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rodolfo1さん
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一人の女性の死を起点に、残された人々の人生と関係性、そして時間の経過とともに変化していく「不在」のあり方を多層的に描いた作品
窪美澄作「君の不在の夜を歩く」を読みました。本作は、一人の女性の死を起点に、残された人々の人生と関係性、そして時間の経過とともに変化していく「不在」のあり方を多層的に描いた作品です。一見すると、若い女性の自死をめぐる群像劇のように見えますが、読み進めるにつれて、この作品が問いかけているのは「なぜ人は死にたくなるのか」ではなく、「理解できない死を前にして、人はどう生きていくのか」という問題であることが見えてきます。

【窓辺の夕餉に】菜乃子がオーバードーズによって自殺したという報せから始まります。沙耶・健太・達也・倫子・菜乃子の五人は高校時代からの友人であり、成人後も連絡を取り合う関係でした。その中心にいたのが菜乃子です。成績優秀で美しく、誰からも好かれる存在でありながら、どこか周囲から浮いている、掴みどころのない人物でした。

菜乃子の死によって、残された四人の関係性と、それぞれの人生の歪みが浮かび上がっていきます。まず沙耶は、長年健太に対して強い恋心を抱き続けてきた人物です。しかし健太は一人の女性に定着することのない人物であり、沙耶との関係もまた、必要な時だけ現れるという不安定なものでした。菜乃子の死の夜、健太は沙耶のもとに現れ、一夜を共にしますが、その関係には確かな未来はありません。沙耶は健太に執着し、結婚や出産という形で人生を安定させたいと願っていましたが、菜乃子の死をきっかけに、自らの生き方を見直し、「自由に生きる」という方向へと舵を切ります。

一方で達也は、菜乃子の夫でありながら、最後まで彼女の内面にある苦しみを理解できなかった人物です。菜乃子の死後、彼女の遺した文章に執着し、その意味を理解しようと試みます。しかしその過程で精神的に不安定となり、やがて宗教へと傾倒していきます。達也の行動は、愛する者を失った人間の典型的な反応でもあり、同時に現実から目を背けるための逃避でもあります。

【野辺の送り】健太は不動産デベロッパーをしていましたが、態の良い地上げ屋でした。タワマンなど老人には何のメリットも無いと知りながら、営業を続けていたのでした。実は健太の母親はカルト宗教にはまっていました。母親の事を友達に知られたくなかった健太は人に心を閉ざしていました。必死に勉強し、大学に受かったら家を出る積りでバイトして金を貯めていました。バイト先のコンビニで同級生の菜乃子が声を掛けて来、彼氏の達也を紹介してくれ、健太は生まれて初めて達也に恋したのでした。菜乃子は健太の恋心に気づいており、自分が彼女ですまないと詫びました。

ある時沙耶が自分に恋している事に気づきましたが、いつもグループの中心のような顔をしている沙耶や、いつも皮肉な顔で人を蔑んでいる倫子は気に入らず、菜乃子や達也と一緒に遊ぶ事が日常でした。菜乃子はその頃からメンタルが不安定で、しばしば3人でのデートをすっぽかし、達也とのデートを健太は時々楽しみました。ひたすら菜乃子の事を惚気る達也の言葉を聞きながら健太は、菜乃子には自分と同様深い欠落があるのだろうと思っていました。。。健太は同僚の女性と結婚しましたが、母親が妻にカルトへの入信を執拗に勧め、それが元で健太は妻と離婚し、健太は結婚生活を以後諦めました。。。

憔悴した達也を皆が心配する中、突然達也が健太の元を訪れました。健太は菜乃子を殺したのは自分だ、菜乃子の出したサインに気づいてやれなかったと自らを責め、今後の人生全てを菜乃子に捧げる、今後は菜乃子の為に祈り続けると言いながら母親のカルト宗教のシンボルを健太に見せました。そのまま眠り込んだ達也に思わず健太は母親の宗教の祈りの言葉を達也に。。。

