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ぽんきち
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近代日本とともに、時代を駆け抜けた「科学者の自由な楽園」
『科学道100冊』の1冊。

科学道100冊プロジェクトは、理化学研究所(理研)と編集工学研究所による企画である。
本書の主題は、理研の成立とその道のりであるので、この1冊は、ある意味、理研が理研についての本を選んだ、「手前味噌」的なものかと思っていた。そういう面もなきにしもあらずなのだろうが、予想以上におもしろくてちょっと驚いた。
大正から昭和初期に掛けて、1つの研究所と、それに関わった所長・大河内正敏をはじめとする多くの人々を通して、激動の時代、不安定でありつつ不思議な希望に燃えた歴史が見えてくるのだ。

理研は、アジア初の自然科学総合研究所であり、鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、長岡半太郎、池田菊苗、湯川秀樹、朝永振一郎、仁科芳雄と、多くの分野で錚々たる人材を生み出してきた。世間を大きく騒がせた2014年のSTAP細胞騒ぎは記憶に新しいところではあるが、現在でも総合科学研究所として大きな存在である。物理学、工学、化学、数理・情報科学、計算科学、生物学、医科学など、広い分野で研究が行われている。

一方、「ふえるわかめ」や「ノンオイルドレッシング」で知られる理研ビタミンも、理研とは深いつながりがある。「リケンのわかめスープ」は、理化学研究所なくしては生まれないものだったのだ。

明治維新後、日本はお雇い外国人に学生を指導させ、そうして学んだ俊英を西洋に送って現地での研究を体験させた。帰国した彼らは、今度は教官となって次世代を育てた。努力の甲斐あって明治末期には、外国人教官に頼らなくても教育は成り立つようになってきた。
だが、研究となるとまた別である。西欧諸国のような整った環境はいまだなかった。
アメリカで業績を上げていた、タカジアスターゼで知られる高峰譲吉は、日本の行く末を案じ、「国民科学研究所」構想を打ち立てる。渋沢栄一ら、財界人に働きかけ、さらに渋沢が政界も巻き込む形で、大正6年、「公益法人 理化学研究所(理研)」が発足した。

しかし、発足はしたものの、研究所は財政難に苦しんだ。第一次大戦が終わり、日本を不景気が見舞っていた。寄付金も集まらず、研究所の建設もなかなか進まない。建物が出来た後も、とかく金がかかるのが研究である。人材を集め、研究費を捻出するには、当時の民間からの寄付金や国からの補助金だけでは足りなかった。
では、理研はどうしたか。
発明による特許や事業による収入を研究資金に充てたのである。
いわゆる「理研コンツェルン」。
吸湿剤のアドソール、眼病や結核の患者に飲ませるビタミンA、合成酒など、さまざまなものが売り出された。
初めから発明を目していたのではなく、基礎研究から得られた発明もある。その1つが「アルマイト」である。電気巻線の多湿下での劣化の研究から生まれたもので、アルミニウムに耐水性が備わった、画期的な素材となった。
こうした発明を、理研傘下の中小企業が販売し、その収益を理研に還元していったのだ。前出の理研ビタミンのルーツもここにある。

こうした大胆な運営を行ったのが、所長となった大河内正敏である。
「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱の子孫にあたり、貴族院議員にして造兵学の学者であった。弱冠43歳の大河内が諸先輩を差し置いて所長の座に着いたのには様々な裏事情があるようだが、いずれにしろ、その手腕はすごかった。
出自からして「お殿様」の大河内は、ときに鷹揚に、ときに厳しく、研究所運営に当たった。殿がしつらえた、理研という大きな水槽の中で、研究者たちが伸び伸びと泳ぎ回り、次々と成果を上げていった。
「科学者の自由な楽園」がここに生まれたのだった。

だが、よい面ばかりとも言えなかった。
研究は直ちに結果の出るものではない。事業会社は利益を上げてもどんどん吸い上げられ、ひずみがたまっていく。
そして時代は第二次大戦に向かう。研究所も否応なく、軍事体制へと巻き込まれていく。
やがて終戦。理研は戦争協力を疑われ、所長の大河内も一時は戦犯容疑者とされる。理研コンツェルンも解体を余儀なくされた。

大河内は後、釈放はされたものの、理研の所長の職は解かれる。晩年は不遇であった。
理研自体も戦後は厳しい道を歩む。コンツェルンの解体で研究所は資金源を失う。昭和23年には株式会社科学研究所と名を変え、ペニシリンの販売で収益を得るが、それも長くは続かなかった。金に汲々とする体質はかつての研究所の闊達な空気からは程遠かった。
だが昭和30年代になると、「科学技術振興」を掲げた国家から救いの手が差し伸べられる。33年、新生・特殊法人理化学研究所が発足し、現在に至っている。

こうした大きな流れに加え、青年期の田中角栄、後に医師会会長となる武見太郎と大河内との関わりのエピソードも興味深い。
多くの科学者らの逸話もふんだんに盛り込まれ、若干、冗長に感じる部分もないではないが、20ページもの紙幅が割かれた謝辞・引用文献に著者の熱意を見る。

巻末の池内了の解説も読みごたえがある。
「科学者の自由な楽園」と呼ばれた一大研究所の成立から、第二次世界大戦敗戦までの流れは、科学技術開発と国家・政治との関わりについても深く考えさせる。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1826 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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