サワコウさん
レビュアー:
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イヴ・モンタンのシャンソンにインスパイアされて書かれた、楽しくて、お洒落でちょっと哀しい12のファンタジー。
絵画、クラシック音楽ときて、次はシャンソン・・・ということでもないけれど、今回は少し肩の力を抜いて、大好きな今江祥智さんのファンタジーです。
かように今江祥智さんはイヴ・モンタンの大ファンで、この一節も初出はモンタン日本公演のプログラムでした。なので、今江さんの児童文学にはたびたびモンタンが出てきます。そして、本作はそのものズバリ、モンタンの歌のタイトルをそのままに今江さんが12の小さな物語を作り上げた、ファンタジー集なのです。本音を言えば、僕自身はどちらかと言えばシャンソンは苦手なのだけれど、今江さんに敬意を表して、モンタンを聴きながら書くとしましょうか・・・
今江祥智さんのスタンス
今江さんは子どもの本について、
とおっしゃっています。それでご本人の書かれるものについても、つねづね、
「大人が読めて、そして子どもにもわかるもの」
と言っておられました。本作は、中でも特にイヴ・モンタンにインスパイアされたということで、
と、少々心細げなことをつぶやいていらっしゃいます。まあもっとも、こういったことは毎度のことで、ご本人はいつも自信満々でおられたようですが。
そういうわけで、本作はゆるゆるすらすら読めてしまうけれど、優しい言葉遣いの中に、結構大きな社会テーマが潜んでいたりするわけです。そこは、12の作品のうちほとんどが、モンタンの歌とは直接関係なくタイトルからイメージされたものであり、大人が読めるとは言いながら、そこはやはり児童文学として子どもに何を伝えるかを意識された故だろうとおもいます。
12のタイトルと幾つかご紹介
それぞれのタイトルはモンタン来日公演の際の曲タイトルだそうで、以下の通りです。
・歩きながら
・心ならずも
・お勘定
・ぼくのスミレちゃん
・指揮者は恋している
・コーヒー畑
・ルナ・パーク
・縞しまのチョッキ
・枯葉
・四輪馬車
・ハリウッド
・美しい瞳
こうして並べてみると、「心ならずも」とか「美しい瞳」とかいかにもシャンソンっぽいタイトルで、その歌そのものを聴いてみたくなるけれど、残念ながら「枯葉」以外YouTubeでは発見することができませんでした。「枯葉」は有名なので、モンタンに限らず大勢の人が歌っていますよね。そんな有名どころを今江さんがどう料理されたのか、本作の読みどころはそんなところにもあるわけです。で、その「枯葉」ですが。
天外宇宙、という、随分大仰な名前の麻子のおじいちゃんは有名な手品師で、毎朝のように手品で麻子を起こしてくれていました。おじいちゃんは実は高所恐怖症だったのだけれど、そんなおじいちゃんに、あろうことかアメリカとフランスから招待が舞い込みます。でも、それ以前に麻子には心配ごとがありました。最近のおじいちゃんは物忘れがはげしく、手品のたねやしかけを忘れてステッキと靴を取り違えたり、スミレの花がネズミになってしまったり、それでも見ているお客さんは、そういうもんなんだろうと拍手喝采をくれるのです。
招待がきたとき、初めは飛行機が怖くて渋っていたおじいちゃんだったけれど、自分が高所恐怖症ということ自体を忘れてしまい、ついうっかり招待にのってしまいます。麻子は、これはもう自分がついてゆく他ないとおじいちゃんと一緒にゆくのですが、案の定、おじいちゃんはいろいろな失敗をやらかします。現地の人は、そんなおじいちゃんに冷たい視線を送りながらも、新聞などではおじいちゃんを褒めそやします。おじいちゃんは気づいているのかいないのか、テレビ局の人にもらったビデオに映る自分を見て喜んでいます。麻子は悲しくなり、「このままではおじいちゃんは、ほろりと落ちてみんなにふまれる枯葉になってしまう」と思って、ある決心をするのです・・・
それから「指揮者は恋している」はこんなお話。
