rodolfo1さん
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山本先生の2003年から2009年にかけての壮絶なうつ闘病日記。うつと戦いながらも、山本先生は小説家であり続けた。。。
山本文緒作「再婚生活 私のうつ闘病日記」を読みました。
【文庫版まえがき まずはここからお読みください】2003年から2009年にかけてうつ病を患った山本先生の闘病記です。この作品を発表した当初、先生はこの作品にあえてうつ闘病記とは明記しませんでした。多くの読者が、山本作品だからではなく、自らも患っているうつ病を扱った作品だという事で購入され、そうした読者の中から、恵まれた立場の人に病気を語って欲しくないという意見や、ただ甘えているだけの日々を書いて本にしてお金にするのかといった批判も生まれました。しかし先生はあえて文庫化に際してうつ闘病記と明記しました。。。
【人恋しいのか違うのか】(2003年8月~10月)先生は人生初の入院を経験し、退院したばかりでした。再婚した王子とは別居婚でした。王子は先生の家にやってきて料理や家事をし、先生はぼつぼつ仕事をしながら王子や友達たちと豪遊する暮らしでした。酒も煙草も脂っこい食事も爆買いも続けていました。過眠と不眠、気分の上下に悩まされていた先生は、ついに劇薬リタリンを処方され。。。更に先生は胸部の激痛にも悩み。。。先生はその原因の1つは、王子が通って来る為に、1人になれる時間が無い事だと。。。しかし先生は時たま人恋しくなる事もあり。。。
【生きるってなあに】(2003年10月)さまざまな葛藤の中、先生は、誰も助けてはくれないのだと思いました。結婚しているから夫に甘えれば何とか助かるんじゃないかと言うのは勘違いで、闘病も生活も仕事も1人でやるしかないのだと思いました。。。王子に部屋に来るのを控えてもらい。。。
【ぐるぐるまわる】(2003年11月)先生は鬱々とした日々をチャットや漫画でやり過ごしていました。。。先生は小さい頃からよく家出をしていました。どうにも「ここ」に居る事が我慢ならなくなるといつも叔母の家に家出しました。王子と同居したら同じ事をするのかと先生は恐れました。。。カウンセラーに入院を勧められ。。。
【頑張れは禁句でも頑張れ】(2003年12月)主治医にも入院を勧められ、先生は再入院しました。入院してからはあの胸痛が全く起こりませんでした。病院は閉鎖病棟ではなく、先生はしばしば外出しました。しばらく入院ハイで元気でしたが、ある日落ち込み。。。入院中にかつての趣味の編み物を復活させた先生でしたが、それはそれで負担になるもので。。。
【今夜、病院に戻りたい】(2003年12月30日~2004年1月)年末年始外泊で先生は家に戻りました。しかし5日も王子と2人でいると、することも話題も見つからず、家事を王子に頼っている事やしんどくて一緒に遊びに出られない事も申し訳なくなり、先生は病院に帰る事に決めました。主治医には、先生はすごく旦那さんに気を遣っているのだと言われ。。。
【仕事をするのはもう無理】(2004年2月)入院後2ヶ月を過ぎ、先生の体調はやや回復して来ました。漸く退院も見据え、それがまた不安の種になる先生でした。。。R-18大賞の選考委員を務め、それでまた体調が落ちた先生でした。ついに仕事を休む決断をし。。。
【ひとつひとつできるようにする】(2004年6月)その後の4ヶ月間、3回の入退院を繰り返しながら、先生はこの日記の連載を再開させました。実は主治医を変えて、その先生が当たりだったのでした。先生はこの頃ほぼ禁酒しており。。。
【てゆうか、私、失恋ですか】(2006年6月19日~7月13日)先生は退院していました。この頃先生は整体にはまっていました。整体の先生にラブラブでしたが、どうもベジタリアンの先生は妻子持ちだと言う事で。。。
【まじでありえません】(2006年7月14日~8月10日)札幌の仕事部屋で1人仕事をしていた先生は肉絶ちしていました。先生は、自分のうつの原因は、悪い体が黒い心を生んだのだと思いました。暴飲暴食と煙草に耽り、うつを悪化させていたのでした。。。
