efさん
レビュアー:
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もし、200歳以上の寿命が得られるとしたらどうしますか?
もし皆さんが200歳以上の寿命を得ることができるとしたらどうしますか?
そんなよぼよぼの老人になんてなりたくない?
いえ、老化については、ある措置をすることにより任意の年齢で止めることが可能で、身体的には若いままいられるという設定です。
何だか喜ばしいことにも思えますが、そう簡単な話でもないよねというのが本作の中核をなすコンセプトです。
地球には200歳以上の寿命を持つ長寿族が誕生していました。
長命の原因は遺伝子にあり、それは生まれつきといことで、何か特別な措置を施したというわけではないのです。
他方で、現在の私たちと同程度の寿命の人間が大多数を占めていました。
長寿族は、互いにネットワークを構築していましたが、問題は自分たちのことを一般の人間に知らせるべきか否かという点にありました。
長寿族の中には、長寿になったのは別に自分たちが選んでそうしたわけではなく、生まれつきであり、何も悪いことをしているわけじゃないのだから隠す必要はないという意見の者たちがいました。
一定の若さの外見のまま長寿でいると、周囲から見て極めて不自然な状態になりますよね。
これまではその不自然さを隠すために、ある程度の期間が経過するとその人は死んだということにして、ネットワークの援助の下、全く別の土地で新しい人間として生活をやり直すことを繰り返していたのでした。
しかしそれはあまりにも負担が大きい。
結婚だって、長寿族同士ならいざ知らず、長寿を隠したままでは一般の人となんてできやしません。
だから、いっそのこと自分たちのことをすべて正直に明らかにしてしまいたいというわけですね。
他方で、そんなことを公にすれば様々なねたみやそねみの対象となり、まともに生きていくことなどできないと考え、これまで通りに長寿を隠して生きていくべきだと考える者達もいました。
みなさんならどうしますか?
本作では、ある時、長寿族のことがばれてしまったという設定になっています。
その時の一般の人間達は、何もせずに生まれつき長寿なのだという説明など信用せず、きっと何か秘密があるのにそれを自分たちだけのものにして隠しているのだと決めつけ、その秘密をなんとしてでも吐かせようと思い、長寿族の身柄を拘束し、その権利を奪い、自白剤でもなんでも使って長寿の秘密を言わせようとするのです。
この作品が書かれたのは1958年ですので、今からみると陳腐に思えるところも多々ありますが、そこはご寛恕願うこととして、ハインラインは身柄拘束の危機に陥った長寿族の決断として、恒星間飛行に旅立つというストーリーにしました。
この物語の舞台となる世界は、現在よりもずっと科学が進んだ世界で、人類は遂に恒星間飛行を実現するための宇宙船を建造したという設定になっています。
しかし、光速飛行はできず、恒星間飛行をするためには巨大な宇宙船の中に多数の乗組員を乗せ、乗組員達はその宇宙船の中で子供を産み、何世代もかかって遙か彼方の人類が居住できる惑星を探して飛行するというプランなんですね。
長寿族は、地球に残っても身柄を拘束され、権利を剥奪され、どこにも安住の地を得られないのだから、この際恒星間飛行宇宙船を乗っ取って、恒星間飛行に出ようという選択をするというわけです。
長寿族ですから、通常の人間よりも恒星間飛行には適していると言えるでしょう。
しかし、10万人からの長寿族が一つの宇宙船に乗って恒星間飛行に旅立つというのですから壮大な物語ですし、この辺りのストーリーはかなり強引で、そんなに短時間で10万人からの人間が恒星間飛行に同意するわけはないじゃないかと思わざるを得ません(作中では、熱線銃たった一丁の脅しで半ば強制的に長寿族を恒星間宇宙船に乗り込ませたとしていますが、そりゃムリでしょう)。
第一部は、この恒星間飛行に出かけるまでの出来事が描かれ、弟二部で二つの惑星を訪れることが描かれます。
第二部で未知の惑星の様子が描かれるわけですが、それは一つのユートピアもしくはディストピアでもあるのでしょうね。
そして、ラストは、恒星間飛行に出かけた大多数の者がある選択を迫られるという物語になります。
少なくとも、二番目に訪れた惑星は、ある意味ではユートピアと言っても良い世界でしたので、長寿族の中には現地の生命体と同化することを望む者、同化までは望まないけれどこの恵まれた星で生涯を終えたいと考える者も出てきます。
しかし、大多数の者は、非常に安楽な星なのですがそこにとどまることを拒否するという選択をすると描かれているのですね。
さて、私ならどうしましょうかね。
本作は、ハインラインのあの問題作『愛に時間を』の前編に当たる作品だということです(本作を受け継ぐ形で『愛に時間を』が書かれたのですね)。
『愛に時間を』は、ものすごく長い超大作で、しかも書かれている内容も相当にカッ飛んでいるため、私は途中放棄しちゃった作品です。
本作は、『愛に時間を』ほどのエグさは無いので、『愛に時間を』と同じく、長寿の人間というテーマを扱ったハインラインの作品を読むには本作の方が取っつきやすいことでしょう。
そんなよぼよぼの老人になんてなりたくない?
