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hackerさん
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列車ダイヤを題材とした日本初の本格的アリバイ崩しミステリーは、松本清張の『点と線』でも、鮎川哲也の『黒いトランク』でもなく、戦前に書かれた蒼井優の『船富家の惨劇』です。
「昭和前期集」というタイトルのついた、この『日本推理小説大系第6巻』には、主に戦前に活躍した13人の作家の作品が収められていますが、このレビューの中心となるのは日本初のクロフツ流アリバイ崩し長篇ミステリーである、蒼井優の『船富家の惨劇』です。早速、その作品から紹介します。


●『船富家の惨劇』(1935年)

言うまでもないでしょうが、作者の蒼井優(1909-1975)は、同名の女優とは別人ですし、男性です。彼は戦後の早い時期に筆を断ちましたが、この一作により、日本ミステリー史上に名を残す作家です。それも、この作品が大傑作と言うよりは、日本で最初の鉄道ダイヤを利用したアリバイ崩しを題材としていることが理由です。もちろん、クロフツの『樽』(1920年)の影響を受けてのことでしょうが、いわゆる本格・変格推推理小説全盛の戦前にあって、こういう一種のリアリズム志向の作家はほとんどいなかったと思います。ご本人の本職は電気技術者で、戦後は関西電力に定年まで勤めたという経歴の持ち主で、専業作家でなかったことがあったかもしれません。『船富家の惨劇』は春秋社の書下ろし長篇探偵小説懸賞に応募したもので、江戸川乱歩が激賞して、単独出版したものです。しかし、日本ミステリー史をたどるように色々な作品を読むと、あらためて江戸川乱歩のおかげで世に出た作家が多いことには感心します。この作品の特徴としては、作中の以下の分がよく表わしていると思います。

「犯罪の真相の探求という仕事は、あたかも技術者が完全に構成された機構に突如発生した事故の真因を確かめる階梯とよく似ている。
技術者はあらゆる技術的方面の才能を傾倒して、事故の原因となりうるべき素因を検討し収集し、得た材料の上に一つの仮説を築く。そしてその仮定が果たして事実と一致するや否やを、実に精密に各方面からの調査を試みて確かめる。そしてただ一つでも不合理を発見し論理の破綻を発見すれば、改めて仮説を組み直し不合理の部分の完全な説明を得んと努力する」

物語は、南紀にある白波荘という旅館の離れで起った、殺人事件で幕を開けます。殺されたのは宿泊していた船富弓子で、室内は血まみれになっており、一緒に泊まっていた資産家の夫の劉太郎の死体はありませんでしたが、近くの崖まで血痕が残っていて、そこから海に放りこまれたものと推測されました。そこは潮の流れの関係で、死体は上がらないことでも知られていたのです。犯人は、夫婦の娘の由貴子との結婚を夫婦に拒否され、その前日も夫婦を訪れて口論をしていた滝沢恒雄とされ、逮捕されます。

しかし、船富隆太郎が白波荘に到着した時、景観の良い離れに泊まりたいと主張して、既にそこに泊まっていた親子連れを説得して、譲ってもらったという妙な経緯もあり、滝沢恒雄の弁護人の桜井は、探偵の南波喜一郎に、事件の再調査を依頼したのでした。

さて、事件は、ここから二転三転します。殺人もこれで終わるわけではありません。詳しくは語りませんが、大阪、南紀、熊野、御嶽山を絡めての真犯人のアリバイをどう崩すかが、後半の焦点となります。これが、日本最初の鉄道ダイヤを題材とした長篇ミステリーと言われるゆえんです。ただ、当時の感覚ではリアリズムを標榜できたのでしょうが、松本清張の『点と線』(1958年)や鮎川哲也の『黒いトランク』(1956年)と比べると、実現性にはやや疑問符がつきます。もっとも、それは作者も分かっていたようで、犯人が最後に書いた告白文で、トリックのキーとなるある乗り換えについて「あやうく乗り遅れるところだった」と書いているぐらいです。それと、犯人は一種の傀儡師という設定なのですが、こんなに上手く他人が意のままになるものだろうかという疑問は残ります。しかし、それ以上に、パイオニアとしての評価は揺るぎのないものだと、私は思います。前半の、あれよあれよ、という展開の妙も含めて、やはり日本ミステリー史に名を残す作品でしょう。


さて、本書には、この長編の他に、15の短篇が収められています。その中から、既にレビュー済のものや著名作家のものは外し、ちょっと変わった構成が印象に残る二作的だけを紹介します。

●『窓』(山本禾太郎、1926年)

この作家のスタイルであったようですが、貿易商の出戻りの姪が住んでいた貿易商の別荘で殺害された事件を扱った本作は、その大半が関係者の聴取書、鑑定書で構成されている作品です。『船冨家の惨劇』にも、あまりにトリックに頼りすぎるミステリーへの反発が感じられますが、本作も、リアリズム重視の姿勢が強く感じられます。同じ相手への聴き取りを繰り返すことによって、相手の嘘が暴かれ、次第に真相に近づいていくプロセスは、問答の事務的な記録によって語られるだけに、妙な現実感があります。書かれた時代を考えると、かなりの意欲作だと思います。

●『赤いペンキを買った女』(葛山二郎、1929年)

ある強盗殺人を扱った本作は、その大半が裁判記録、証人、検察側、弁護側、裁判官、陪審員の問答で構成されており、『窓』同様、リアリズム重視の姿勢が感じられるものです。弁護士が、重要な証人の証言の曖昧さを鋭くついていく様は、なかなか迫力があります。いわゆる法廷ミステリーの元祖と呼べるのはどの作品だかよく分かりませんが、ペリー・メイスンの第一作『ビロードの爪』が書かれたのが1933年ですから、それに先駆けていることは間違いありませんし、こちらも、かなりの意欲作だったと思います。

その他の収録短篇は、題名、作者名、初出年だけ紹介しておきます。

・『上海された男』(谷譲次、1925年)
・『予審調書』(平林初之輔、1926年)
・『恋愛曲線』(小酒井不木、1926年)
・『可哀そうな姉』(渡辺温、1927年)
・『ジャマイカ氏の実験』(城昌幸、1928年)
・『艶隠者』(同上、1948年)
・『瓶詰の地獄』(夢野久作、1928年)
・『偽眼のマドンナ』(1渡辺啓介、1929年)
・『決闘記』(同上、1937年)
・『振動魔』(海野十三、1931年)
・『司馬家崩壊』(水谷準、1935年)
・『ある決闘』(同上、1951年)
・『三狂人』(大阪圭吉、1936年)

そして、本書収録短篇のうちでは、『可哀そうな姉』が群を抜いて素晴らしいことを、最後に付け加えておきます。興味のある方は『アンドロギュノスの裔 (渡辺温全集)』を読んでみてください。残念ながら、27歳で自動車事故により夭折したこの作家で、もう一作挙げるなら、本書に収録されてはいませんが、これも忘れがたい『父を失う話』になります。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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