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Toru Kobayashi
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術語の使い方が実に独特であり、ラカンやらドゥルーズやらの難解を極める概念について、じっくり考えてみる取っ付きのところを提供してくれている感じ(決してそれらが理解できるわけではないけど)がする。
『勉強の哲学』なんていうタイトルだけ見ると、なんだか自己啓発書の類かと思って、つい避けてしまいたくなる。けれども著者が千葉雅也氏ということは、おそらくその手の話になるはずもない。そしてよく見ると副題は「来るべきバカのために」などとなっている。そうすると妙に引っ掛かりを覚えつつ、でももう何年も放置していた。それを今回、やっとのことで手に取ってみたという次第。
話は、そもそもが勉強ってのは何なのか、というところから。
勉強とは、それまで自分がいた環世界から別の環世界に引っ越すことである。
本書では「環世界」という言葉は使わず、「環境」と言っている。でも、読んでいて、ああこれは『生物から見た世界』か)に出てきた「環世界」だ、と思い、単に「環境」というより「環世界」と読み替えた方がわたくしにはしっくりきた。
ある環境での言葉は、他の環境では通じない。環境ごとに言葉の意味が異なるからだ。言葉の意味は、その環境において恣意的に付与されている。これがつまりその環境におけるコードというやつで、「そういうもんだ」というのを決めているわけだ。
ある環境におけるコードの意味や根拠を、根源的に追究し始めると、実はキリがない。この行為を著者は「ツッコミ」(あるいは「アイロニー」)と呼んでいる。しかしこれは前述の通りキリがないので、ほどほどのところで、そのコードの見方・使い方を「ずらす」。こちらは「ボケ」(あるいは「ユーモア」)と呼ばれている。これらの行為により、その環境のコードから自由になることができる。そして、「ノリが悪くなる」。それが勉強である、ということだ。
人間は物質的現実そのままを生きているのではなく、常に言語というフィルターを通して、「言語によって構築された現実」を生きている、なんて言ってて、それってラカンの現実界・象徴界・想像界を連想したし、「器官なき言語」ってそれドゥルーズの「器官なき身体」からきてる?なんて思ったら、まさにその通りだったりする。
術語の使い方が実に独特であり、ラカンやらドゥルーズやらの難解を極める概念について、じっくり考えてみる取っ付きのところを提供してくれている感じ(決してそれらが理解できるわけではないけど)がする。
後半には、「勉強」の方法に関して、実用的なあれこれも書かれていたりするのがまた意外だったりして、実に油断のならん本ですな。面白かった。
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Toru Kobayashi
Toru Kobayashi さん本が好き!1級(書評数:602 件)

サービス終了となったブクレコから漂着いたしました。
とりあえずブクレコのレビューをサルベージしてどばどば貼り付けてます。
てことでひとつよろしくお願いしますです。

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