ウロボロスさん
レビュアー:
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1995年に米国スミソニアン博物館で被爆展を開催する予定でしたが、米国の退役軍人からの猛反発にあい、結局開催中止を余儀なくされました。この作品は、わたしにとって「怒りの書」でもあります。
《われわれは、原民喜がわれわれを置きざりにして出発した地球に、核兵器についてなにひとつその脅威、悲惨を乗り超える契機をもたぬまま、赤裸で立っているのである。破滅か、救済か、なんとも知れぬ未来を遠望しつつ。………》
大江健三郎(新潮文庫解説より)
この作品は大江健三郎氏が若い読者のために自らが作品の選定をし、新潮文庫として新たに再編したものです。
広島の日常の世界をあの日、一発の原子爆弾が地獄絵図にかえた。自らのその被爆体験を作家・原民喜は揺るぎない透徹した文章で描いています。
本書は、大江氏の編纂により、第一部〜第三部で構成されています。
第一部は、最愛の妻を、病気で亡くすまでの様子が、5つの短編によって描かれています。夫婦愛の深さが、静謐で抑制された美しい文体で表現されています。
そして、第二部が『夏の花』三部作と言われているもので、被爆を前後した時間軸のなかで描れたものです。最初の「破滅の序曲」では、本土決戦がまことしやかに囁かれ、当時の緊迫した日常が描かれています。しかし、その一方で、学徒動員された女子学生たちが、B29の飛行機雲を「綺麗だわね」「おお速いこと」と言いあって眺めるといった場面もあり、そこにはまだ日常が余裕をもって描かれています。ところが、ふたつ目の「夏の花」と、これに続く「廃墟から」では、日常が一変され変容してしまいます。「ピカドン」によってすべてを根こそぎ奪われてしまった、被爆直後の「ヒロシマの様子」が描かれます。
《ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換えられているのであった》
ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
匕ロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノ
キミョウナリズム
スベテアッタコトカ
アリエタコトナノカ………(本文より抜粋引用)
最後の第三部は、4つの短編からなり、『夏の花』で描かれた事象の内面を、宇宙論的な果てしない拡がりと、汲めども尽きぬ深さまで形而上学的に掘りさげた内容となっているように感じました。彼の心のうちは、妻の発病を前後して、悲観的で厭世的でした。最愛の妻の死とともに、その心は死んだも同然だったのでしょうか?ところが、そんな個人の思いなど吹き飛ばしてしまうような、あの地獄を体験したことにより、それを書くために、その寿命を延命せたのではないかと思われもします。表題作の一つにもなっている『心願の国』は、作者の遺稿であるとともに電車に身を投じて自殺した作家・原民喜の遺書のようにも思えます。
ヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の方々は年々お亡くなりになられ、近い将来この惑星で被爆体験者は、ゼロになる日がくることでしょう。
新たな被爆体験者を二度と出さないためにも、この「負の歴史遺産」を後世に伝えていかなければなりませんが、現在を生きる私たちは、政治的なイデオロギーや陰謀論に浸食されることなく、冷静な眼と冷厳な態度でこの先ますますグローバル化する国際社会での政治的なかけひきから目を逸らすことなく直視していかなくてはならないでしょう!それにしても被爆させた国がその後の世界をリードし、「国連」をさしおいて「世界の警察」とのたまい、被爆国である日本もそれに追従してきたのですから冷静に考えると狂気の沙汰としか言いようがありません!
戦後の50周年を記念して1995年に米国スミソニアン博物館で被爆展を開催する予定でしたが、米国の退役軍人からの猛反発にあい、結局開催中止を余儀なくされました。ジヨン・ダワーをはじめとした良識ある一部の知識人たちは開催にむけて尽力されたと聞いています。すべてのアメリカ人に悪意を感じることはありませんが、あの惨劇の実態が全てのアメリカ国民に正確に伝えられているとは思えません。
この作品は、感動的な「悲哀の書」であるとともに、わたしにとって怒髪天を衝く「怒りの書」でもあります。
大江健三郎(新潮文庫解説より)
この作品は大江健三郎氏が若い読者のために自らが作品の選定をし、新潮文庫として新たに再編したものです。
広島の日常の世界をあの日、一発の原子爆弾が地獄絵図にかえた。自らのその被爆体験を作家・原民喜は揺るぎない透徹した文章で描いています。
本書は、大江氏の編纂により、第一部〜第三部で構成されています。
第一部は、最愛の妻を、病気で亡くすまでの様子が、5つの短編によって描かれています。夫婦愛の深さが、静謐で抑制された美しい文体で表現されています。
そして、第二部が『夏の花』三部作と言われているもので、被爆を前後した時間軸のなかで描れたものです。最初の「破滅の序曲」では、本土決戦がまことしやかに囁かれ、当時の緊迫した日常が描かれています。しかし、その一方で、学徒動員された女子学生たちが、B29の飛行機雲を「綺麗だわね」「おお速いこと」と言いあって眺めるといった場面もあり、そこにはまだ日常が余裕をもって描かれています。ところが、ふたつ目の「夏の花」と、これに続く「廃墟から」では、日常が一変され変容してしまいます。「ピカドン」によってすべてを根こそぎ奪われてしまった、被爆直後の「ヒロシマの様子」が描かれます。
《ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換えられているのであった》
ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
匕ロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノ
キミョウナリズム
スベテアッタコトカ
アリエタコトナノカ………(本文より抜粋引用)
最後の第三部は、4つの短編からなり、『夏の花』で描かれた事象の内面を、宇宙論的な果てしない拡がりと、汲めども尽きぬ深さまで形而上学的に掘りさげた内容となっているように感じました。彼の心のうちは、妻の発病を前後して、悲観的で厭世的でした。最愛の妻の死とともに、その心は死んだも同然だったのでしょうか?ところが、そんな個人の思いなど吹き飛ばしてしまうような、あの地獄を体験したことにより、それを書くために、その寿命を延命せたのではないかと思われもします。表題作の一つにもなっている『心願の国』は、作者の遺稿であるとともに電車に身を投じて自殺した作家・原民喜の遺書のようにも思えます。
ヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の方々は年々お亡くなりになられ、近い将来この惑星で被爆体験者は、ゼロになる日がくることでしょう。
新たな被爆体験者を二度と出さないためにも、この「負の歴史遺産」を後世に伝えていかなければなりませんが、現在を生きる私たちは、政治的なイデオロギーや陰謀論に浸食されることなく、冷静な眼と冷厳な態度でこの先ますますグローバル化する国際社会での政治的なかけひきから目を逸らすことなく直視していかなくてはならないでしょう!それにしても被爆させた国がその後の世界をリードし、「国連」をさしおいて「世界の警察」とのたまい、被爆国である日本もそれに追従してきたのですから冷静に考えると狂気の沙汰としか言いようがありません!
戦後の50周年を記念して1995年に米国スミソニアン博物館で被爆展を開催する予定でしたが、米国の退役軍人からの猛反発にあい、結局開催中止を余儀なくされました。ジヨン・ダワーをはじめとした良識ある一部の知識人たちは開催にむけて尽力されたと聞いています。すべてのアメリカ人に悪意を感じることはありませんが、あの惨劇の実態が全てのアメリカ国民に正確に伝えられているとは思えません。
この作品は、感動的な「悲哀の書」であるとともに、わたしにとって怒髪天を衝く「怒りの書」でもあります。
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これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:301
- ISBN:9784101163017
- 発売日:1973年07月01日
- 価格:460円
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