火曜日の手紙




芥川の「藪の中」の様に視点を変えると別の景色が見えてくる。「女は産む機械」なんて言葉を思い出した、今以上に壮絶な苦しみに生きた女達の恨みは何処をさ迷っているのだろう。男の存在感の薄さにチャラ男を想起。

本が好き! 1級
書評数:784 件
得票数:1729 票
活字中毒です。年代に応じて、本屋や図書館で目に付いた本や書評で気になるものを読みます。読んで気に入れば、その作者の本を飽きるまで読みます。ベストセラーより奇妙な味の本が好きです。




芥川の「藪の中」の様に視点を変えると別の景色が見えてくる。「女は産む機械」なんて言葉を思い出した、今以上に壮絶な苦しみに生きた女達の恨みは何処をさ迷っているのだろう。男の存在感の薄さにチャラ男を想起。





正義とか真実などは夢幻でしかない。歴史など勝者が好きな様に編集できる。それでも米国は日本占領当時は、敵国の情報や分析能力など凄い能力が確かにあった。日本での成功体験がその後の慢心を招いたとしたら皮肉。




戦後70年で日中韓や北朝鮮の関係を考えた時に、個々人ではなく国家というシステムに希望を見出せない。汎ヨーロッパの理想(国境無き連帯)が難民流入で、現在将来共に問題山積の現実、人類の未来に夢を持てない。




戦後70年以上経ち、一国平和主義が揺らぎだした現在色々考えさせられた。「命がけ」には「悲壮」と「よし」の2種類がある。この死生観は日本人固有なのではなく、人類共通のものと思える。桜に外国人が大挙の今。




東京では加速度的に外国人が増加している。日本では、戦後の成金的価値観からミニマリストに象徴されるものに転換の予兆を感じる。新しい知も血も必要な現在、移民も難民も真摯に考慮すべき時。共生の形が見える。




統計は論理的な様で、恣意的な質問の仕方で簡単に操作できてしまう。日本語はあいまいな言葉なので善悪二元論的問に対しては、かなり無力に思える。死刑賛成・反対など簡単に選択できない、白黒でなくグレーゾーン。




ミニマリストや刀剣・歌舞伎・相撲等々、最近妙に江戸が注目されている。戦後高度成長期は明治維新が手本で、これからの日本の長期安定のあるべき姿として江戸の文化や職人の世界観が理想なのかも知れない。




敗戦の丸裸状態に暗さより明るさを感じる。何の不自由も無く生きてきたが「何となく物足りない」飢餓経験も無いし、生きる事にそれ程の執着も感じない。「透明な自分」を感じる時代に妙に闇市が魅惑的に見える。




「負の連鎖」が悲しい。年齢を重ねると、鏡に映る自分が父や母のある時の表情で見返してくる。懐かしさで無く憎しみしか感じられない親子関係なら虚しすぎる。親から愛されないで育ちわが子を愛せない虚しすぎる。




チベットの「死者の書」がヒッピー文化の聖典みたいな時代があった。平均寿命が80を超えた日本人は「美しい死に方」を失ったのではないか?ただの長生きでなく、真の死生観「死者の書」を著者に紹介して欲しい。




「九勝六敗が一番強い」深く納得、禍福は適当にランダムに来る。常勝出来るほど強運な人は稀有で、負け方を知っていて最後に帳尻がトントンな生き方が理想と思える。無頼派と待つ女は一時代前の男の夢物語かも。





男性が母から受ける影響は、女性が父から受ける物と比較出来ないほど大きく感じる。偏見込みで男の犯罪者を育成しているのは母という名の女なのかもしれない。幸せじゃない女は子どもを育てちゃいけないと願う。




「血は水よりも濃い」そんな風に信じていたが、最近疑問に思う出来事が増えている。犯罪が外向きでなく親族など内向きに、何故なのだろう。中途半端な知識・自由は人を不幸にする、悲しいが家長など強権が必要かも。




生まれつき体に障害がある場合は目に見えるけれど、心の障害はどうなのだろう。他人が気にならない人も過剰に反応する人もいる様に、あまりに脆い心で生まれたら生きにくいだろうと思う。頑張れが禁止語の現代。




目標があれば進めるのに、到着してみたら何も見つからない。肉やケーキがご馳走だった世代だから、選択肢が増えた事で幸せになれない現在の不条理が悲しい。自己責任なんてごまかしの理屈より悪魔の存在を信じる。




日常の生活観を超越したホラーが好きでした。ベタなエジプトのミイラや地底都市の物語に熱中した幼い頃から本質的趣向は変化しない様です。ただ最近は、普通の家からミイラがやたら発見されてホラー小説より怖い。




姥捨てや間引きなどほんの一昔まで現実だった、見かけの豊かさで誤魔化されている気がする。皆が貧しい時代よりも、物がありあふれる現代の格差に対する呪詛が人を不幸にしている。島流しより引きこもりの深刻さ。




ほんの小さな怠惰の積み重ねが怪物を創り出した。何か変だと思っても、人と異なる行動で目立つ事や揉める事での面倒くささにスルーしてしまう。色々思い当たり、既成概念という見えない壁の難攻不落感を強く実感。




自分自身でさえ本当には理解できていないのに、他者を理解するなど不可能な事を前提として関係を構築すべき。それでも弱い人間は、一人では生きられないから誰かに依存するしかない。人間同士の距離感は難しい。




スペインで安宿に二度と戻れなくて、今考えても理解不能な「狐に騙された」みたいな体験をした。人間の理性など簡単に狂わされる、最後に残るのが生理的恐怖と思える。「赤い心臓と青い薔薇」が何ともイヤな感じ。