そうきゅうどうさん
レビュアー:
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それは果たして呪いか祝福か?
唐十郎(から じゅうろう)は2012年5月に大怪我を負い、その後は新作を書くことも役者として舞台に立つこともなくなったが、2024年5月に亡くなるまで、主宰する劇団・唐組の春と秋の公演の演出は続けた。
本書『唐十郎傑作戯曲集』は、唐組の古参メンバで唐とともに共同演出を担当、また自らも役者として出演する久保井研が、数ある唐の戯曲作品から『吸血姫(きゅうけつき)』、『秘密の花園』、『ジャガーの眼』、『ビニールの城』の4作を選んで収録したものである。この4作が選ばれた理由について、凡例は
この4作を含め、唐作品は現在も上演されているが、例えば同時期に活躍した寺山修司作品と比べると、さまざまな劇団が広く上演しているわけではない。本家本元である唐組の他には、唐が教授を務めた横浜国大の出身者たちによる劇団・唐ゼミ、状況劇場時代に唐の薫陶を受け、唐を師と仰ぐ金守珍(きむ すじん)が主宰する新宿梁山泊、やはり状況劇場から唐組にかけて劇団員だった不二稿京(旧名:藤原京)が立ち上げたオルガンヴィトー、そしてかねてから唐作品を数多く上演してきた蜷川幸雄の関係者などに限られるように思う。その理由の1つは、唐作品の多くにクライマックスで舞台後方が開いて劇空間が外と繋がる舞台崩し(あるいは屋台崩し)があることだろう(これは唐作品がテント公演を想定して書かれているからで、通常の劇場でやるなると相当な工夫が必要になる)。
とはいえ、本書で言うと舞台崩しがあるのは『吸血姫』と『ジャガーの眼』の2作で、下北沢の本多劇場のこけら落としのために書かれた『秘密の花園』と、唐の盟友である石橋蓮司、緑魔子が主宰する劇団第七病棟の浅草公演用に書かれた『ビニールの城』は必ずしも舞台崩しは必要ないので、もっと上演されてもいいと思う。
この手のアンソロジー(と言っていいだろう)には、解説などに収録作の作品解題が載っているものだが、久保井による解説は唐との思い出話が主で、収録作については初演記録が少し書かれている程度。演出までしている久保井は唐の脚本を人一倍深く読み込んでいるはずで、実際、公演時のチラシ兼パンフレットに上演作に対する解説を書いているのに、本書では何も述べていないのは何らかの意図があるのかもしれないと思い、私も個々の作品についてあれこれ書くことはしないことにする。
ただ、私は本書に収録された4作を全て舞台で見たことがあるが、唐の舞台をご存じない方のため、参考までにYouTubeで見られる動画のリンクを貼っておく。
『吸血姫』:新宿梁山泊による飛騨国府公演のダイジェスト(約10分)
『秘密の花園』:唐組長野公演での久保井研のインタビュー動画(約5分)
『ジャガーの眼』:状況劇場による初演時の舞台ほぼ丸々全部!(約1時間半)
『ビニールの城』:森田剛、宮沢りえらによる蜷川幸雄追悼公演の公開ゲネプロ(約3分)
さて、唐の描く物語世界の特徴は、例えば『ジャガーの眼』の、死んだ恋人の角膜を移植された男を追いかけ、その目に語りかけるくるみや、人形のサラマンダを人間と思い込んで助手にしている探偵の扉など、登場人物たちが歪んだアイデンティティを持ち、過去の何かを強い思い込みや妄想とともに抱え込んでいるところにある(そういう彼らを唐は「脳のフリークスたち」と呼んでいた)。彼らの行動原理もそれに縛られていて、重要な局面でいつも間違った方を選んでしまい、その結果、悲劇的な終わりを迎えることになる。
しかし、そんなふうに妄想に囚われて判断を誤る彼らを笑うことはできない。彼らの姿は、ネットやメディアで垂れ流される言説に踊らされ、得体の知れない陰謀論に翻弄される我々の映し鏡とも言えるからだ。
そして物語の終盤、舞台崩しによって舞台は外部と一体になり、登場人物たちは外へと、つまり演劇という虚構世界から現実世界へと飛び出していく。彼らは最後に妄想を脱するブレイクスルーを果たしたのだろうか? それとも妄想と狂気を現実へと拡散させたのだろうか(本書に着けられた帯の惹句「もっと毒を! もっと混乱を!」のように)。
唐十郎が紡ぎ出した物語世界──それは果たして呪いか祝福か?
