hackerさん
レビュアー:
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「戦争の終結を早めるのが、この作戦の主旨であった」1945年2月13日から15日にかけて行われた非武装都市ドレスデンへの爆撃について、本書ではこう述べています。東京大空襲はその翌月でした。
かもめ通信さん主催の「#やりなおし世界文学 読書会」にリストアップされていたので、数十年ぶりに再読し、我々の世代には忘れられない『明日に向かって撃て』のジョージ・ロイ・ヒルが映画化した作品も、録画してあったので再見しました。この読書会のおかげで、何冊かの本を数十年ぶりに読んだのですが、記憶していた初読の印象と異なる本の方が多く、それはおのれの成長(若しくは衰退?)の証なのかもしれないと思うのですが、本書もそういう一冊でした。
実は、昔は映画の方を先に観て、それから小説を読んだせいで、死は死ではなくそう見えるだけという考え方や、無限に続く時間旅行者ビリー・ビルグリムが主人公というビジュアルにインパクトのある設定のせいで、小説より映画の方の印象の方が強かったのを覚えています。そのせいで、この作品の本質を見誤っていたかもしれません。そして、今回の再読で何よりも強く感じ入ったのは、戦争について書かれた強烈な本の一つだということです。本書の反戦メッセージは、もっとシンプルに受け取ればいいということに気づきました。
作者のカート・ヴォネガット・ジュニア(1922-2007)は、第二次大戦で従軍中、有名なバルジの戦いで、ドイツ軍の捕虜になり、ドレスデンに送られ、そこで収容されていた「スローターハウス5」と呼ばれていた屠畜場跡地建物の地下貯蔵庫で、1945年2月13日から15日まで行われ、一説では13万5千人が死んだと言われる連合軍によるドレスデン爆撃を経験します。死者の数は、実は2万人台とも言われ、現在に至るまで、正確に近い数字すらはっきりしていません。実際に、死体の発掘作業に従事した作者は、その理由を、本書の中では次のように述べています。
「死体坑の数は、時がたつにつれて数百に増えた。はじめは臭いもなく、さながら蝋人形館であった。しかしまもなく死体は腐り、溶けだして、バラと芥子ガスのような臭いがこもった。(中略)
そこで新方式が考案された。死体は運びだされなくなった。火炎放射器を持った兵士が、その場で火葬にした。彼らは防空壕の外に立ち、なかに火を送りこんだ」
この状況は、死体を次々に火葬にしたため、やはり犠牲者の数が約10万人とされる、翌3月に行われた東京大空襲を連想させます。
そして、作者の体験がベースとなっている本書の冒頭に掲げられている、次の一文が本書の内容をすべて物語っています。
「スローターハウス5
または
子供十字軍
死との義務的ダンス
カート・ヴォガネット・ジュニア
ドイツ系アメリカ人四世であり
いまケープ・コッドにおいて
(タバコの吸い過ぎをきにしつつも)
安逸な生活をいとなむこの男
遠いむかし
武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候
すなわち捕虜として
ドイツ国はドレスデン市
『エルベ河畔のフロ-レンス』の
焼夷弾爆撃を体験し
生きながらえて、この物語を語る。
これは
空飛ぶ円盤の故郷
トラルファマード星に伝わる
電報文的分裂症的
物語形式を模して綴られた
小説である。
ピース」
本書の物語はよく知られていると思いますし、ここで詳しくは語りませんが、この文は、本書が、捕虜生活の物語であり、戦争の物語であることを、簡明に宣言したものです。文中の子供十字軍とは、大人の十字軍とは別に、聖戦(と称するイスラム教徒との戦い)のために子供だけで編成された十字軍のことです。作中でも述べられていますが、宣教師に煽られて参加した子供は少なかったようで、その大半は売りとばされたり、船が沈没したりで、悲惨な運命をたどりました。捕虜収容所で出会ったイギリスの士官たちが「大人」であるのに対し、アメリカ軍の捕虜たちの子供っぽさを揶揄した、第二次大戦に訳も分からず参加した若者を揶揄した言葉です。
今回の再読で、意外に思われるかもしれませんが、私が連想したのはセリーヌでした。理由は、戦場における、飢え、糞尿、性欲に関するあからさまな描写です。一例を挙げます。
「10日目の夜になって、ビリーの貨車の掛け金からかんぬきが抜かれ、ドアがひらいた。ビリー・ビルグリムは筋かにみずからはりつけになった格好で横たわり、青白い象牙色の指を通気孔の枠にかけて支えていた。ドアがあいたとたん、ビリーは咳をした。そして咳をしたとたん、うすい粥のような便をもらした。サー・アイザック・ニュートンによれば、この現象は、運動の第三法則にしたがうものである。つまり、あらゆる運動には常に、方向が逆向きで大きさの等しい反作用がともなう。
この法則は、ロケット工学に役立てられている」
この文は「サー・アイザック・ニュートン云々」の文章が続くため、ユーモラスな印象を受けますが「うすい粥のような便」若しくは類似の表現は、ガダルカナル、ニューギニア、インパールの戦いの生存者の話では、必ず出てくるものです。また、悲惨な状況を、やけっぱちのユーモアで包んで語るのは、セリーヌの得意とするところで、本書の語り口にもそれが感じられるのですが、伝えたいことはセリーヌのようにひねくれておらず、もっとストレートだと思います。