自分のパパが何を仕事にしているのかよくわからなかった治は、ある日お母さんにコンサートに連れて行ってもらい、パパが初めて指揮者だということを知ります。それ以来、治もパパを真似て指揮棒を振るような格好をするのだけれど、ママに言わせると、それは「棒ふりダンス」だそう。小学校になって初めてパパの部屋に入れてもらい、ハイドンのチェロ・コンチェルトを聴いて、治はすっかり気に入ってしまい、ハイドンが流れると自然に棒ふりダンスを始めてしまうまでになってしまいます。
普段は人前ではやらない治だったけれど、2年になって友だちになった明くんちに行ったとき、たまたまラジオから流れてきたハイドンに合わせ、うっかり棒ふりダンスをやってしまった治を見て、明くんのお父さんがそれを釣竿を振っていると勘違いしてしまい・・・
この先、治のパパと釣りがどう絡んでくるのか、パパは何に恋しているのかはぜひ、本書をお読みください。
他に、「歩きながら」はテレビに映る犬を見て2本足で立って歩くことを覚えた飼い犬に、今度は言葉をしゃべるようにしむけようとする女の子のお話、「心ならずも」は、せっかちで、でも甘いやさしい声で鳴く兄さんねこと、ガラガラ声だけどおっとりした性格の弟ねこにそれぞれ、「アンダンテ(ゆっくりと)」「カンタービレ(歌うように)」と反対の名前をつけてしまったばあさまが、年を取って何か趣味を持ちたいと、若い頃には見向きもしなかったすもう見物にハマるお話。
あるいは芝居を生業に、地方公演などでほとんど家にいないお父さんと、4人兄弟の一番上の周一が飼い始めたうさぎが織りなす家族の物語「ルナ・パーク」、それから、ハバナの社会情勢に、イヴ・モンタンと彼の歌が直接登場する「コーヒー畑」。本タイトルの「縞しまのチョッキ」は、ピアノに興味を持った洋子が、もともと自分がやりたかったピアノを娘に教えるという情熱で夢中になるお母さんと、お嬢さん然とした50すぎのご婦人でのんびりしたピアノの先生とのあいだで悩み、ピアノが嫌いになりそうになるのをお父さんが取り持ってくれるという、まさに当時(1983、4年頃)の世相を反映したような物語です。
さらに今江さんは、例えばこれは絶対見るべきという演劇があれば、娘に学校をずる休み(なんのかんの理由をつけて)させてでもそっちを優先させる、という人だったので、劇団や芝居、舞台に関する造詣も深く、「美しい瞳」も役者がモチーフの物語です。
そして、本書もまた宇野亜喜良さんのカバー絵や挿画によって、美しく彩られています。
本書を通して
今江さんは、『ぼくの宝島』の中の「大人の時間 子どもの時間」でこうもおっしゃっています。
それでも、と、僕も今江さんと同じように考えるのです、本書のように、大人が読んでも充分に面白いたちのものから出発するのが子どもの本の世界だ、と。先にも書いたように、本書の中の12の物語はどれも平易な言葉で書かれていて、すらすらと、それこそ十数分もあれば読めてしまうものばかりです。でも例えば「枯葉」は今で言う認知症を扱っているし、「心ならずも」のばあさまは一人暮らしで暇を持て余している。本書の中の12の物語は、一見ただ面白いだけのお話でも、親子や友だち同士の関係など考えさせられることをいっぱい含んでいます。けれど、どれも大小の問題を乗り越えて、親子の、友だち同士の、地域や社会、もっと大きな世界との<愛>に繋がってゆく、そんな、優しさに溢れた物語なのです。最近の児童文学については寡聞にしてよく知らないけれど、「子どもでも読める」というのはつまり、それを手にする年齢によっていろんな読み方ができる、ということではないでしょうか? 本書は、子どもは子どもなりにまた、大人は大人で、イヴ・モンタンのファンの人にはイヴ・モンタンに照らして読める、そうした美しくてちょっと切ない一冊なのです。
イヴが部屋に入ってくると、まるで太陽が一緒に入ってきたみたいだった ⎯⎯ と、シモーヌ・ベルトーは『ピアフ伝』に書いていたが、わたしにとってもモンタンはそんな感じの人間であった。こちらが若くて無鉄砲な中学教師のころから、慌ただしい編集者のころも、離婚後のあらくれた時期にも、娘と二人暮らしの十年間でも、モンタンの歌声と生きっぷりは、まっかまん丸なお日さんのようだったり、冬の陽ざしのように厳しく暖かだった。
『ぼくの宝島』 青土社/「モンタン讃」より