【空夜】倫子はこの作品において、「書く」という行為を体現する存在です。彼女はかつて菜乃子によって小説家としての才能を見出されながらも、愛する菜乃子が実は倫子が準優勝した新人賞に同じく応募して落選していた事を知り、菜乃子に対する愛情と罪悪感からそれきり筆を折ってしまいました。ある夜倫子は菜乃子と達也と飲みに行き、飲めない筈の菜乃子は泥酔しました。達也がコンビニに水を買いに行った隙に菜乃子は倫子にキスし、倫子とセックスしました。倫子は小説を書いてごめんと菜乃子に謝りましたが、菜乃子は私の事を忘れないで、倫子が好きよと言い。。。しかし菜乃子の死後、倫子は再び書くことを選びます。彼女の書く小説には常に菜乃子の影があり、それは死者を作品の中で生かし続ける行為でもありました。


【柘榴色の雪】達也は宗教とは縁を切り、友達の霧坂に勧められて田舎町にある霧坂の本屋の店主をしていました。菜乃子と暮らした東京には居たくなかったのでした。転居は倫子にだけ知らせました。倫子は小説家としてデビューし、沙耶は仕事を辞めて誰かと結婚し、神様など信じるなと達也を諭して目を覚まさせてくれた健太とは疎遠になっていました。倫子とは時々東京で会って飲みました。倫子の書く小説は百合小説で、しばしば菜乃子と思しい人物を登場させました。東京を去る際に倫子は、菜乃子の持ち物は全て捨てろと助言しましたが、沙耶が見つけた菜乃子の小説だけは捨てられませんでした。

達也は生前の菜乃子の闘病に付き合いましたが、何が菜乃子を追い詰めていたかはついにわかりませんでした。菜乃子は達也に、いつの間にか自分の心にはぬかるんだ憂鬱の沼が出来ていて、それに足を取られて身動きが出来なくなっていたとだけ語りました。達也は自分がいるから菜乃子は幸せになれないのかと聞きましたが、菜乃子は幸せになどなりたくない、私達はもう離れる事すら出来ないと言って泣きました。その日以来菜乃子は小説を書くのを辞めたのでした。

達也の経営方針は店での座り読みを認め、一回だけは万引きを通報しないと言うもので、店員の有馬君はいつも文句を言いましたが、達也は譲りませんでした。達也の書店にはいつも倫子の本を座り読みし、決して本を買わない女子高生がいました。ある夜ふと立ち寄った公園で、その女子高生が売春しているのを達也は見ました。

ある日またあの女子高生が現れ、倫子の本を座り読みしようとしました。思わず達也は、それは自分の知り合いが書いた本だと言ってビスケットを一枚彼女にやりました。彼女はいつの間にかいなくなっていましたが、座っていた椅子にありがとうございましたという伝言が残っていました。

別の日女子高生は、万引きしたという倫子の本を返しに現れ、有馬君が持って行って良いと言ったと礼を言いました。そして初めて本を最後まで読んだ、面白かったから金を払うと言いましたが、達也はもう万引きはするな、本を読むのを辞めるな、その本は持って行っていいと彼女に言いました。。かつては他者の人生に無自覚であった彼が、ここでは人の弱さに対して忍耐強く耳を傾ける存在へと変化しています。この変化は、菜乃子の死が彼に与えた影響の一つといえるでしょう。

【芍薬の星月夜】幽霊となった菜乃子は、自分を思い出す人々のもとへ現れ、その人生を見つめ続けます。ここで明らかになるのは、菜乃子の死の本質です。彼女は特別な悲劇によって追い詰められたのではなく、自己承認欲求と創作への挫折、自意識の高さとプライドによって、自分の限界を受け入れられなかった結果として死を選んだ人物でした。

菜乃子は、自分が凡庸であるという事実を認めることができませんでした。そしてその苦しみを、作品として昇華することもできなかったのです。多くの作家が自らの弱さや恥を材料として書くのに対し、彼女はそれを言語化することができなかった。この「書けなさ」こそが、彼女を追い詰めた大きな要因でした。しかし死後の菜乃子は、生前とは異なる視点を持つようになります。彼女は周囲の人々の「理解したつもり」の言葉を内心で否定し、時にそれを茶化します。この諧謔的な視点は、本作に独特の軽やかさを与えています。重いテーマを扱いながらも、過度に悲劇化せず、人間の滑稽さや矛盾を浮き彫りにしている点が、本作の大きな魅力です。