いえ、老化については、ある措置をすることにより任意の年齢で止めることが可能で、身体的には若いままいられるという設定です。
何だか喜ばしいことにも思えますが、そう簡単な話でもないよねというのが本作の中核をなすコンセプトです。
地球には200歳以上の寿命を持つ長寿族が誕生していました。
長命の原因は遺伝子にあり、それは生まれつきといことで、何か特別な措置を施したというわけではないのです。
他方で、現在の私たちと同程度の寿命の人間が大多数を占めていました。
長寿族は、互いにネットワークを構築していましたが、問題は自分たちのことを一般の人間に知らせるべきか否かという点にありました。
長寿族の中には、長寿になったのは別に自分たちが選んでそうしたわけではなく、生まれつきであり、何も悪いことをしているわけじゃないのだから隠す必要はないという意見の者たちがいました。
一定の若さの外見のまま長寿でいると、周囲から見て極めて不自然な状態になりますよね。
これまではその不自然さを隠すために、ある程度の期間が経過するとその人は死んだということにして、ネットワークの援助の下、全く別の土地で新しい人間として生活をやり直すことを繰り返していたのでした。
しかしそれはあまりにも負担が大きい。
結婚だって、長寿族同士ならいざ知らず、長寿を隠したままでは一般の人となんてできやしません。
だから、いっそのこと自分たちのことをすべて正直に明らかにしてしまいたいというわけですね。
他方で、そんなことを公にすれば様々なねたみやそねみの対象となり、まともに生きていくことなどできないと考え、これまで通りに長寿を隠して生きていくべきだと考える者達もいました。
みなさんならどうしますか?
本作では、ある時、長寿族のことがばれてしまったという設定になっています。
その時の一般の人間達は、何もせずに生まれつき長寿なのだという説明など信用せず、きっと何か秘密があるのにそれを自分たちだけのものにして隠しているのだと決めつけ、その秘密をなんとしてでも吐かせようと思い、長寿族の身柄を拘束し、その権利を奪い、自白剤でもなんでも使って長寿の秘密を言わせようとするのです。
この作品が書かれたのは1958年ですので、今からみると陳腐に思えるところも多々ありますが、そこはご寛恕願うこととして、ハインラインは身柄拘束の危機に陥った長寿族の決断として、恒星間飛行に旅立つというストーリーにしました。
この物語の舞台となる世界は、現在よりもずっと科学が進んだ世界で、人類は遂に恒星間飛行を実現するための宇宙船を建造したという設定になっています。
しかし、光速飛行はできず、恒星間飛行をするためには巨大な宇宙船の中に多数の乗組員を乗せ、乗組員達はその宇宙船の中で子供を産み、何世代もかかって遙か彼方の人類が居住できる惑星を探して飛行するというプランなんですね。
長寿族は、地球に残っても身柄を拘束され、権利を剥奪され、どこにも安住の地を得られないのだから、この際恒星間飛行宇宙船を乗っ取って、恒星間飛行に出ようという選択をするというわけです。
長寿族ですから、通常の人間よりも恒星間飛行には適していると言えるでしょう。
しかし、10万人からの長寿族が一つの宇宙船に乗って恒星間飛行に旅立つというのですから壮大な物語ですし、この辺りのストーリーはかなり強引で、そんなに短時間で10万人からの人間が恒星間飛行に同意するわけはないじゃないかと思わざるを得ません(作中では、熱線銃たった一丁の脅しで半ば強制的に長寿族を恒星間宇宙船に乗り込ませたとしていますが、そりゃムリでしょう)。
第一部は、この恒星間飛行に出かけるまでの出来事が描かれ、弟二部で二つの惑星を訪れることが描かれます。
第二部で未知の惑星の様子が描かれるわけですが、それは一つのユートピアもしくはディストピアでもあるのでしょうね。
そして、ラストは、恒星間飛行に出かけた大多数の者がある選択を迫られるという物語になります。
少なくとも、二番目に訪れた惑星は、ある意味ではユートピアと言っても良い世界でしたので、長寿族の中には現地の生命体と同化することを望む者、同化までは望まないけれどこの恵まれた星で生涯を終えたいと考える者も出てきます。
しかし、大多数の者は、非常に安楽な星なのですがそこにとどまることを拒否するという選択をすると描かれているのですね。
さて、私ならどうしましょうかね。
本作は、ハインラインのあの問題作『愛に時間を』の前編に当たる作品だということです(本作を受け継ぐ形で『愛に時間を』が書かれたのですね)。
『愛に時間を』は、ものすごく長い超大作で、しかも書かれている内容も相当にカッ飛んでいるため、私は途中放棄しちゃった作品です。
本作は、『愛に時間を』ほどのエグさは無いので、『愛に時間を』と同じく、長寿の人間というテーマを扱ったハインラインの作品を読むには本作の方が取っつきやすいことでしょう。
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幻想文学、SF、ミステリ、アート系などの怪しいモノ大好きです。ご紹介レビューが基本ですが、私のレビューで読んでみようかなと思って頂けたらうれしいです。世界中にはまだ読んでいない沢山の良い本がある!
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- 出版社:早川書房
- ページ数:355
- ISBN:9784150101817
- 発売日:1976年01月01日
- 価格:798円
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