「ホンノワ」テーマ:
フィネガンズ・ウェイク詳読会
登録日:2014年11月17日 20時20分

タイトル: | Finnegans Wake (Classic, 20th-Century, Penguin) |
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著者: | JamesJoyce |
出版社: | Penguin Classics |
発売日: | 1999-12-01 |
価格: | 1804円 |
平均レート: | ☆ |
テーマの説明
原書を持っている人(現状は私)が原文を一節お題として出し、すごいけど読めたもんじゃない柳瀬訳、意味の取りこぼしを受け入れて読みやすくなったらしい宮田恭子訳とを参考に、原文のどの箇所にどういった意味が込められているのか、自分ならどう訳すかを各自発表します。
誰も参加しなかったら寂しいので知り合いを招いていますが、どなたでも飛び入りで参加できます。
フィネガンズ・ウェイクがどんな本かについては、柳瀬尚紀の フィネガン辛航紀 > http://www.honzuki.jp/book/222401 を読むのをお勧めします。
「俺自身が最強なので他人の訳など必要ない」という方は、一切参考文献を見ずに訳してみるのもいいでしょう。
準備等があるので、1週間後くらいにスタートします。
誰も参加しなかったら寂しいので知り合いを招いていますが、どなたでも飛び入りで参加できます。
フィネガンズ・ウェイクがどんな本かについては、柳瀬尚紀の フィネガン辛航紀 > http://www.honzuki.jp/book/222401 を読むのをお勧めします。
「俺自身が最強なので他人の訳など必要ない」という方は、一切参考文献を見ずに訳してみるのもいいでしょう。
準備等があるので、1週間後くらいにスタートします。
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最初は、冒頭の一節にしましょう。
riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us back by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.
フィネガン辛航紀では94ページに解説が載っています。
締め切りは2週間後の日曜で、それより早く揃ったら前倒しで進めましょう。
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・、河ぞ行かむ
riverrunと小文字で始まっている違和感を出すために、句点を最初につけた(巻末のand theから繋がってくる)。
日本語では方丈記(ホウス城のようでもある)が有名なので、『川が行く』と言えば、自然に歴史の流れにイメージが重なる。
riverrunはneverrunの響きもありそうで、合わせて「流れる川はまた悠久に変わらず」という意味が込められていそうにも思えるので、「行く」と「行かない」の両方にとれる「行かむ」とした。「行かん」にしなかったのは、「rever(フランス語の夢)」が暗示されていることへの対応として、む(夢)を入れるため。
河は、幾多の可能性を孕んで流れる川という意味で「可」の入っている方を選んだ。
河行かむの方がリズムがいいが、「変わりゆかん」と多少なりとも音の近い方を優先した。
revertrun(逆走る)が入っていそうな気もするが、これは諦めた。
・社
アダムとイブ礼拝堂を社で、アダムとイブから始まる歴史を八代に匂わせた。(もうちょっとなんとかできそうに思う)
・きしっと突き出た岸から、ぐわんと凹んだ湾へ
swerve of shore to bend of bayの頭文字は意識しているのだろうから、何かしらの形で受け継ぐべきだ。
ここは非常に音のノリがいいところなので、擬態語でリズミカルに訳すのがいいと思った。
柳瀬訳の『く寝る』が何なのか考えた末、「アダムのswerve of shoreがイヴのbend of bayにtoしてrecirculation backしてる」という理解に至ったので、性的な含意をやや強調した。
bend of bayにはendの響きがある、そう考えるとswerveはstartに少しは似ている。
そこで「きしっ」の「し」を「始」にした。endの側は、五十音最後の行である「わ」と五十音最後の文字である「ん」でおぼろ気に暗示するにとどめた。
ここは正直やりすぎな感はあるが、bendから自然に連想されるendと同レベルで存在のはっきりしたendやstartを風景に溶け込む形で紛れ込ませることはできなかった。
shoreにはユダヤ人に対するショアーが篭っていそうな気もする。(柳瀬訳の「川走=戦争」はここの反映だろうか)
from start of shoah to end of day、でかなり意訳して「悲しみの始まりから喜びの終わりまで」と読めなくもない。
読めなくもないレベルなので、「きしっと」が「喜しっと」、「ぐわん」が「わーん(泣き声)」「ぐわーん(ショックの擬態語)」と読めなくもない、くらいでいいかということでそのまま。
・連れられて
bringsにはringが隠れている。
なるべく自然な形でringが現れるように、普通にbringの対訳になる言葉で字の構成に輪や円を意味するパーツが入っているものを使おうと考え、連を選んだ。
・昔日の府落たる大通り
ヴィーコ・ロードだが、ヴィーコの名前を出さずに歴史の円環にニュアンスの近い言葉としてフラクタルを隠し(「昔日のフラクタル」で、過去が歴史の中で繰り返すイメージ)、villageとしてのvicoに府落という造語を入れた。なんとなく、村落とか部落の仲間に見えると思う。
集落や部落の落は落ち着くという意味らしく、この一字でcommodius vicus丸ごとカバーできる。
ここは原文で唯一ラテン語とか持ち出してるところなので、多少毒々しいのは許されると思う。
brings us, commodius, vicusの脚韻は府落たる、戻りたる、現るで受けた。
・ホウス城とその周辺諸域
基本的に、作者が日本語ネイティヴだった可能世界へのシャーマン行為が翻訳のあるべき姿と思っている。
ジョイスは英語ネイティヴだからイニシャルにこだわったのであって、日本語で書いてたら、HCEという記号にはこだわらなかったと思う。
多分、部首とか使ったんじゃないだろうか。
そういうことで、私の訳では以後、つちへん、しんにょう、ごんべんをHCEとして使う(Here Comes Everybodyは「誰もが辿りつくこの場所」)。
すみません、詳読ならぬまさに抄読ならばどうなるかという感じで俺様最強(いや最弱)の訳を作ってみました。イメージはやはり方丈記でしょうかねえ。commodius vicus はcommodityのイメージで無理やり読み込み、Howthはあえて固有名詞化を避けて(語調を整える以外の何物でもない)訳すというトンデモをやってのけました(汗)。この文を読んだ時にやはり川の流れのイメージが強いので、それを何とか生かせないかと。とりとめない印象が出たらいいなと思いました。締切当日にこの投稿でほんとにすみません(^^;