三太郎さん
レビュアー:
▼
13世紀のドイツの小さな町で起こったある事件はなぜ伝説になったか?中世ヨーロッパの厳しい階級社会と飢餓と貧困が生んだ伝説だったのだろうか・・・
13世紀の欧州というのは日本の鎌倉時代に似て、権力が分散しつつ新しい支配者層が生まれた時代らしい。だから社会は混とんとして今の我々からは見えない部分が多い。特に欧州ではこの時期は読み書きはラテン語だけだったから、文献として残された情報は極めて乏しかった。
この本の主役はあのハーメルンの笛吹き男だ。昔々ネズミに穀物を食い荒らされて困っていたハーメルンの町に、奇妙な服を着た笛吹き男がやってきて、市の参事会に謝礼を払うならネズミを退治するともちかけた。参事会が依頼すると、男は笛を吹きながら町中を歩き、出てきたネズミを引き連れて川に入り溺れさせた。そうしてネズミがいなくなってから謝礼を要求すると、市の参事会は支払いを拒んだ。怒った男はまた笛を吹きながらハーメルンの町を練り歩き、130名の子供たちを引き連れてどこかへ去っていった、というのがこの伝説の概要だ。
16世紀以来、この伝承は史実だ、あるいは少なくとも歴史的な事実に基づいた伝承だと欧州の知識人たちは考えてきた。近代以降にはもっともらしい仮説がいくつか提唱されている。13世紀に盛んだった東欧移民が基だという説や、やはり当時あった子供十字軍を挙げる説もある。
でも著者がこの本で書きたかったのは伝説の真偽ではない。この伝説が欧州中に広まるまでには途中に長い空白の期間があり、その間にこの伝説が次第に変容していく有様を社会の変容と突き合わせて、ハーメルンの庶民の間でどうしてこの伝説が伝えられ、そして今の形に変容していったのかを文献調査により明らかにすることが目的だった。
文献を調べていくと、この伝承が書きしるされた文章は16世紀までには3点しか存在しない。その文章は一部は読めなくなっていたが、その内容は1284年に130名の子供がカルワリオ山に向かって以後行方不明になったと書いてあるのみで、笛吹男もネズミ捕り男も登場しない。そもそも130名の失踪の動機あるいは原因については何の記載もなかった。
しかしその後もこの伝承はハーメルンの庶民の間で受け継がれ、育っていった。著者は16世紀にハーメルンを訪れたある男の日記を見つける。この日記には笛吹き男が子供たちを連れ去ったというハーメルンの伝説が文章としては初めて書き記してあった。しかし何故笛吹き男が子供を連れ去ったのかは書かれていない。この伝承によると笛吹男は母親たちに300年経ったらまた子供をさらいに来ると言い残したとされていて、あと30年でその300年後がやってくる、というのがハーメルンの庶民の恐れであった。
当時のハーメルンは宗教戦争に巻き込まれ、ルター派に改宗した市の参事会員たちが市内にルター派の軍隊を招き入れ、その軍隊により市内が略奪されるという事件も起きていた。庶民たちはもっと悲惨な事態を想像して恐れていたのだ。元々ハーメルンはカソリック寺院の領地だった。市の参事会がルター派になったのは、カソリック寺院から市の実権を奪うためだったろう。ハーメルンの庶民はその権力闘争に巻き決まれ、神の怒りによってあの笛吹男がまたやってくると想像したのかもしれなかった。
ところで著者は例の日記が誰にも読まれることなく長い時間埋もれていたことに注目している。というのも16世紀になると活版印刷の普及により、多くの啓蒙的な物語が出版されるようになり、その中にあの笛吹男のネズミ退治と、その後の市参事会の裏切りによって怒った笛吹男が子供たちを連れ去る物語が盛んに書かれるようになったのだが、例の日記はその新たな物語の作者には何ら影響を与えていなかった。
だから、16世紀以前には笛吹男の伝説はハーメルン市の中に留まって、いつしか130名の子供の喪失を嘆く物語から、市参事会への怒りを庶民が吐露する物語へと変貌しながら、人づてに複数のルートでヨーロッパ中に広がっていったと想像される。ネズミ捕り男と市参事会の裏切りの物語はそうしたハーメルンの庶民の怒りと恐れが作り出した新たな伝説だったのだ。
著者はハーメルンの130名の子供の失踪事件の真実が解明されることは当分ないだろうという。僕は永遠に解明されないような気がする。ともかくこの本は民間伝承の社会学的な研究の成果と言えそうだ。
