タカラ~ムさん
レビュアー:
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エマ・ストーン主演、ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞の話題作の原作。映像だけでは届かない不穏さと罠の潜む怪作
読み始めはゴシック趣味の怪物譚なのかなと思っていた。読み進むにつれて、そんな単純な物語ではないと気づき、読み終わった後には不思議な余韻を感じる作品だった。それが、アラスター・グレイ「哀れなるものたち」を読んだ私の心境の変遷である。
アラスター・グレイは、作家であると同時に画家としても活動している。作中に挿入される図版やイラストも著者自身によるものが多い。それらは作品の語りの信憑性を生み出す要素となっていて、文章だけでなく、こうした要素が絡むことで物語を構築している点が特徴的だ。
物語の軸となるのはゴシック趣味の科学的悪夢だ。19世紀末、グラスゴーの科学者(外科医)ゴドウィン・バクスターが、投身自殺した妊婦の身体から胎児を取り出し、その胎児の脳を母体に移植して蘇生させる。結果として生まれるのが、成熟した女性の肉体に赤ん坊の脳を持つベラ・バクスターという存在である。この設定から「フランケンシュタイン」を連想するのは当然だろう。だが、本書の“怪物”ベラは、醜悪さで人々を恐怖させるのではない。むしろ眩しいほどの魅力と自由さで周囲をかき乱すタイプの怪物なのだ。
本書の面白さは、奇抜な設定以上に“形式”にある。本書は、“ある人物が残した記録をアラスター・グレイが発見して出版した”という体裁で書かれている。青年医師アーチボルト・マッキャンドルスが残したとされる手記は、彼とベラとの関係や思い、起こった数々の出来事がもっともらしく綴られており、それこそが読者をフィクションの世界へと引きずり込む要因となっている。
アーチボルト・マッキャンドルスは、貧しい家庭に生まれ、奨学金で医学を学び、医者として立身していく青年だ。彼がベラに恋をした瞬間から、彼の視点は彼女のありのままを映し出しているかのように見えて、実はベラを偶像化している。マッキャンドルスは、ベラを自分にとって理想的な存在として、見たいようにしか見なくなっていく。彼の語りが進むにつれて、読者は少しずつ語り手の信用性に疑問を抱くようになる。
ベラは急速に成長する。体は大人でも脳が幼いため、無垢な幼児性と奔放な行動が周囲の人々を翻弄する。マッキャンドルスという相手がいる一方で、ダンカン・ウェダーという別の男と駆け落ちする。世界を旅し、各所でトラブルを起こし、パリでは売春宿のような場所で働いたりもする。ベラの行動は、恋愛感情や道徳感の欠落といった観点では説明が難しい。彼女は誰かを裏切るために行動するのではない。知りたいという欲求から踏み出し、多くを経験したいと願う。自由を試すためには立ち止まることはしない。ベラとはそういう女性なのだ。
物語の後半、ベラは大人の女性へと成熟していく中で、怪物の枠を越えて“ひとりの人間”へと変化していく。成長した彼女は、家庭を持ち、子どもを持ち、さらに社会活動へ踏み込んでいく。彼女の視点は、女性の社会進出や弱者に対する関心へとそのまなざしを広げていく。
ここで前半部分のベラの奔放さが生きてくる。彼女が行ってきた自由奔放な経験が後半では別の意味を帯びてきて、それが社会的感受性につながっていく。つまり、読者はベラの行動が単なるスキャンダルではなく、成長の過程として見届けてきたということになるのだ。
しかし、そのままきれいに話をまとめて終わらないのが本書である。マッキャンドルスの手記の後に、ベラが残した手記が挿入されることで、それまでの物語は静かに、しかし決定的に揺さぶられる。そもそも胎児の脳移植は本当にあったのか? マッキャンドルスが書いたベラ像は、どこまで真実で、どこからが彼の欲望やロマン化なのか? ベラの自由奔放さは、彼の視線が作り上げた都合のいい虚像ではないのか? そういう疑いが最後に増幅されるのである。
これこそが、本作の醍醐味といえるだろう。「哀れなるものたち」とは、フランケンシュタイン的な筋立てで読者を釣っておいて、実は“語り”そのものを疑わせる小説なのだ。記録の体裁をとりながら、記録の信用を壊していく。ノンフィクション風の手触りをまといながら、フィクションの毒を最後に濃くする。
映像化された話題作として本書を手に取った人ほど、原作の仕掛けの多さに驚くかもしれない。なぜなら、そこに奇抜さだけではなく、文体と構成で読者を操作する面白さがあるからだ。ゴシック、ファンタジー、ヴィクトリア朝の空気、そしてフェミニズムや社会思想の匂い。それらがひとつの作品の中で渾然一体となって提示されたうえで、最後に「あなたが信じた物語は、誰が書いたのか?」という地点へ連れていく。
読み終えると、ベラという人物はいったい何者だったのか、彼女は“怪物”なのか、それとも“別のなにか”なのかという問いが脳裏に渦巻く。単純には決められない宙吊りな感じがむず痒くもあり、心地よくも感じる。それが「哀れなるものたち」という作品の魅力なのだ。
