ゆうちゃんさん
レビュアー:
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ロンドンで解雇された主人公ジョウゼフ・アンドルーズは、師と仰ぐ副牧師アダムズ、恋人のファニーと前途多難な旅を終えて村に戻った。しかし、様々な困難がジョウゼフとファニーの結婚を阻む。
ジョウゼフはすこぶる美男で性質も良い下僕だった。彼の雇用主だったサー・トマス・ブービーとその妻が田舎からロンドンに上京し彼もお供をしたが、夫は亡くなり、その令夫人に懸想された。彼はそれをやんわり拒絶したが、その結果、逆上した夫人によって彼はロンドンの屋敷を追い出された。ジョウゼフは自分の幼馴染で恋人であるファニーがいる元の田舎の村に戻ろうとしたが途中で様々なトラブルに巻き込まれる。更に説教集を出版する積りでロンドンに向かっていた村の副牧師アダムズ師、それにジョウゼフを追って上京していたファニーと出会い、結局、三人で村に戻ることにした(上巻の粗筋)。
三人はウィリアムと言う人の良い男の家に泊めてもらう。下巻の四分の一はそのウィリアムの半生の語りをアダムズ師が聴くというもの。ファニーは寝てしまい、ジョウゼフはお付き合いしたが半睡状態である。注目すべきはウィリアムにはジプシーにさらわれた子供がいるという話。三人はそこを出てさらに自分らが出てきた村を目指すが、途中で性質の悪い庄屋に捕まる。彼は金にあかせて美貌のファニーに横恋慕し、アダムズ師とジョウゼフがそれを必死に阻むという構図。この危難を切り抜けると出てきた村に到着した。同時に、夫を亡くした妻としては田舎で引っ込んで暮らすのが良いという判断で、ジョウゼフを放逐したブービー未亡人も到着していた。そこに故サー・トマスの甥ブービー氏が妻を伴って到着する。その妻こそパミラで、ジョウゼフの姉であり、美貌に恵まれ、性質も良いとされていた(パミラは、著者フィールディングが本書で揶揄したかったリチャードソンの小説「パミラ、又の名、淑徳の報い」の主人公パミラのキャラクターをそのまま借りてきている)。伯母にあたるブービー未亡人は甥の結婚をこの時まで知らずパミラを渋々妻と認めるが、自分はジョウゼフに未練があり、ジョウゼフとファニーの結婚は認めない。逆にパミラの結婚で自分の一族になったジョウゼフの身分も上がったのだからファニーのような最下層の女などと結婚できないはずだという。これには姉のパミラも同調する。更に、村にやって来た行商人が実はジョウゼフとファニーは兄妹だという話を持ち込む。果たしてジョウゼフとファニーは結ばれるのか・・・。
本書の原著は4巻から成り、1,2巻が日本語訳の上巻、3,4巻が下巻となっている。上巻のレビューで副牧師のアダムズ師のキャラクターが強烈で主役のジョウゼフを食ってしまっていると書いたが、その傾向は第3巻、つまり下巻の半分まで続く。元の村に帰った第4巻からやっとジョウゼフが主人公らしくなる。ここでは、ジョウゼフとファニーの結婚を阻むあの手この手を作者が繰り出すのだが、それが信じられない偶然の連続である。著者が後に書く「トム・ジョウンズ」もそうだし、ディケンズの幾つかの作品、また「ジェーン・エア」もそうだが、この時代の英国の小説の特徴なのか、終わってみれば多くの人が妙な親族関係にあるというのも現代の小説に慣れた自分には奇異に映る。
とはいえ、美貌のファニーを巡るハラハラした展開もあり、著者が出て来てはあれこれ解説するのがうるさいながらも、そこそこ面白く読める小説である。本書の語り手は著者で三人称小説であるようだが、下巻に入り、語り手が登場人物の誰それから後に聞いたとか、これこれの文書を手に入れたなどと客観性を持たせようとしているのも面白い。