この本の主役はあのハーメルンの笛吹き男だ。昔々ネズミに穀物を食い荒らされて困っていたハーメルンの町に、奇妙な服を着た笛吹き男がやってきて、市の参事会に謝礼を払うならネズミを退治するともちかけた。参事会が依頼すると、男は笛を吹きながら町中を歩き、出てきたネズミを引き連れて川に入り溺れさせた。そうしてネズミがいなくなってから謝礼を要求すると、市の参事会は支払いを拒んだ。怒った男はまた笛を吹きながらハーメルンの町を練り歩き、130名の子供たちを引き連れてどこかへ去っていった、というのがこの伝説の概要だ。
16世紀以来、この伝承は史実だ、あるいは少なくとも歴史的な事実に基づいた伝承だと欧州の知識人たちは考えてきた。近代以降にはもっともらしい仮説がいくつか提唱されている。13世紀に盛んだった東欧移民が基だという説や、やはり当時あった子供十字軍を挙げる説もある。
でも著者がこの本で書きたかったのは伝説の真偽ではない。この伝説が欧州中に広まるまでには途中に長い空白の期間があり、その間にこの伝説が次第に変容していく有様を社会の変容と突き合わせて、ハーメルンの庶民の間でどうしてこの伝説が伝えられ、そして今の形に変容していったのかを文献調査により明らかにすることが目的だった。
文献を調べていくと、この伝承が書きしるされた文章は16世紀までには3点しか存在しない。その文章は一部は読めなくなっていたが、その内容は1284年に130名の子供がカルワリオ山に向かって以後行方不明になったと書いてあるのみで、笛吹男もネズミ捕り男も登場しない。そもそも130名の失踪の動機あるいは原因については何の記載もなかった。
しかしその後もこの伝承はハーメルンの庶民の間で受け継がれ、育っていった。著者は16世紀にハーメルンを訪れたある男の日記を見つける。この日記には笛吹き男が子供たちを連れ去ったというハーメルンの伝説が文章としては初めて書き記してあった。しかし何故笛吹き男が子供を連れ去ったのかは書かれていない。この伝承によると笛吹男は母親たちに300年経ったらまた子供をさらいに来ると言い残したとされていて、あと30年でその300年後がやってくる、というのがハーメルンの庶民の恐れであった。
当時のハーメルンは宗教戦争に巻き込まれ、ルター派に改宗した市の参事会員たちが市内にルター派の軍隊を招き入れ、その軍隊により市内が略奪されるという事件も起きていた。庶民たちはもっと悲惨な事態を想像して恐れていたのだ。元々ハーメルンはカソリック寺院の領地だった。市の参事会がルター派になったのは、カソリック寺院から市の実権を奪うためだったろう。ハーメルンの庶民はその権力闘争に巻き決まれ、神の怒りによってあの笛吹男がまたやってくると想像したのかもしれなかった。
ところで著者は例の日記が誰にも読まれることなく長い時間埋もれていたことに注目している。というのも16世紀になると活版印刷の普及により、多くの啓蒙的な物語が出版されるようになり、その中にあの笛吹男のネズミ退治と、その後の市参事会の裏切りによって怒った笛吹男が子供たちを連れ去る物語が盛んに書かれるようになったのだが、例の日記はその新たな物語の作者には何ら影響を与えていなかった。
だから、16世紀以前には笛吹男の伝説はハーメルン市の中に留まって、いつしか130名の子供の喪失を嘆く物語から、市参事会への怒りを庶民が吐露する物語へと変貌しながら、人づてに複数のルートでヨーロッパ中に広がっていったと想像される。ネズミ捕り男と市参事会の裏切りの物語はそうしたハーメルンの庶民の怒りと恐れが作り出した新たな伝説だったのだ。
著者はハーメルンの130名の子供の失踪事件の真実が解明されることは当分ないだろうという。僕は永遠に解明されないような気がする。ともかくこの本は民間伝承の社会学的な研究の成果と言えそうだ。
お気に入り度:







掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:筑摩書房
- ページ数:319
- ISBN:9784480022721
- 発売日:1988年12月01日
- 価格:798円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。