本書『唐十郎傑作戯曲集』は、唐組の古参メンバで唐とともに共同演出を担当、また自らも役者として出演する久保井研が、数ある唐の戯曲作品から『吸血姫(きゅうけつき)』、『秘密の花園』、『ジャガーの眼』、『ビニールの城』の4作を選んで収録したものである。この4作が選ばれた理由について、凡例は
*選定にあたっては、現在入手しにくくかつ傑作とされる作品を編者の判断を仰いで決定した。と記している。
この4作を含め、唐作品は現在も上演されているが、例えば同時期に活躍した寺山修司作品と比べると、さまざまな劇団が広く上演しているわけではない。本家本元である唐組の他には、唐が教授を務めた横浜国大の出身者たちによる劇団・唐ゼミ、状況劇場時代に唐の薫陶を受け、唐を師と仰ぐ金守珍(きむ すじん)が主宰する新宿梁山泊、やはり状況劇場から唐組にかけて劇団員だった不二稿京(旧名:藤原京)が立ち上げたオルガンヴィトー、そしてかねてから唐作品を数多く上演してきた蜷川幸雄の関係者などに限られるように思う。その理由の1つは、唐作品の多くにクライマックスで舞台後方が開いて劇空間が外と繋がる舞台崩し(あるいは屋台崩し)があることだろう(これは唐作品がテント公演を想定して書かれているからで、通常の劇場でやるなると相当な工夫が必要になる)。
とはいえ、本書で言うと舞台崩しがあるのは『吸血姫』と『ジャガーの眼』の2作で、下北沢の本多劇場のこけら落としのために書かれた『秘密の花園』と、唐の盟友である石橋蓮司、緑魔子が主宰する劇団第七病棟の浅草公演用に書かれた『ビニールの城』は必ずしも舞台崩しは必要ないので、もっと上演されてもいいと思う。
この手のアンソロジー(と言っていいだろう)には、解説などに収録作の作品解題が載っているものだが、久保井による解説は唐との思い出話が主で、収録作については初演記録が少し書かれている程度。演出までしている久保井は唐の脚本を人一倍深く読み込んでいるはずで、実際、公演時のチラシ兼パンフレットに上演作に対する解説を書いているのに、本書では何も述べていないのは何らかの意図があるのかもしれないと思い、私も個々の作品についてあれこれ書くことはしないことにする。
ただ、私は本書に収録された4作を全て舞台で見たことがあるが、唐の舞台をご存じない方のため、参考までにYouTubeで見られる動画のリンクを貼っておく。
『吸血姫』:新宿梁山泊による飛騨国府公演のダイジェスト(約10分)
『秘密の花園』:唐組長野公演での久保井研のインタビュー動画(約5分)
『ジャガーの眼』:状況劇場による初演時の舞台ほぼ丸々全部!(約1時間半)
『ビニールの城』:森田剛、宮沢りえらによる蜷川幸雄追悼公演の公開ゲネプロ(約3分)
さて、唐の描く物語世界の特徴は、例えば『ジャガーの眼』の、死んだ恋人の角膜を移植された男を追いかけ、その目に語りかけるくるみや、人形のサラマンダを人間と思い込んで助手にしている探偵の扉など、登場人物たちが歪んだアイデンティティを持ち、過去の何かを強い思い込みや妄想とともに抱え込んでいるところにある(そういう彼らを唐は「脳のフリークスたち」と呼んでいた)。彼らの行動原理もそれに縛られていて、重要な局面でいつも間違った方を選んでしまい、その結果、悲劇的な終わりを迎えることになる。
しかし、そんなふうに妄想に囚われて判断を誤る彼らを笑うことはできない。彼らの姿は、ネットやメディアで垂れ流される言説に踊らされ、得体の知れない陰謀論に翻弄される我々の映し鏡とも言えるからだ。
そして物語の終盤、舞台崩しによって舞台は外部と一体になり、登場人物たちは外へと、つまり演劇という虚構世界から現実世界へと飛び出していく。彼らは最後に妄想を脱するブレイクスルーを果たしたのだろうか? それとも妄想と狂気を現実へと拡散させたのだろうか(本書に着けられた帯の惹句「もっと毒を! もっと混乱を!」のように)。
唐十郎が紡ぎ出した物語世界──それは果たして呪いか祝福か?
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「ブクレコ」からの漂流者。「ブクレコ」ではMasahiroTakazawaという名でレビューを書いていた。今後は新しい本を次々に読む、というより、過去に読んだ本の再読、精読にシフトしていきたいと思っている。
職業はキネシオロジー、クラニオ、鍼灸などを行う治療家で、そちらのHPは→https://sokyudo.sakura.ne.jp
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- 出版社:筑摩書房
- ページ数:0
- ISBN:9784480440860
- 発売日:2026年04月11日
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