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くにたちきち
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「大阪らしさ」とは何か。かつて、人口で東京を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていた大阪は、その独自性を喪失した今、ひたすら大阪都構想に情熱を注いでいるように思えます。その源流を探っています。
話は、今から百年ほど遡る、1920年代から30年代のことです。当時の大阪市は、「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれ、人口で東京市を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていたそうです。当時は、ラジオ、吉本興業、職業野球、宝塚歌劇など、大衆社会に独自な多様性を持ち、「大阪らしさ」を誇っていましたが、東京に対抗することで、むしろ独自性を喪失していったかに見える軌跡を追っています。

まず、ラジオは1925年3月22日、東京放送局から放送が始まり、初代総裁の後藤新平に開局記念演説が流れました。その二カ月後の6月1日に、大阪放送局が開局したのですが、放送開始とともに読み上げられたのは、地元の神社の神主による重々しい祝詞(のりと)であったと当時の新聞は報じているそうです。

その翌年には、大阪放送局は、東京、名古屋と統合され、日本放送協会(NHK)となり、現在に至っていますが、いまも、NHKの番組のなかでも、「朝ドラ」や「列島ニュース」の製作などに、かつての大阪放送局のDNAが残っているとも考えられます。

また、吉本興業は大阪の代表的な「大衆娯楽」の発信源である、エンターティンメント企業として、1912年に始められたとされています。最初は、第二文芸館という寄席の営業権を、吉本泰三とその妻が買い取り、翌年には吉本興業部を名乗り、次々に寄席を買収し、全盛期には大阪で20軒ほどの寄席を所有する大企巣へと発展し、1935年には浅草花月劇場を開くまでに発展したたそうです。

一方、夏の甲子園とタカラヅカはいずれも、阪神、阪急といった私鉄沿線開発事業の一環として始められたものですが、今や全国的な規模と名声を誇っているのは、いずれも「大大阪圏」の文化の象徴であり、それらが次第に国民化したものであると筆者は分析しています。阪神甲子園球場は1924年に、宝塚歌劇団は1913年に、少女歌劇団として創設されました。

このようにして、大大阪が誕生してから百余年、現代の均質化の波からなるべく多くのものが生き残るように、そして次の百年でまたおかしな文化が花開くようにと(大阪生まれ大阪育ちの筆者は)祈りながら筆を擱いています。
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くにたちきち
くにたちきち さん本が好き!1級(書評数:799 件)

後期高齢者の立場から読んだ本を取り上げます。主な興味は、保健・医療・介護の分野ですが、他の分野も少しは読みます。でも、寄る年波には勝てず、スローペースです。画像は、誕生月の花「紫陽花」で、「七変化」ともいいます。ようやく、700冊を達成しました。

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