ところで、作中で何度も繰り返される「そういうものだ」という言葉があります。原文は 'So it goes.' なのですが、これは Wikitionary 英語版では、'An acceptance of misfortune in life' となっていて、同義語として 'That's life.'と'Such is life.'が紹介されています。だとすると、フランス語のセ・ラ・ヴィと同じと考えても良いでしょう。また、Weblio英和辞典では「しゃあない」という和訳になっていて、ニュアンス的には、これが最も近いような気がします。
この言葉は、戦争における不条理な死の場面でよく使われているので、よけい印象的なのですが、死にかぎらず 'misfortune in life' 人生における不幸な出来事を語った後でも使われています。こういう不条理の連鎖が人生であるから、トラルファマード星人の言うように「幸福な瞬間だけを生きる」ようにすれば良いのかもしれません。ただ、この言葉と本書全体には、逆説的に、人生には不幸な瞬間が多いこと、戦争の悲惨さを忘れてはいけないこと、そしてやはり反戦への強いメッセージが込められているように、私には思えます。なお、映画では、この言葉は使われていません。これは、映画の表現上やむを得ないことだったとは思いますが、その代わり、映画にしかできない表現として、グレン・グールドの『ゴールドベルグ変奏曲』が使われています。
ところで、本書の主人公は次の瞬間いつの時代に飛ぶかコントロールできない時間旅行者ですが、実は今の私もある意味でそうなのです。最近、数十年から十年くらい前の過去に関連した夢をよく見るからです。普段の生活の中では、まったく忘れている人間や犬猫に夢の中で出会うことが珍しくなくなったのです。作者の場合は、しばしば経験したであろう、戦場や捕虜生活やドレスデンの惨状のフラッシュ・バックが、この設定の原点だと思いますが、年を取ると、だれでも時間旅行者になれるようです。若い頃は、思い出すだけの量の過去がないということなのでしょう。もっとも、年をとっても、未来だけは見えませんが。
最後に、私が一番印象に残った文章を引用しておきます。
「ビリー・ビルグリムは当年44歳ということになる。彼は心にこう問いかけた、『いままでの年月はどこへ行ってしまったのだろう?』」
ピース。
実は、昔は映画の方を先に観て、それから小説を読んだせいで、死は死ではなくそう見えるだけという考え方や、無限に続く時間旅行者ビリー・ビルグリムが主人公というビジュアルにインパクトのある設定のせいで、小説より映画の方の印象の方が強かったのを覚えています。そのせいで、この作品の本質を見誤っていたかもしれません。そして、今回の再読で何よりも強く感じ入ったのは、戦争について書かれた強烈な本の一つだということです。本書の反戦メッセージは、もっとシンプルに受け取ればいいということに気づきました。
作者のカート・ヴォネガット・ジュニア(1922-2007)は、第二次大戦で従軍中、有名なバルジの戦いで、ドイツ軍の捕虜になり、ドレスデンに送られ、そこで収容されていた「スローターハウス5」と呼ばれていた屠畜場跡地建物の地下貯蔵庫で、1945年2月13日から15日まで行われ、一説では13万5千人が死んだと言われる連合軍によるドレスデン爆撃を経験します。死者の数は、実は2万人台とも言われ、現在に至るまで、正確に近い数字すらはっきりしていません。実際に、死体の発掘作業に従事した作者は、その理由を、本書の中では次のように述べています。
「死体坑の数は、時がたつにつれて数百に増えた。はじめは臭いもなく、さながら蝋人形館であった。しかしまもなく死体は腐り、溶けだして、バラと芥子ガスのような臭いがこもった。(中略)
そこで新方式が考案された。死体は運びだされなくなった。火炎放射器を持った兵士が、その場で火葬にした。彼らは防空壕の外に立ち、なかに火を送りこんだ」
この状況は、死体を次々に火葬にしたため、やはり犠牲者の数が約10万人とされる、翌3月に行われた東京大空襲を連想させます。
そして、作者の体験がベースとなっている本書の冒頭に掲げられている、次の一文が本書の内容をすべて物語っています。
「スローターハウス5
または
子供十字軍
死との義務的ダンス
カート・ヴォガネット・ジュニア
ドイツ系アメリカ人四世であり
いまケープ・コッドにおいて
(タバコの吸い過ぎをきにしつつも)
安逸な生活をいとなむこの男
遠いむかし
武装を解かれたアメリカ軍歩兵隊斥候
すなわち捕虜として
ドイツ国はドレスデン市
『エルベ河畔のフロ-レンス』の
焼夷弾爆撃を体験し
生きながらえて、この物語を語る。
これは
空飛ぶ円盤の故郷
トラルファマード星に伝わる
電報文的分裂症的
物語形式を模して綴られた
小説である。
ピース」
本書の物語はよく知られていると思いますし、ここで詳しくは語りませんが、この文は、本書が、捕虜生活の物語であり、戦争の物語であることを、簡明に宣言したものです。文中の子供十字軍とは、大人の十字軍とは別に、聖戦(と称するイスラム教徒との戦い)のために子供だけで編成された十字軍のことです。作中でも述べられていますが、宣教師に煽られて参加した子供は少なかったようで、その大半は売りとばされたり、船が沈没したりで、悲惨な運命をたどりました。捕虜収容所で出会ったイギリスの士官たちが「大人」であるのに対し、アメリカ軍の捕虜たちの子供っぽさを揶揄した、第二次大戦に訳も分からず参加した若者を揶揄した言葉です。
