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ぽんきち
レビュアー:
「あいまい」であること。「日本人」であること。世界に開かれていくこと。
大江健三郎のいくつかの講演を集めた新書。
刊行は1995年、大江がひとまず、作家としての生活に区切りをつけようとしていた時期にあたる。60歳となるこの年、『燃え上がる緑の木』を最後に、小説を書く筆を折り、スピノザ研究にその後の生涯をあてたいと考えていたのだ(実際のところ、翌年、1996年の武満徹の死を契機に、再度、小説に向っていくのだが)。

表題ともなっている本書冒頭の講演は、1994年のノーベル文学賞受賞記念講演のものである。
これと合わせ、1992年から1994年の間に行われた、9回の講演原稿が収録されている。
大まかには、文学論と、家族についてのものの2つに分けられる。
大江の長男、光は知的障害を持って生まれている。幼いころは言葉を発しなかったが、鳥の声をよく聞き分け、音感が優れていた。13歳のころから作曲をするようになり、CDも何枚かリリースされている。大江の作品とも深い関わりを持つ。
家族についての講演は、光との関わりを中心にしている。講演の1つは光の音楽の演奏会の際に行われたものである。
苦悩の時代もあったのだろうが、さまざまなことを乗り越えた円熟の感じられる基調である。時にはユーモアも漂う。
互いに理解しあえないこと、乗り越えられない壁を抱えつつ、それでもそこには思いやりがあり、愛情がある。
障害を持つ光は、普通の子供のようには話さなかった。鳥の声への興味から、音楽へと関心が向き、曲を作るようになる。それはある種、彼の「言葉」だったのかもしれない。その音楽を聴き、大江や妻は、息子の内面に思いを馳せる。
光は涙を流したことがないという。夢も見たことがないようだ。それはどういうことなのか。作家は思索する。
光はいくつか曲を作るうち、「暗い魂が泣き叫ぶ」ような曲も作る。
美しいもの、きれいなものだけを見ていられればそれは幸せではあるが、一方、魂の深いところに降り、暗い澱を見つけること、そしてそれを表現すること、それによって自分が癒されることも、あるいは幸せではあるまいか。その不幸と幸せとの重なり合いが芸術の深まりをもたらすのではないか。
息子を見つめる父のまなざしからは慈愛が滲み出る。

文学論では、日本文学と世界のつながりを見据える。
「あいまいな日本の私」は、大江の前にノーベル文学賞を受賞した川端康成の受賞記念講演「美しい日本の私」を受けている。
川端は日本の美しさをあいまいなものとして提示している。この場合のあいまいは英語ではvagueで、不明瞭で漠然としたものを指す。大江が言う「あいまいな日本の私」のあいまいはambiguousで両義性を指す。
日本の近代化は、西欧に倣う形で進んできた。しかし一方で、アジアに位置し、伝統文化を守り続けてもいる。戦後民主主義はアジアの侵略者としての過去を抱えながら不戦を誓っている。
そうした日本にあって、文学ができることとは何か。世界に対して閉じるのではなく、開かれたものにするにはどのような道があるのか。
井伏鱒二、安部公房、夏目漱石といった作家を論じつつ、大江は、日本文学はもっと外に語り掛けねばならぬと主張する。
一方で、大江の大学時代の師、渡辺一夫にも触れながら、「上品な(decent)」、「ユマニスト(humaniste)(フランス語で「人文主義者」)」としての貢献を目指したいとする。
大江が引くW.H.オーデンによる小説家の定義は、どこか祈りの言葉のようでもある。
正しい者たちのなかで正しく、
不浄の中で不浄に、
もしできるものなら、
ひ弱い彼みずからの身を以て、
人類すべての被害を、
鈍痛で受けとめねばならぬ。

その思いは、障害を抱えた息子・光との日々と無縁ではないだろう。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1827 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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