芥川龍之介全集〈3〉





『藪の中』 文芸作品の多義的鑑賞の成立、あるいは「読み」の多義的可能性を意図した作品であろうと思う。
『藪の中』 読後感として様々に考察意欲がそそられる作品だが、黒沢明監督作品「羅生門」から受けた鮮烈…





『藪の中』 文芸作品の多義的鑑賞の成立、あるいは「読み」の多義的可能性を意図した作品であろうと思う。
『藪の中』 読後感として様々に考察意欲がそそられる作品だが、黒沢明監督作品「羅生門」から受けた鮮烈…




「心にあるむごさ」「業」が最大公約数的に了解されるということではなく、個々人がそれを我がこととして抱えている「心の闇」を暴かれる「こわさ」がある。
「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私(わたくし)小説を鬻(ひさ…

『余された存在』と『取り違えた価値』
この小説は様々な側面から感情移入してしまう作品だ。 一度読んでから再読してみて(肝心なところで思い…

「俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術もまたそうである。まっとうでなければならない。」
ひと時代に区画されたその時代の人間の慟哭があり呪詛があり、そして一条の光がある。 もしそこに永続的…

『逃げたい心』 健気な妻を描いている影に大谷(おそらく太宰自身の)の名で自らの姿を投影した姿が見えてくる。
坂口安吾に『逃げたい心』というのがある。 太宰の『ヴィヨンの妻』を読見終わって、あれこれ考えている…




「根拠なき自己過信」や「非常に驕慢な無知」そして「底知れぬ無責任」 コロナ禍においての政府の対応の姿とは何かと問われればまさにこのことだろうと思う。
『語り継ぐこの国のかたち』を読む中で結構多くの紙幅をさいているのは「過ちが繰り返される構造 ノモンハ…




理系ならではの発想でコロナを読み解き注意を喚起する。エッセイの持つ判り易さに数学的明快さが加味されている。
理系ならではの発想でコロナを読み解き注意を喚起するとともに、たとえこの疫病が去ったとしても過ぎ去った…





人事権を濫用して官僚を思うように支配し、メディアに圧力をかけ、司法の独立性を侵害し、携帯電話料金の値下げなど物質的恩恵を与えお友達政治という差別的法治主義を貫く。彼らはポピュリストではないのか
なぜポピュリズムは民主主義への脅威なのかを問う著。 ポピュリズムとは、ある特定の政治の道徳主義…




些細なエピソードが当人の思惑のいかんに拘わらず他人にとって記憶によって「不滅」となってしまうエピソード。 行動・仕草とか顔の表情に現わされる自意識。 複式夢幻とでもいいたくなる凝りに凝った作品
我々は死によって二度とこの宇宙には存在しないことになる、どう足掻こうがそれは避けて通れない。しかし記…





このインチキ臭い世の中からお前は堕落していると言われるなら、徹底して堕落すべきだ、と言っているのだ。それは逆説的だとも真意だともいうことができるだろう。
『堕落論』には13の小文からなっていて、題名からは内容がイメージできないものが殆どだ。 「堕落論」…




「知性」とは身体感覚であり体で感じる痛みとか快感とかと同様で、感じ方も速く直観的だ。自分の身体で感じ取れないような言葉とは幽霊のようなものであろう。 空疎でリアリティのない言辞を吐くのが反知性主義だ。
浮遊する空疎な言葉が飛び交う政治や社会状況のなかで「知性」とは身体感覚なのだ、というのが読んだなかで…



肉親を語ることは、何をも増して語りづらい。でも、だからこそ、皮膜の内側にあってそこから逃げ出せない己を感じる機会なんだと思わせられた。
アンチ春樹だった僕が、偶然読んだ記事からどうしても読んでみたいと思ってしまった。 読み終えて短い感…





「私」にとって日々日常とは何なのか。いったい如何なる何の均衡によって保ち得ているのか。 ペストは、そしてコロナは私たちに何を語ろうとしているのか。
アルベール・カミュ『ペスト』を何十年かの歳月を隔てて再読してみようと試みた。 作者はできるだけ…

「永続敗戦」=敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。戦後レジームの核心
1945.8.15は「終戦の日」なのか「敗戦の日」なのか深く問い直すこともせず来てしまった。 なん…




金閣寺焼失をモチーフとしながらも、物語は換骨奪胎された悲運な男女の情を描いた作品
夕霧楼の主人酒前伊作が急逝した樽泊に夕霧楼を引き継いだかつ枝とお供の久子が弔って間もなく、近隣の村…




「学校じゃあんましおせえないこと」を学んだひとつ。芸妓、娼妓の世界を鏡花の色香で染めた文体に酔って読む。
ある書評には鏡花のものでは異界小説は良く読まれているが、『婦系図』や『日本橋』のような花柳界小説など…




「個人と組織(個人を取り巻く関係性の全てU」の相克、歴史のなかの「個人」を野上弥生子らしい歴史観で描いた長編。
省三の郷里九州のとある町は、当時どこにでもあったかに思える狭い土地のなかで固陋な利害関係からの…




野上弥生子『迷路』について。人間のひとりひとりの性質、性格というものが登場人物の姿になってそれぞれ枝を分つて違った運命を辿るのだなというのを見せつけられた気がする。
文庫で四冊分になる長編の主人公は誰なのかを問うのは馬鹿げているのかも知れないが、多くの紙幅を割いて描…



「渦」のなかでもがきつつ、身内に溜めておれない熱量をあてどなく発散したい衝動。狂気じみたエネルギーの奔流の行き場のなさが檀という一人格にだけあるようでそうではない
檀一雄『火宅の人』 晩年までの長い期間を経て書き続けられなければならないほどの価値があったのか…





主人公長谷川の前に現れた夫人の一瞬の機微。
このところ映画を観ていなかった。久々になるが、なかなか一本映画を観るというのがなかなかだったからだ。…