書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

ときのき
レビュアー:
夜の向こう、霧の内側から届けられた声
 ユダヤ人で精神科医の著者が、アウシュビッツ強制収容所での経験を語った記録だ。
 エピソードとその解釈の具体的な記述が何よりの魅力で、率直に語ることもあれば筆がためらいを見せることもあり、可能な限り職業的な客観性を保持しようと努めながら、そのように冷静に状況を“理解”してみせることの胡乱さにも意識的だ。極限状態で維持される客観性とは、それ自体が目前の現実から自身の意識を切り離し、無感動のガラス越しに世界を眺めさせるための逃避的な態度に他ならないのではないかといった自問もまた含みながら、収容所での観察と内省がつづられていく。

“部外者は距離をとっていた。ただし、とりすぎていた。経験の激流から遠く離れていた部外者は、妥当なことを言える立場にはない。”
“「まっただなか」にいた者は、完全に客観的な判断をくだすには、たぶん距離がなさすぎるだろう”
 このように記しながら、苛烈な体験によりゆがんでしまった物差しを当てていることを前提した上で、人類史に刻まれた「壮大な地獄絵図」としてではなく、その内側で実際に日々を送った人間として体験した「おびただしい小さな苦しみを描写」したい、という前文の言葉そのままに、後世の一資料として控えめに自らの経験を証言する。

 本書は、1947年に初版が出版された原著の、1977年における改訂版を訳出したものだ。幾つかの変更とエピソードの追加があり、訳者はこれをイスラエルの建国神話を本書が支えてしまったことからくる著者の複雑な思いが反映しているのではと推量する。
 本も、その書き手も、時代の子であることからは逃れられない。そこにはまた当然ながら読者も含まれる。時代を画した名著に触れて学べるのは文字として記されたことだけではない。その巨大な影響力が良きに悪しきに社会を変えた痕を辿ることができるのも、後の世に生まれ、本を手に取ることのできる立場のメリットだ。
 一語一語にフランクルの、彼自身としては誠実な選択の跡をたどりながら、読者はそこに含まれた戸惑いや、克明な描写の隙間に空いた無限の行間や、彼が意識しないままに設定した見えない語りの枠組みについて思いを馳せる。これも読書の滋養というものだろう。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
ときのき
ときのき さん本が好き!1級(書評数:137 件)

海外文学・ミステリーなどが好きです。書評は小説が主になるはずです。

素晴らしい洞察:1票
参考になる:24票
共感した:2票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