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Rokoさん
Roko
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孤児たちの家は約30年、子どもたちを育み続けました
祖母がいたころはまだよかったのだけれど、ヤネクとミラ姉さんのふたり暮らしになってから、生活はたいへんでした。生きていくために盗みもしていました。姉が結婚して子どもが生まれてからしばらくして、ヤネクは「孤児たちの家」へ行くことになりました。

それまで、まともな暮らしをしたことがないヤネクは、面接すること自体に恐怖を覚えていました。かつて泥棒をしたことを責められるのではないか、ケガをして以来引きずっている足のこともあるし、ここで拒絶されたらどうしよう。

でも、面接をしたコルチャック先生(ドクトル)の態度に驚きました。「君が泥棒をしなければならないような世の中が悪い」という言うのです。おまけに、先生は医師でもあるので、足の具合も診てあげようといってくれたのです。そして、孤児院の生活は夢のようでした。生まれて初めてお風呂に入り、暖かい食事をみんなと一緒に食べたし、自分にぴったりの靴も服も用意してもらいました。


ここでは、ほぼすべてのことが子どもたちの自治で行われていました。ケンカをしたり、ひどい目にあったりしたとき、被害者はそれを子供会議へ訴え出ることができます。会議では双方の言い分を聞き、裁定をします。悪いことをした子は反省し、謝罪することで許されます。

ここは篤志家による寄付によって運営されています。彼らは、ここを卒業した子を雇ってくれたりもしています。ユダヤ人たちは、助け合って生きていかなければならないのです。ここポーランドでも、ユダヤ人排斥の風が吹き始めていました。


ある時、ヤネクは「ベイリス事件」に興味を持ちました。コルチャック先生に紹介してもらったヒルシェ弁護士にその事件について聞きに行き、恐ろしい冤罪の話を聞いたのです。1911年にウクライナで起きた殺人事件で、ベイリス氏がユダヤ人であるというだけの理由で犯人として刑務所へ入れられていたのです。2年後に真犯人が分かって釈放されましたが、これはユダヤ人にとって恐怖でしかない事件だったのです。

ヤネクは、ここにやってくるまで将来の夢なんて考えたこともありませんでした。でも彼はここで、ジャーナリストになりたいという夢を持ち始めていました。

ナチスドイツの手から逃れるために、ミラ姉さん夫婦はパレスチナへ行くから、一緒に来ないかとヤネクは誘われました。でも、ヤネクは、ここに残ることにしました。それからしばらくして、「孤児たちの家」の107人の子どもたちとコルチャック先生は、強制収容所へ送られてしまいました。


イディッシュ語とヘブライ語のことが何度も話に出てきました。その違いについて知らなかったので調べてみたところ、こんなことがわかりました。
どちらもヘブライ文字を使用するユダヤ人の言語ですが、イディッシュ語は主にドイツ語由来のゲルマン系言語(東欧ユダヤ人)で、ヘブライ語はアラビア語などに近いセム系言語(古代〜現代イスラエル)です。

この本は、ベブライ語で書かれた本です。


コルチャック先生は、パレスチナでユダヤ人もアラブ人も仲良く暮らせればいいと考えていましたが、その後の歴史を知ったらきっと嘆かれたことでしょう。

「その他の外国文学」の翻訳者 で紹介されていた本です。
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Roko
Roko さん本が好き!1級(書評数:3146 件)

好きなジャンルはスポーツ、音楽、美術。
心・脳に関するものも、ついつい読んでしまいます。
小説もいいけどノンフィクションもね!

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