拾得さん
レビュアー:
▼
アメリカからの家族神話論とその課題
「両親が女性」という家族のアメリカ映画を見たことがある。大きくなった子どもは、精子提供者である生物学上の「父」に関心をもち、探し出して・・・、とそのてんやわんやが描かれる。子どもをもった同性婚カップルの「その後」という新奇な設定で話題をつくろうとしたのだろうが、その描かれ方はとても「ふつうのアメリカの家族」風であった。言い換えれば、「両親共に女性だろうがなんだろうが、家族は家族だ」というメッセージ満載だった。もっと「いろいろ」になるのかと思ったら、ふつうさを打ち出していて驚いてしまった。
本書は、そのアメリカにおける「家族は家族だ」を歴史的に問い返す試みである。著者のことばを借りれば、「伝統的」とおもわれる家族は、アメリカの歴史の中で一度も存在しなかった、ということである。もしくは、1950年代のごく一部の白人中流家庭によって実現されていたに過ぎないイメージが、普遍的な価値を持つものとして理想化されたにすぎない、ということである。
上野千鶴子らの「近代家族」の議論になじんだ人ならば、さして新味はないかもしれない。しかし、ここでとりあげられる、アメリカ国内のさまざまなエピソードや事実、そしてテレビドラマなどメディア上のイメージなどの丹念な収集からは、日本の家族論議についても、多くの刺激を得ることができるのではないだろうか。
目を惹くのは、アメリカンファミリーと対になる価値観としてあった「自立の精神」についての議論である。アメリカにおける自立の精神の原像は、家族単位で行なわれた西部開拓民にある。そう、あの「大草原の小さな家」である。家族こそが自立のための基本単位なのである、と。
本書では、そうしたイメージはあくまで虚像でしかなく、国家による支えなくしては成り立たないものであったことを詳細に明らかにしていく。アメリカ社会における格差の大きさは、こうした自立の精神によって肯定されてきたといってよい。いいかえれば「私がこれだけの報酬が得られるのは、私が自立した精神でがんばってきたからである」と。著者の議論は、そこに「自分の得た報酬は。実は自分の能力や努力によるものではないかもしれない」という考えを入れるきっかけとなるはずだ。
本書の原書が刊行されてからもだいぶ日が経っているが、本書は1980年代の「家族回帰」へのアンチテーゼとして出されているのであろう。時間が経ってからの邦訳は、本書の受け止め方にも差をもたらすかもしれない。日本でもは、近代家族論議も一時期のようにははやらないようだが、「無縁社会」など「現実」からの別のインプットが大きな影響を与えていかにみえる。もしかしたら、家族イメージはもはや神話でしかないことを意識する人が多くなっているからかもしれない。
ただ、本書でも繰り返し取り上げられ、同時代の論客が踏み込むべき課題はまだまだあるように感じる。家族に代わる絆は何なのか、議論すべきものは山ほどあるのではないだろうか。
ところで、本書で著者はアメリカの伝統的家族のもつ虚像性を繰り返し指摘しているが、なにゆえそのイメージが強力に広がったのかが、かえって気になってしまう。
*初出:bk1 2011年11月13日
・再掲載にあたり、いくつか文言の修正や改行などを行いました。
本書は、そのアメリカにおける「家族は家族だ」を歴史的に問い返す試みである。著者のことばを借りれば、「伝統的」とおもわれる家族は、アメリカの歴史の中で一度も存在しなかった、ということである。もしくは、1950年代のごく一部の白人中流家庭によって実現されていたに過ぎないイメージが、普遍的な価値を持つものとして理想化されたにすぎない、ということである。
上野千鶴子らの「近代家族」の議論になじんだ人ならば、さして新味はないかもしれない。しかし、ここでとりあげられる、アメリカ国内のさまざまなエピソードや事実、そしてテレビドラマなどメディア上のイメージなどの丹念な収集からは、日本の家族論議についても、多くの刺激を得ることができるのではないだろうか。
目を惹くのは、アメリカンファミリーと対になる価値観としてあった「自立の精神」についての議論である。アメリカにおける自立の精神の原像は、家族単位で行なわれた西部開拓民にある。そう、あの「大草原の小さな家」である。家族こそが自立のための基本単位なのである、と。
本書では、そうしたイメージはあくまで虚像でしかなく、国家による支えなくしては成り立たないものであったことを詳細に明らかにしていく。アメリカ社会における格差の大きさは、こうした自立の精神によって肯定されてきたといってよい。いいかえれば「私がこれだけの報酬が得られるのは、私が自立した精神でがんばってきたからである」と。著者の議論は、そこに「自分の得た報酬は。実は自分の能力や努力によるものではないかもしれない」という考えを入れるきっかけとなるはずだ。
本書の原書が刊行されてからもだいぶ日が経っているが、本書は1980年代の「家族回帰」へのアンチテーゼとして出されているのであろう。時間が経ってからの邦訳は、本書の受け止め方にも差をもたらすかもしれない。日本でもは、近代家族論議も一時期のようにははやらないようだが、「無縁社会」など「現実」からの別のインプットが大きな影響を与えていかにみえる。もしかしたら、家族イメージはもはや神話でしかないことを意識する人が多くなっているからかもしれない。
ただ、本書でも繰り返し取り上げられ、同時代の論客が踏み込むべき課題はまだまだあるように感じる。家族に代わる絆は何なのか、議論すべきものは山ほどあるのではないだろうか。
ところで、本書で著者はアメリカの伝統的家族のもつ虚像性を繰り返し指摘しているが、なにゆえそのイメージが強力に広がったのかが、かえって気になってしまう。
*初出:bk1 2011年11月13日
・再掲載にあたり、いくつか文言の修正や改行などを行いました。
お気に入り度:







掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
学生時代は書評誌に関わってました。今世紀に入り、当初はBK1(現在honto)、その後、TRCブックポータルでレビューを掲載してました。同サイト閉鎖から、こちらに投稿するようになりました。
ニックネームは書評用のものでずっと使ってます。
サイトの高・多機能ぶりに対応できておらず、書き・読み程度ですが、私の文章がきっかけとなって、本そのものを手にとってもらえれば、うれしいという気持ちは変わりません。 特定分野に偏らないよう、できるだけ多様な書を少しずつでも紹介していければと考えています。
プロフィール画像は大昔にバイト先で書いてもらったものです。
- この書評の得票合計:
- 2票
| 参考になる: | 2票 |
|
|---|
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。
この書評へのコメント

コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:筑摩書房
- ページ数:0
- ISBN:9784480863072
- 発売日:1998年03月01日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。
『家族という神話: アメリカン・ファミリーの夢と現実』のカテゴリ
- ・政治・経済・社会・ビジネス > 社会
- ・政治・経済・社会・ビジネス > 社会科学





