アラスター・グレイは、作家であると同時に画家としても活動している。作中に挿入される図版やイラストも著者自身によるものが多い。それらは作品の語りの信憑性を生み出す要素となっていて、文章だけでなく、こうした要素が絡むことで物語を構築している点が特徴的だ。
物語の軸となるのはゴシック趣味の科学的悪夢だ。19世紀末、グラスゴーの科学者(外科医)ゴドウィン・バクスターが、投身自殺した妊婦の身体から胎児を取り出し、その胎児の脳を母体に移植して蘇生させる。結果として生まれるのが、成熟した女性の肉体に赤ん坊の脳を持つベラ・バクスターという存在である。この設定から「フランケンシュタイン」を連想するのは当然だろう。だが、本書の“怪物”ベラは、醜悪さで人々を恐怖させるのではない。むしろ眩しいほどの魅力と自由さで周囲をかき乱すタイプの怪物なのだ。
本書の面白さは、奇抜な設定以上に“形式”にある。本書は、“ある人物が残した記録をアラスター・グレイが発見して出版した”という体裁で書かれている。青年医師アーチボルト・マッキャンドルスが残したとされる手記は、彼とベラとの関係や思い、起こった数々の出来事がもっともらしく綴られており、それこそが読者をフィクションの世界へと引きずり込む要因となっている。
アーチボルト・マッキャンドルスは、貧しい家庭に生まれ、奨学金で医学を学び、医者として立身していく青年だ。彼がベラに恋をした瞬間から、彼の視点は彼女のありのままを映し出しているかのように見えて、実はベラを偶像化している。マッキャンドルスは、ベラを自分にとって理想的な存在として、見たいようにしか見なくなっていく。彼の語りが進むにつれて、読者は少しずつ語り手の信用性に疑問を抱くようになる。
ベラは急速に成長する。体は大人でも脳が幼いため、無垢な幼児性と奔放な行動が周囲の人々を翻弄する。マッキャンドルスという相手がいる一方で、ダンカン・ウェダーという別の男と駆け落ちする。世界を旅し、各所でトラブルを起こし、パリでは売春宿のような場所で働いたりもする。ベラの行動は、恋愛感情や道徳感の欠落といった観点では説明が難しい。彼女は誰かを裏切るために行動するのではない。知りたいという欲求から踏み出し、多くを経験したいと願う。自由を試すためには立ち止まることはしない。ベラとはそういう女性なのだ。
物語の後半、ベラは大人の女性へと成熟していく中で、怪物の枠を越えて“ひとりの人間”へと変化していく。成長した彼女は、家庭を持ち、子どもを持ち、さらに社会活動へ踏み込んでいく。彼女の視点は、女性の社会進出や弱者に対する関心へとそのまなざしを広げていく。
ここで前半部分のベラの奔放さが生きてくる。彼女が行ってきた自由奔放な経験が後半では別の意味を帯びてきて、それが社会的感受性につながっていく。つまり、読者はベラの行動が単なるスキャンダルではなく、成長の過程として見届けてきたということになるのだ。
しかし、そのままきれいに話をまとめて終わらないのが本書である。マッキャンドルスの手記の後に、ベラが残した手記が挿入されることで、それまでの物語は静かに、しかし決定的に揺さぶられる。そもそも胎児の脳移植は本当にあったのか? マッキャンドルスが書いたベラ像は、どこまで真実で、どこからが彼の欲望やロマン化なのか? ベラの自由奔放さは、彼の視線が作り上げた都合のいい虚像ではないのか? そういう疑いが最後に増幅されるのである。
これこそが、本作の醍醐味といえるだろう。「哀れなるものたち」とは、フランケンシュタイン的な筋立てで読者を釣っておいて、実は“語り”そのものを疑わせる小説なのだ。記録の体裁をとりながら、記録の信用を壊していく。ノンフィクション風の手触りをまといながら、フィクションの毒を最後に濃くする。
映像化された話題作として本書を手に取った人ほど、原作の仕掛けの多さに驚くかもしれない。なぜなら、そこに奇抜さだけではなく、文体と構成で読者を操作する面白さがあるからだ。ゴシック、ファンタジー、ヴィクトリア朝の空気、そしてフェミニズムや社会思想の匂い。それらがひとつの作品の中で渾然一体となって提示されたうえで、最後に「あなたが信じた物語は、誰が書いたのか?」という地点へ連れていく。
読み終えると、ベラという人物はいったい何者だったのか、彼女は“怪物”なのか、それとも“別のなにか”なのかという問いが脳裏に渦巻く。単純には決められない宙吊りな感じがむず痒くもあり、心地よくも感じる。それが「哀れなるものたち」という作品の魅力なのだ。
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- 出版社:早川書房
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- ISBN:9784151201110
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