降りられない船- セウォル号沈没事故からみた韓国
日本にも原発や基地などそれなりに問題は存在するが、海洋事故で船長は最後まで残ると単純に信頼できる幸福を実感しました。「水と安全はタダ」平和ボケの国と自国民も信じられない不信の国が相互理解など可能か?
本が好き! 1級
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活字中毒です。年代に応じて、本屋や図書館で目に付いた本や書評で気になるものを読みます。読んで気に入れば、その作者の本を飽きるまで読みます。ベストセラーより奇妙な味の本が好きです。
日本にも原発や基地などそれなりに問題は存在するが、海洋事故で船長は最後まで残ると単純に信頼できる幸福を実感しました。「水と安全はタダ」平和ボケの国と自国民も信じられない不信の国が相互理解など可能か?
世界は均一には進歩していない。「名誉殺人」など女性性を商品としていたり「ワンペン」無知の涙は現在進行形の現実。過去の記憶でしかない日欧、それでも人間て人種に関係なく卑劣さも崇高さも大差ないのは確か。
北欧は距離的にも歴史的にも遠くて、断片的なイメージやイケヤ位しか思いつかなかった。近親憎悪というか、遠い他国と異なり隣国同士にそれなりに色々あるのは納得。意外に日本の社会主義国家像に似ているのは何故?
ゴシックロマンの甘さを期待したら、現代の心理劇そのもので驚きました。最晩年の作なのが良く理解できるのは、「真実の愛など砂上の楼閣でしかない」人生の虚無感と現実感を体験した大人の世界観そのもだから。
双子という形で、人間の二面性をより鮮明に描いている。虚栄や傲慢と謙譲や忍耐に振れる心は人間心理の原型…
因果応報なら許せるけれど、人が生きていく世界は理不尽で気まぐれで矛盾に満ちている。真藤の「どうしたらいいんじゃ」絶叫したくなる恐怖に魅入られるのは何故なのか。幽霊や怪談を求める心理とは何なのか不思議。
人は見たいものを見ている、同じ体験をしても目線の先は異なる。トーハク好きの見た上野は、アメ横の変化の速さは理解できても不忍池の不穏さなど見えなかった。カオス・ごった煮的な上品ではないが生命力ある街。
「自分は馬鹿正直で生き方がへたで、周りが悪い」身勝手で最低のアル中なのに、その句が人の心に響くのは何故か?中途半端でなく極限まで堕落すれば見える世界があるのだろうか?無頼派が存在できた時代があった。
貧困=飢餓でビアフラ難民を想起する古い世代は、現代の超肥満に愕然とする。スリムであることは富のステータスとなり「何だかな」うまく表現できない。皮下脂肪から石鹸なりできれば地球にも優しいのにと思う虚無。
過去形での大学生活は、社会の仕組みから猶予された短いバカンスみたいでした。藝大は入学する事に最高のステータスがあり、卒業後は暗黒に見えるだけにより凝縮した濃厚な時間が存在しそう。題材の奇抜さで読める。
幼い頃は「アメリカンドリーム」機会均等の夢の国として宣伝されていた。黒人大統領の出現は新しい扉を開くと期待したのに、最近の白人と黒人の対立等々に人類の限界や終末思想に陥りそう。嘆きよりは笑いが救い。
他者を意識した人間の行動など、所詮偽善でしかない。他人を安易に批判する時、自分の立居地を見失っている。異形のものや化け物の存在は、人間にとって恐怖ではなく救済だと思う。怖いけど懐かしい、いずれ死ぬ身。
カバー写真の衝撃度がとにかく凄いとしか表現できない。遠めには装飾的に完璧に見えるのに、人骨と頭蓋骨から出来ているチェコの納骨堂、人骨のシャンデリアまで作製する感覚はとうてい日本人には理解できない。
人の「死」や「死体」に対する感性は、歴史や風土更には宗教や政治等々様々な条件で異なる。 葬送や墓は、…
「末は博士か大臣か」そんな立身出世や故郷に錦みたいな一昔前の価値観は崩壊してしまった。本流や本家なしに異端や異能に憧れても虚しい。明治維新の合理性の次に時代が求めるのは江戸の職人文化、妙に懐かしい。
正規雇用が当たり前の時に就職しバブルを経験した世代から見る現在は、かなりアンバランスとしか表現できない。技術は進歩したのに、非正規雇用や貧困など負の連鎖・格差の拡大など、世界規模で破壊願望が臨界点。
例えば日本人は北と南からの人の流れで現在に至る。アメリカはヨーロッパから異端者等の現状変革を夢見るる人が、現在の歴史の基にある。善悪でなく歴史とか風土はその地に住む人間に深く刻まれ、発想自体が異なる。
生存本能として食欲・性欲・名誉欲の中で最強の欲望は何か?そんな議論が過去には存在した。生き残る事が至難だった時代と、妙にアンバランスでも飽食の現代に人の欲望は変化したのか。暗闇や妖怪みたいに陰は救済?
人種差別されれば傷つくのに、昔南アフリカで「名誉白人」待遇という何とも情けない日本人の血は自分の中に確かに存在する。歴史は勝者の物で、矛盾だらけだけども人生も国の歴史も今の表現で複雑系としか思えない。
20代の頃までは、人生の終い方など考えた事も無かった。折り返し点も越し終末を意識した時「無事これ名馬なり」こんな風な言葉を思い出した。人生を肯定して生きていく事は簡単そうで意外に困難だと思う。
ベナレスのガトーからの夕日とたなびく煙、「言葉で表現できない」強烈な体験でした。「書を捨てて」みたいな熱に執り付かれた若き日々を思い出した。混沌としか説明できない世界観と死生観、「生と死」さえ紙一重。
「男と女の間には暗くて深い河」そんな歌を思い出した。年配の男だらけのエライ人たちの画面に「男女共同参画」なんて絵空事でしかない現実には絶望しか感じない。団塊の世代が消えれば、少しは変わると信じ願う。