【あの頃どうかしてました】(2006年11月1日11月16日)先生はだいぶ回復していました。芝居を見に行ったり豪華ホテルライフを堪能しました。激務な王子の為におでんを煮ました。。。
【今更ですが、ありがとう】(2006年11月17日~12月11日)王子は先生がうつだった時は大変だったと打ち明けました。出て行けと言われて車で首都高をぐるぐる走っていたら電話で帰って来いと言われたとか、入院している頃は掃除ばかりしていたと言いました。掃除をしている時しか気が紛れなかったと言いました。。。
【改めてふり返ってみました】(2004年3月~2006年5月の出来事)この時期の先生の記憶は曖昧です。うつがあまりに辛くて覚えていたくなかったのでした。1度退院しましたが、すぐ再入院しました。しかし軽快せず、他の病院に入院しました。暴力衝動に悩み、希死念慮にも悩まされました。王子は看病の為に会社を休職し、退職も覚悟しました。最後に入院した病院でついに先生は治療方針を転換され、やや軽快して退院しました。
王子は会社に復帰し、先生は実家で療養しました。更に回復しましたが、あの胸痛が再開しました。実はそれは。。。先生は酒と煙草を完全にやめました。先生は王子とテニスリゾートを訪れました。そこでついに先生は。。。
【文庫版あとがき 不安定になっている方とそのご家族の方へ】先生は自らの体験を元に、心を病んで不安定になっている人達にアドバイスします。精神科医とカウンセラーの違いとは。。。病院の選び方とは。。。先生はうつの人々は頑張って休まねばならないと言い。。。先生は1人で生きているような気になっていたのは大きな間違いだったと思いました。人は人に頼るしかない時もあったのでした。。。自立とは。。。人を助けると言う事は。。。
辛い辛い山本先生のうつ闘病記です。しかしこの作品は、こんな辛い時期に描かれたにも関わらず、小説としての構成を持ち、きちんと落ちが存在します。闘病記と言いながら、この小説は実は、後夫である王子がこんな状態の山本先生とあえて結婚し、自ら心を病んでまでも先生を守り、そんな王子とともについに完治を得た山本先生が、王子への謝罪と感謝と愛を伝えた感動の作品であります。そんな王子を残して夭逝された山本先生の無念はいかばかりであったでしょうか。それを思うと思わず泣けました。山本先生の全作品を凌ぐ力を持った小説であったと思いました。
【文庫版まえがき まずはここからお読みください】2003年から2009年にかけてうつ病を患った山本先生の闘病記です。この作品を発表した当初、先生はこの作品にあえてうつ闘病記とは明記しませんでした。多くの読者が、山本作品だからではなく、自らも患っているうつ病を扱った作品だという事で購入され、そうした読者の中から、恵まれた立場の人に病気を語って欲しくないという意見や、ただ甘えているだけの日々を書いて本にしてお金にするのかといった批判も生まれました。しかし先生はあえて文庫化に際してうつ闘病記と明記しました。。。
【人恋しいのか違うのか】(2003年8月~10月)先生は人生初の入院を経験し、退院したばかりでした。再婚した王子とは別居婚でした。王子は先生の家にやってきて料理や家事をし、先生はぼつぼつ仕事をしながら王子や友達たちと豪遊する暮らしでした。酒も煙草も脂っこい食事も爆買いも続けていました。過眠と不眠、気分の上下に悩まされていた先生は、ついに劇薬リタリンを処方され。。。更に先生は胸部の激痛にも悩み。。。先生はその原因の1つは、王子が通って来る為に、1人になれる時間が無い事だと。。。しかし先生は時たま人恋しくなる事もあり。。。
【生きるってなあに】(2003年10月)さまざまな葛藤の中、先生は、誰も助けてはくれないのだと思いました。結婚しているから夫に甘えれば何とか助かるんじゃないかと言うのは勘違いで、闘病も生活も仕事も1人でやるしかないのだと思いました。。。王子に部屋に来るのを控えてもらい。。。
【ぐるぐるまわる】(2003年11月)先生は鬱々とした日々をチャットや漫画でやり過ごしていました。。。先生は小さい頃からよく家出をしていました。どうにも「ここ」に居る事が我慢ならなくなるといつも叔母の家に家出しました。王子と同居したら同じ事をするのかと先生は恐れました。。。カウンセラーに入院を勧められ。。。