巻末には訳者の朱牟田夏雄氏の翻訳論がある。朱牟田氏は、自分には、大久保康夫氏、中野好男氏と並んで読みやすい英文学の訳者であるが、翻訳の要点は一に語学だけではなく歴史や地理、風俗なども含めた原文理解、二に達意の日本語とあった。二はいわゆる名文のことではなく読みやすい日本語を心掛けよとのこと。しかし、ただ読みやすいだけではだれてしまうというのだから訳とは難しいものだ。朱牟田氏の若い頃は凝った日本語訳もあったようだ。この翻訳論もたった7頁のものだが、海外文学を読む人には一読の価値がある。
三人はウィリアムと言う人の良い男の家に泊めてもらう。下巻の四分の一はそのウィリアムの半生の語りをアダムズ師が聴くというもの。ファニーは寝てしまい、ジョウゼフはお付き合いしたが半睡状態である。注目すべきはウィリアムにはジプシーにさらわれた子供がいるという話。三人はそこを出てさらに自分らが出てきた村を目指すが、途中で性質の悪い庄屋に捕まる。彼は金にあかせて美貌のファニーに横恋慕し、アダムズ師とジョウゼフがそれを必死に阻むという構図。この危難を切り抜けると出てきた村に到着した。同時に、夫を亡くした妻としては田舎で引っ込んで暮らすのが良いという判断で、ジョウゼフを放逐したブービー未亡人も到着していた。そこに故サー・トマスの甥ブービー氏が妻を伴って到着する。その妻こそパミラで、ジョウゼフの姉であり、美貌に恵まれ、性質も良いとされていた(パミラは、著者フィールディングが本書で揶揄したかったリチャードソンの小説「パミラ、又の名、淑徳の報い」の主人公パミラのキャラクターをそのまま借りてきている)。伯母にあたるブービー未亡人は甥の結婚をこの時まで知らずパミラを渋々妻と認めるが、自分はジョウゼフに未練があり、ジョウゼフとファニーの結婚は認めない。逆にパミラの結婚で自分の一族になったジョウゼフの身分も上がったのだからファニーのような最下層の女などと結婚できないはずだという。これには姉のパミラも同調する。更に、村にやって来た行商人が実はジョウゼフとファニーは兄妹だという話を持ち込む。果たしてジョウゼフとファニーは結ばれるのか・・・。
本書の原著は4巻から成り、1,2巻が日本語訳の上巻、3,4巻が下巻となっている。上巻のレビューで副牧師のアダムズ師のキャラクターが強烈で主役のジョウゼフを食ってしまっていると書いたが、その傾向は第3巻、つまり下巻の半分まで続く。元の村に帰った第4巻からやっとジョウゼフが主人公らしくなる。ここでは、ジョウゼフとファニーの結婚を阻むあの手この手を作者が繰り出すのだが、それが信じられない偶然の連続である。著者が後に書く「トム・ジョウンズ」もそうだし、ディケンズの幾つかの作品、また「ジェーン・エア」もそうだが、この時代の英国の小説の特徴なのか、終わってみれば多くの人が妙な親族関係にあるというのも現代の小説に慣れた自分には奇異に映る。
とはいえ、美貌のファニーを巡るハラハラした展開もあり、著者が出て来てはあれこれ解説するのがうるさいながらも、そこそこ面白く読める小説である。本書の語り手は著者で三人称小説であるようだが、下巻に入り、語り手が登場人物の誰それから後に聞いたとか、これこれの文書を手に入れたなどと客観性を持たせようとしているのも面白い。
巻末には訳者の朱牟田夏雄氏の翻訳論がある。朱牟田氏は、自分には、大久保康夫氏、中野好男氏と並んで読みやすい英文学の訳者であるが、翻訳の要点は一に語学だけではなく歴史や地理、風俗なども含めた原文理解、二に達意の日本語とあった。二はいわゆる名文のことではなく読みやすい日本語を心掛けよとのこと。しかし、ただ読みやすいだけではだれてしまうというのだから訳とは難しいものだ。朱牟田氏の若い頃は凝った日本語訳もあったようだ。この翻訳論もたった7頁のものだが、海外文学を読む人には一読の価値がある。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:岩波書店
- ページ数:336
- ISBN:9784003221150
- 発売日:2009年04月16日
- 価格:798円
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