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hackerさん
hacker
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「ほら、起こるのはいつも心の中でいちばん恐れていることだ、って言うだろ?」(本書登場人物の台詞) 佐藤正午の小説で、これは単行本ですが、文庫では『事の次第』と改題されています。
本書のことは、ベックさんの書評で知りました。感謝いたします。ただ、ベックさんの書評は『事の次第』という文庫本についてのものなのですが、その中で単行本時の旧題が『バニシングポイント』(1997年)だったと知り、がぜん興味が湧いて、手に取った次第です。なぜなら、アメリカン・ニュー・シネマを代表する作品の一つに『バニシング・ポイント』(1971年)という映画があり、個人的に大好きだったからです。本書の表紙は、北島敬三(1954年生まれ)による『ヴァニシングポイント』と題された写真なのですが、写真の題と"Vanishing Point"という映画の原題にもかかわらず、あえて「バニシング」としているところは、完全に映画の邦題を意識していると思われます。更に改題された『事の次第』というのは、ヴィム・ヴェンダース監督に『ことの次第』(1982年)という映画があるので、これにも興味を惹かれました。


さて、本書は、私がワインズバーグ・オハイオ方式と呼ぶ、連作短編集でもあり、長篇小説でもあるというスタイルを採っています。収録されている7作は、『小説すばる』の1994年12月号から1996年8月号までの間に初出されたものなのですが、ちょっと面白いのは、題名が初出時とすべて変わっていることです。以下に紹介します。

①『寝るかもしれない』   ⇒ 『運転手』
②『そのとき』       ⇒ 『恋』
③『オール・アット・ワンス』⇒ 『伝言』
④『姉の悲しみ』      ⇒ 『姉』
⑤『事の次第』       ⇒ 『拳銃』
⑥『言い残したこと』    ⇒ 『カード』
⑦『7分間』        ⇒ 『少年』

初出時と単行本時で題名を変えること自体は珍しくないのですが、一つの言葉で統一するという意図は見えるものの、こういう風に全作を改題するというのは私の記憶にはありません。更に面白いのは、文庫本のタイトルには、⑤の旧題を使っていることです。作者にどういう考えがあったのは分かりませんが、題名なんかどうでも良いと思っているのでしょうか。まさかそんなことはないでしょうが、だとすると、『バニシングポイント』という題名に色めき立った私は何だったんだということになるのですが...。

そうして読んでみた本書ですが、結論から言うと、映画を喚起させる要素はあまりありませんでした。ググってみると、題名の意味は二つあって、一つは消失点で「絵画や写真、建築の遠近法(パース)において、どこまでも続く平行線(線路や道路など)が遠くの1点で交わって見える点のこと」であり、もう一つは消滅点で「物や光景が視界から完全に消え去る地点」です。そして、本書は後者をテーマとしているようです。ただし、作中にフェリーニの傑作『81/2』(1963年)のスチール写真が登場したり、「人の見てない映画をよく見てる」人物が登場したりすることから、作者が相当の映画好きであることは分かりました。

映画のストーリーを簡単に紹介すると、新車を自ら運転しながら輸送することを生業としている主人公コワルスキー(バリー・ニューマン)が、白のチャレンジャーに乗り、コロラド州デンバーかサンフランシスコまで15時間で着くという賭けをドラッグ・ディーラーとし、結果としてとして、スピード違反で警察に追われる身となるものの、あらゆる追跡を振り切って、ひたすらサンフランシスコを目指して疾走するというものです。その過程で主人公の過去が少しずつ明らかになるのですが、生まれという点については、主人公の名前からは東欧系であり、顔付きからユダヤ人であることが分かるので、特に説明はありません。いわゆるプア・ジューイッシュ出身です。そして、彼を助けるのは、盲目の黒人DJスーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)、ヒッピー、老人という、いわばマイノリティーばかりです。そして、チャレンジャーを爆走させながら、主人公は自らの消失点に向かって、ひたすら突き進むのです。この映画は、全編がロックで彩られていますが、主人公が「消滅」した後で流れる"Nobody Knows"は、特に心に残るものでした。

これに対し、本書は一種の集団劇です。とある町を舞台にし、タクシー運転手、その妻、その二人の縁結びとなった女、飛び降り自殺した女等、登場人物たちが僅かな、場合によっては深刻な触れ合い若しくは関係を持ちながら、次から次へと展開していきます。彼らの大半は普通の人々であり、精神的若しくは肉体的な「消滅点」に向かって走っているわけではありませんが、普通ではない別社会で生きる人間も登場しますし、日常のすぐ隣にある「消滅点」を覗きこむことになる話ばかりです。そうなっても、動じない者もいますし、動揺する者もいます。このスタイルは、映画ファンにとってはなじみ深いグランド・ホテル形式と言えるでしょう。しかしながら、このスタイルは、映画だとスターを並べていけばそれなりの格好がつくのですが、小説の場合は個々の登場人物をその都度印象づけていかないと、全体の印象が薄まってしまうので、けっこう難しいのではないかと思います。そういう意味では、1955年生まれの作者・佐藤正午は初読みだったのですが、最後まで引っ張っていきながら読ませてくれる手腕は、なかなかのものだと思います。ストーリーを紹介すると、そのままネタバレにつながるような内容なので、あまり詳しく語れないのが残念ですが、一読の価値は十分ある本でしょう。

最後ですが、映画『ことの次第』の内容は、白黒SF映画を撮ろうとする監督の苦闘を描いたもので、最近の『パーフェクト・ゲーム』(2023年)でも顕著だった、ヴェンダースの白黒映画愛を強く感じる作品です。こちらも、直接本書の内容には関係なさそうな映画ですが、本書中で言及される映画のうち、『81/2』と『ことの次第』が白黒映画であり、共に映画作り=創作の話だという点には、佐藤正午の白黒映画愛を感じさせるものがありましたし、それゆえ文庫にする時に選んだ題名ではないかとも思います。さらに、グランド・ホテル形式という言葉は、白黒映画『グランド・ホテル』(1932年)から生まれたことも、作者の頭にはあったのかもしれません。そう考えていくと、映画ファンとしては楽しいです。
    • 映画『81/2』より、登場人物全員が時空を超えて集い、輪になって踊る有名なラストシーン
    • 映画『ことの次第』より、頓挫しそうな映画を完成させようとする監督(パトリック・ボーショー)
    • 映画『バニシング・ポイント』より、消滅点に向かって疾走する主人公の車の消失点を感じる画面
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2386 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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