ぱせりさん
レビュアー:
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狂気を孕んだ砂漠は物語の中に置いてきたはず。
ジョーンは、愛する夫とともに幸福な家庭を作り、三人の子どもを育て上げた。友人に親切だったし、地域の奉仕活動も率先して行ってきた。
これまでの自分の暮らしに満足し、築きあげてきたものに自信をもっていた。
だけど、本当にそうだったのか。
旅の帰途、思わぬところで足止めを食う。
見渡す限りの砂漠のなか、無味乾燥な宿泊所の客は自分一人だけ。
小さな手仕事もなければ、読むものもなし。
こういう状況で、何日も、いつ来るかわからない列車を待っている。
時間だけはたっぷりとある。
きっかけは、別れたばかりの旧友が残した言葉の端っこを思い出したこと。あれはどういう意味だったのだろう。
そこから、自分のこれまでの暮らしのあの場面この場面が蘇ってくる。その時には気にも留めなかったいくつもの小さな違和感も。
蓋をして、見なかったことにしていたことや、その理由も。
あまり愉快ではない連想が、茫漠とした風景の中で加速し、止まらなくなってくる。
夫は私を愛していた?
子どもたちは私を慕っていた?
私は使用人たちのよい主人だった?
友人たちに慕われていた?
これは恐ろしい物語である。
自分は、自分が思っていたような人間ではなかったかもしれない。
そもそも自分は誰かをほんとうに愛したことがあったのか。愛していたのはただ、自分自身だけだったのではなかったか。
気づいていなかったのは自分だけだった。
いやいや、ほんとうは気がついていた。でも自分で自分を騙して暮らしてきた。
次々に、思い出のなかの輝かしい場面が、ひっくり返っていく。
手の中に大切に持っていたはずのものが、どんどん零れ落ちていく。からっぽになるまで。
その過程が恐ろしいのは、愚かなジョーンが私の中にもいる、と感じるからだ。
小出しに現れる真相を、穴から顔をのぞかせる「トカゲ」に彼女は喩えるが、わたしにもトカゲの影が見えるような気がする。
これが真実、と信じていたもの、あれもこれも蜃気楼だった?
彼女の細切れの回想につきあうのは、怖ろしかった。
だけど、本当の本当に怖いのは、そこではなかった。
狂気を孕んだ砂漠は、物語の中に置いてきたはずだ。
私は、本を閉じて、ほっと息をつけばいいんだ。
ほんとうにそうなのだろうか。
ほっと息をつくことは……ジョーンが(たぶん)していたはず。と思い当たる。
これまでの自分の暮らしに満足し、築きあげてきたものに自信をもっていた。
だけど、本当にそうだったのか。
旅の帰途、思わぬところで足止めを食う。
見渡す限りの砂漠のなか、無味乾燥な宿泊所の客は自分一人だけ。
小さな手仕事もなければ、読むものもなし。
こういう状況で、何日も、いつ来るかわからない列車を待っている。
時間だけはたっぷりとある。
きっかけは、別れたばかりの旧友が残した言葉の端っこを思い出したこと。あれはどういう意味だったのだろう。
そこから、自分のこれまでの暮らしのあの場面この場面が蘇ってくる。その時には気にも留めなかったいくつもの小さな違和感も。
蓋をして、見なかったことにしていたことや、その理由も。
あまり愉快ではない連想が、茫漠とした風景の中で加速し、止まらなくなってくる。
夫は私を愛していた?
子どもたちは私を慕っていた?
私は使用人たちのよい主人だった?
友人たちに慕われていた?
これは恐ろしい物語である。
自分は、自分が思っていたような人間ではなかったかもしれない。
そもそも自分は誰かをほんとうに愛したことがあったのか。愛していたのはただ、自分自身だけだったのではなかったか。
気づいていなかったのは自分だけだった。
いやいや、ほんとうは気がついていた。でも自分で自分を騙して暮らしてきた。
次々に、思い出のなかの輝かしい場面が、ひっくり返っていく。
手の中に大切に持っていたはずのものが、どんどん零れ落ちていく。からっぽになるまで。
その過程が恐ろしいのは、愚かなジョーンが私の中にもいる、と感じるからだ。
小出しに現れる真相を、穴から顔をのぞかせる「トカゲ」に彼女は喩えるが、わたしにもトカゲの影が見えるような気がする。
これが真実、と信じていたもの、あれもこれも蜃気楼だった?
彼女の細切れの回想につきあうのは、怖ろしかった。
だけど、本当の本当に怖いのは、そこではなかった。
狂気を孕んだ砂漠は、物語の中に置いてきたはずだ。
私は、本を閉じて、ほっと息をつけばいいんだ。
ほんとうにそうなのだろうか。
ほっと息をつくことは……ジョーンが(たぶん)していたはず。と思い当たる。
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いつまでも読み切れない沢山の本が手の届くところにありますように。
ただたのしみのために本を読める日々でありますように。
この書評へのコメント
- かもめ通信2022-03-10 07:22
おおこれは!忘れもしない26歳で初めて読んだとき以来、ずっと大切にしている愛読書です。
私も確か以前課題図書倶楽部で旧版のレビューを書いたはず……。
あ、これですこれw
https://www.honzuki.jp/book/206788/review/132925/クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - ごみら2022-03-14 19:56
ぱせりさん、こんにちは。
以前私のこの本へのレビューをご覧いただいたようで、ありがとうございました。
素晴らしいレビューですね。
一つの物語のようだと感動しました。
本当に、このような感覚には覚えがあるものではないでしょうか?
私は大いに身に覚えがあります(笑)。
自分が本当に正しいと言えるのだろうかと、自問自答してしまいます。
アガサ・クリスティの愛の五作品はどれも素晴らしいんですよね。
推理小説ばかりが取り上げられていますが、それ以外の作品にも、彼女の人間に対する鋭い洞察力が発揮されていると思います。
是非、あと三作品もお楽しみください(^^)。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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