特に印象的なのは、沙耶の娘・彩音の存在です。いじめや不登校に苦しみ、死を考える彼女は、かつての菜乃子の姿を反復する存在です。しかし今回は、周囲の大人たちが彼女に対して「正しい答え」を押し付けるのではなく、寄り添いながら支えようとします。倫子は彩音に対して、「人間はもっと不真面目でいい」と語ります。人生に過剰な意味を求めることの危うさを示し、完璧であろうとすることが人を追い詰めるのだと伝えます。

この言葉は、本作全体の結論でもあります。菜乃子はあまりにも真面目すぎました。自分の人生に意味を与えようとし、自分の能力を厳密に評価し、自分の限界を受け入れられなかった。その結果として、彼女は自らを追い詰めていきました。それに対して本作が提示するのは、「人生に明確な意味はなくてもよい」「すべてに真面目に向き合う必要はない」という、ある種の緩やかな生き方です。

達也が晩年に語る、「死にたい気持ちは欲求の一つに過ぎず、やがて過ぎ去ることもある」という言葉も、この作品の思想を象徴しています。ここには劇的な救済はありません。しかし、だからこそ現実的であり、読者の心に静かに残る言葉となっています。

また本作は、「本」や「物語」の力についても重要な示唆を与えています。菜乃子は本に救われ、本を書こうとしました。倫子は作家として成功し、その作品が誰かの支えとなります。達也の書店に現れる少女もまた、本を通じて何かを受け取っていきます。本は人を救うこともあれば、傷つけることもある。その両義性を含めて描いている点も、本作の誠実さの一つでしょう。

総じて本作は、「理解されなかった死」をめぐる物語でありながら、「完全に理解することはできない」という事実そのものを受け入れる物語でもあります。人は他人を完全には理解できない。しかしそれでもなお、その不在とともに生きていくしかない。その過程の中で、人は少しずつ変わり、他者に対してほんのわずかに優しくなることができるのかもしれません。

そして最後に残るのは、「人はなぜ生きるのか」という問いではなく、「今日をどうやってやり過ごすか」という、より現実的で切実な問題です。人生に意味を求めすぎず、完璧を目指さず、ときには逃げながら、それでも生き続ける。そのような生のあり方を、本作は静かに肯定しています。この作品は、読む者に明確な救いを提示するわけではありません。しかし、読後に残るのは、絶望ではなく、どこか力の抜けた安堵に近い感覚です。それはきっと、「理解できないままでもいい」という許しを、この物語が与えてくれるからなのだと思います。

私のような古手の読者にとってみれば、また窪先生はこの作品にいろんな流行りの揉め事を詰め込んで詰め切れなくなり、得意のうっちゃりをかまして読者を失望させるのかと途中までは思いましたが、今回窪先生は諧謔という先生のこれまでの小説には全くなかった概念を取り入れてこの小説を巧みにまとめています。窪先生の作家としての偉大な進歩だと思いました。

真面目一方で、世の為人の為に何事かを成し遂げようと意気込んでいた、良い子をひたすら演じ続ける生前の菜乃子は、彼女の思いを一つも達成できず、死を選びます。しかし死後幽霊となった菜乃子は彼女を思い出す周囲の人々に呼び出され、あんた方が自分について思う事は実はそういう事ではなかったのだと彼らの建前を茶化し始めます。かつて憧れていた流行作家が倫子を腐すのを聞いた菜乃子は、「うるせいんじゃぼけ!呪ってやる!」と罵り返したのでした。

また窪先生が最終章で述懐する書けない小説家の悩みは、いかにも窪先生が小説家としていかに悩みながら執筆していたのかを思わせる内容となっており、処女短編集「ふがいない僕は空を見た」以降完全に低迷してしまった先生の長年の葛藤を良く表現していたと思いました。しかし「朔が満ちる」で先生はついに新機軸を開かれ、私は全く気に入らなかったものの「夜に星を放つ」で直木賞をついに取って世間に認められ、「宙色のハレルヤ」で新たな力量を示された先生は、この作品でついに小説家として大成されたのかと思われました。長年苦労されたんですから、これからはこういう調子で心機一転頑張って貰いたいと思いました。
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rodolfo1
rodolfo1 さん本が好き!1級(書評数:910 件)

こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。

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