(巻末には「絵本・わたしの100選」というタイトルで、今江さんが選ばれた100冊の絵本と、今江さんご自身の仕事による作品リストが掲載されています)。
アニメ ねずみくんのチョッキ 特設サイト
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辻邦生作品をこよなく愛する昭和生まれ。
企業人から起業人へ。そして今は読書人。
noteにて「辻邦生文学の外観」公開中。
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- 出版社:大和書房
- ページ数:0
- ISBN:9784479750062
- 発売日:1984年09月01日
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