かように今江祥智さんはイヴ・モンタンの大ファンで、この一節も初出はモンタン日本公演のプログラムでした。なので、今江さんの児童文学にはたびたびモンタンが出てきます。そして、本作はそのものズバリ、モンタンの歌のタイトルをそのままに今江さんが12の小さな物語を作り上げた、ファンタジー集なのです。本音を言えば、僕自身はどちらかと言えばシャンソンは苦手なのだけれど、今江さんに敬意を表して、モンタンを聴きながら書くとしましょうか・・・
今江祥智さんのスタンス
今江さんは子どもの本について、
大人の目の鑑賞に耐えられんようなのは、結局はあかんのや、
『ぼくの宝島』 青土社/「大人の時間 子どもの時間」より
とおっしゃっています。それでご本人の書かれるものについても、つねづね、
「大人が読めて、そして子どもにもわかるもの」
と言っておられました。本作は、中でも特にイヴ・モンタンにインスパイアされたということで、
肝心の物語の方がうまくいっておりますことやら、子ども大人それぞれに読める「童話」として、ちゃんと書けていますことやら・・・。
『縞しまのチョッキ』 青土社/あとがき より
と、少々心細げなことをつぶやいていらっしゃいます。まあもっとも、こういったことは毎度のことで、ご本人はいつも自信満々でおられたようですが。
そういうわけで、本作はゆるゆるすらすら読めてしまうけれど、優しい言葉遣いの中に、結構大きな社会テーマが潜んでいたりするわけです。そこは、12の作品のうちほとんどが、モンタンの歌とは直接関係なくタイトルからイメージされたものであり、大人が読めるとは言いながら、そこはやはり児童文学として子どもに何を伝えるかを意識された故だろうとおもいます。
12のタイトルと幾つかご紹介
それぞれのタイトルはモンタン来日公演の際の曲タイトルだそうで、以下の通りです。
・歩きながら
・心ならずも
・お勘定
・ぼくのスミレちゃん
・指揮者は恋している
・コーヒー畑
・ルナ・パーク
・縞しまのチョッキ
・枯葉
・四輪馬車
・ハリウッド
・美しい瞳
こうして並べてみると、「心ならずも」とか「美しい瞳」とかいかにもシャンソンっぽいタイトルで、その歌そのものを聴いてみたくなるけれど、残念ながら「枯葉」以外YouTubeでは発見することができませんでした。「枯葉」は有名なので、モンタンに限らず大勢の人が歌っていますよね。そんな有名どころを今江さんがどう料理されたのか、本作の読みどころはそんなところにもあるわけです。で、その「枯葉」ですが。
天外宇宙、という、随分大仰な名前の麻子のおじいちゃんは有名な手品師で、毎朝のように手品で麻子を起こしてくれていました。おじいちゃんは実は高所恐怖症だったのだけれど、そんなおじいちゃんに、あろうことかアメリカとフランスから招待が舞い込みます。でも、それ以前に麻子には心配ごとがありました。最近のおじいちゃんは物忘れがはげしく、手品のたねやしかけを忘れてステッキと靴を取り違えたり、スミレの花がネズミになってしまったり、それでも見ているお客さんは、そういうもんなんだろうと拍手喝采をくれるのです。
招待がきたとき、初めは飛行機が怖くて渋っていたおじいちゃんだったけれど、自分が高所恐怖症ということ自体を忘れてしまい、ついうっかり招待にのってしまいます。麻子は、これはもう自分がついてゆく他ないとおじいちゃんと一緒にゆくのですが、案の定、おじいちゃんはいろいろな失敗をやらかします。現地の人は、そんなおじいちゃんに冷たい視線を送りながらも、新聞などではおじいちゃんを褒めそやします。おじいちゃんは気づいているのかいないのか、テレビ局の人にもらったビデオに映る自分を見て喜んでいます。麻子は悲しくなり、「このままではおじいちゃんは、ほろりと落ちてみんなにふまれる枯葉になってしまう」と思って、ある決心をするのです・・・
それから「指揮者は恋している」はこんなお話。
自分のパパが何を仕事にしているのかよくわからなかった治は、ある日お母さんにコンサートに連れて行ってもらい、パパが初めて指揮者だということを知ります。それ以来、治もパパを真似て指揮棒を振るような格好をするのだけれど、ママに言わせると、それは「棒ふりダンス」だそう。小学校になって初めてパパの部屋に入れてもらい、ハイドンのチェロ・コンチェルトを聴いて、治はすっかり気に入ってしまい、ハイドンが流れると自然に棒ふりダンスを始めてしまうまでになってしまいます。