今回の再読で、意外に思われるかもしれませんが、私が連想したのはセリーヌでした。理由は、戦場における、飢え、糞尿、性欲に関するあからさまな描写です。一例を挙げます。
「10日目の夜になって、ビリーの貨車の掛け金からかんぬきが抜かれ、ドアがひらいた。ビリー・ビルグリムは筋かにみずからはりつけになった格好で横たわり、青白い象牙色の指を通気孔の枠にかけて支えていた。ドアがあいたとたん、ビリーは咳をした。そして咳をしたとたん、うすい粥のような便をもらした。サー・アイザック・ニュートンによれば、この現象は、運動の第三法則にしたがうものである。つまり、あらゆる運動には常に、方向が逆向きで大きさの等しい反作用がともなう。
この法則は、ロケット工学に役立てられている」
この文は「サー・アイザック・ニュートン云々」の文章が続くため、ユーモラスな印象を受けますが「うすい粥のような便」若しくは類似の表現は、ガダルカナル、ニューギニア、インパールの戦いの生存者の話では、必ず出てくるものです。また、悲惨な状況を、やけっぱちのユーモアで包んで語るのは、セリーヌの得意とするところで、本書の語り口にもそれが感じられるのですが、伝えたいことはセリーヌのようにひねくれておらず、もっとストレートだと思います。
ところで、作中で何度も繰り返される「そういうものだ」という言葉があります。原文は 'So it goes.' なのですが、これは Wikitionary 英語版では、'An acceptance of misfortune in life' となっていて、同義語として 'That's life.'と'Such is life.'が紹介されています。だとすると、フランス語のセ・ラ・ヴィと同じと考えても良いでしょう。また、Weblio英和辞典では「しゃあない」という和訳になっていて、ニュアンス的には、これが最も近いような気がします。
この言葉は、戦争における不条理な死の場面でよく使われているので、よけい印象的なのですが、死にかぎらず 'misfortune in life' 人生における不幸な出来事を語った後でも使われています。こういう不条理の連鎖が人生であるから、トラルファマード星人の言うように「幸福な瞬間だけを生きる」ようにすれば良いのかもしれません。ただ、この言葉と本書全体には、逆説的に、人生には不幸な瞬間が多いこと、戦争の悲惨さを忘れてはいけないこと、そしてやはり反戦への強いメッセージが込められているように、私には思えます。なお、映画では、この言葉は使われていません。これは、映画の表現上やむを得ないことだったとは思いますが、その代わり、映画にしかできない表現として、グレン・グールドの『ゴールドベルグ変奏曲』が使われています。
ところで、本書の主人公は次の瞬間いつの時代に飛ぶかコントロールできない時間旅行者ですが、実は今の私もある意味でそうなのです。最近、数十年から十年くらい前の過去に関連した夢をよく見るからです。普段の生活の中では、まったく忘れている人間や犬猫に夢の中で出会うことが珍しくなくなったのです。作者の場合は、しばしば経験したであろう、戦場や捕虜生活やドレスデンの惨状のフラッシュ・バックが、この設定の原点だと思いますが、年を取ると、だれでも時間旅行者になれるようです。若い頃は、思い出すだけの量の過去がないということなのでしょう。もっとも、年をとっても、未来だけは見えませんが。
最後に、私が一番印象に残った文章を引用しておきます。
「ビリー・ビルグリムは当年44歳ということになる。彼は心にこう問いかけた、『いままでの年月はどこへ行ってしまったのだろう?』」
ピース。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- ゆうちゃん2023-08-17 12:49
「戦争の終結を早めるのが、この作戦の主旨であった」は、今、話題の映画、バービーやオッペンハイマーに絡め、よく新聞評などでも登場する言葉ですね。作品のことはこの書評でよくわかりました。僕もそのうち読んでみようと思います。
ところで、ドレスデン爆撃ですが、僕が大学の教養学部に居た時に、ドイツ語の教授が、この爆撃のことに言及していました。テキストに書かれていたとかそういうことではなく、何かの話題でちょっと言及しただけだ思いますが、ドレスデンは学研都市であって、空襲などしても軍事的には無意味だったとのこと。日本で言えば京都や奈良を空襲したようなものだと。あれはチャーチルが強硬に主張して爆撃されたとも言っていました。チャーチルの人となりからしてありそうなことだと思いました。
いずれにしても、戦争で最も被害を受けるのは無辜の民です。いかなる大義の元でも戦争はやめてほしいと思いました。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- 出版社:早川書房
- ページ数:267
- ISBN:9784150103026
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