普段は人前ではやらない治だったけれど、2年になって友だちになった明くんちに行ったとき、たまたまラジオから流れてきたハイドンに合わせ、うっかり棒ふりダンスをやってしまった治を見て、明くんのお父さんがそれを釣竿を振っていると勘違いしてしまい・・・
この先、治のパパと釣りがどう絡んでくるのか、パパは何に恋しているのかはぜひ、本書をお読みください。
他に、「歩きながら」はテレビに映る犬を見て2本足で立って歩くことを覚えた飼い犬に、今度は言葉をしゃべるようにしむけようとする女の子のお話、「心ならずも」は、せっかちで、でも甘いやさしい声で鳴く兄さんねこと、ガラガラ声だけどおっとりした性格の弟ねこにそれぞれ、「アンダンテ(ゆっくりと)」「カンタービレ(歌うように)」と反対の名前をつけてしまったばあさまが、年を取って何か趣味を持ちたいと、若い頃には見向きもしなかったすもう見物にハマるお話。
あるいは芝居を生業に、地方公演などでほとんど家にいないお父さんと、4人兄弟の一番上の周一が飼い始めたうさぎが織りなす家族の物語「ルナ・パーク」、それから、ハバナの社会情勢に、イヴ・モンタンと彼の歌が直接登場する「コーヒー畑」。本タイトルの「縞しまのチョッキ」は、ピアノに興味を持った洋子が、もともと自分がやりたかったピアノを娘に教えるという情熱で夢中になるお母さんと、お嬢さん然とした50すぎのご婦人でのんびりしたピアノの先生とのあいだで悩み、ピアノが嫌いになりそうになるのをお父さんが取り持ってくれるという、まさに当時(1983、4年頃)の世相を反映したような物語です。
さらに今江さんは、例えばこれは絶対見るべきという演劇があれば、娘に学校をずる休み(なんのかんの理由をつけて)させてでもそっちを優先させる、という人だったので、劇団や芝居、舞台に関する造詣も深く、「美しい瞳」も役者がモチーフの物語です。
そして、本書もまた宇野亜喜良さんのカバー絵や挿画によって、美しく彩られています。
本書を通して
今江さんは、『ぼくの宝島』の中の「大人の時間 子どもの時間」でこうもおっしゃっています。
大人になってから、すぐれた子どもの本に出会うというのは、やはり不幸なことにちがいありません。『ふしぎの国のアリス』の世界は、大人がすらりと入っていけるものではないし、クマのプーさんと気易くつきあえる大人の数も、そんなに沢山ではないでしょう。
『ぼくの宝島』 青土社/「大人の時間 子どもの時間」より
それでも、と、僕も今江さんと同じように考えるのです、本書のように、大人が読んでも充分に面白いたちのものから出発するのが子どもの本の世界だ、と。先にも書いたように、本書の中の12の物語はどれも平易な言葉で書かれていて、すらすらと、それこそ十数分もあれば読めてしまうものばかりです。でも例えば「枯葉」は今で言う認知症を扱っているし、「心ならずも」のばあさまは一人暮らしで暇を持て余している。本書の中の12の物語は、一見ただ面白いだけのお話でも、親子や友だち同士の関係など考えさせられることをいっぱい含んでいます。けれど、どれも大小の問題を乗り越えて、親子の、友だち同士の、地域や社会、もっと大きな世界との<愛>に繋がってゆく、そんな、優しさに溢れた物語なのです。最近の児童文学については寡聞にしてよく知らないけれど、「子どもでも読める」というのはつまり、それを手にする年齢によっていろんな読み方ができる、ということではないでしょうか? 本書は、子どもは子どもなりにまた、大人は大人で、イヴ・モンタンのファンの人にはイヴ・モンタンに照らして読める、そうした美しくてちょっと切ない一冊なのです。
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辻邦生作品をこよなく愛する昭和生まれ。
企業人から起業人へ。そして今は読書人。
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- 出版社:株式会社 青土社
- ページ数:0
- ISBN:9784791741670
- 発売日:2012年10月10日
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