【頑張れは禁句でも頑張れ】(2003年12月)主治医にも入院を勧められ、先生は再入院しました。入院してからはあの胸痛が全く起こりませんでした。病院は閉鎖病棟ではなく、先生はしばしば外出しました。しばらく入院ハイで元気でしたが、ある日落ち込み。。。入院中にかつての趣味の編み物を復活させた先生でしたが、それはそれで負担になるもので。。。
【今夜、病院に戻りたい】(2003年12月30日~2004年1月)年末年始外泊で先生は家に戻りました。しかし5日も王子と2人でいると、することも話題も見つからず、家事を王子に頼っている事やしんどくて一緒に遊びに出られない事も申し訳なくなり、先生は病院に帰る事に決めました。主治医には、先生はすごく旦那さんに気を遣っているのだと言われ。。。
【仕事をするのはもう無理】(2004年2月)入院後2ヶ月を過ぎ、先生の体調はやや回復して来ました。漸く退院も見据え、それがまた不安の種になる先生でした。。。R-18大賞の選考委員を務め、それでまた体調が落ちた先生でした。ついに仕事を休む決断をし。。。
【ひとつひとつできるようにする】(2004年6月)その後の4ヶ月間、3回の入退院を繰り返しながら、先生はこの日記の連載を再開させました。実は主治医を変えて、その先生が当たりだったのでした。先生はこの頃ほぼ禁酒しており。。。
【てゆうか、私、失恋ですか】(2006年6月19日~7月13日)先生は退院していました。この頃先生は整体にはまっていました。整体の先生にラブラブでしたが、どうもベジタリアンの先生は妻子持ちだと言う事で。。。
【まじでありえません】(2006年7月14日~8月10日)札幌の仕事部屋で1人仕事をしていた先生は肉絶ちしていました。先生は、自分のうつの原因は、悪い体が黒い心を生んだのだと思いました。暴飲暴食と煙草に耽り、うつを悪化させていたのでした。。。
【あの頃どうかしてました】(2006年11月1日11月16日)先生はだいぶ回復していました。芝居を見に行ったり豪華ホテルライフを堪能しました。激務な王子の為におでんを煮ました。。。
【今更ですが、ありがとう】(2006年11月17日~12月11日)王子は先生がうつだった時は大変だったと打ち明けました。出て行けと言われて車で首都高をぐるぐる走っていたら電話で帰って来いと言われたとか、入院している頃は掃除ばかりしていたと言いました。掃除をしている時しか気が紛れなかったと言いました。。。
【改めてふり返ってみました】(2004年3月~2006年5月の出来事)この時期の先生の記憶は曖昧です。うつがあまりに辛くて覚えていたくなかったのでした。1度退院しましたが、すぐ再入院しました。しかし軽快せず、他の病院に入院しました。暴力衝動に悩み、希死念慮にも悩まされました。王子は看病の為に会社を休職し、退職も覚悟しました。最後に入院した病院でついに先生は治療方針を転換され、やや軽快して退院しました。
王子は会社に復帰し、先生は実家で療養しました。更に回復しましたが、あの胸痛が再開しました。実はそれは。。。先生は酒と煙草を完全にやめました。先生は王子とテニスリゾートを訪れました。そこでついに先生は。。。
【文庫版あとがき 不安定になっている方とそのご家族の方へ】先生は自らの体験を元に、心を病んで不安定になっている人達にアドバイスします。精神科医とカウンセラーの違いとは。。。病院の選び方とは。。。先生はうつの人々は頑張って休まねばならないと言い。。。先生は1人で生きているような気になっていたのは大きな間違いだったと思いました。人は人に頼るしかない時もあったのでした。。。自立とは。。。人を助けると言う事は。。。
辛い辛い山本先生のうつ闘病記です。しかしこの作品は、こんな辛い時期に描かれたにも関わらず、小説としての構成を持ち、きちんと落ちが存在します。闘病記と言いながら、この小説は実は、後夫である王子がこんな状態の山本先生とあえて結婚し、自ら心を病んでまでも先生を守り、そんな王子とともについに完治を得た山本先生が、王子への謝罪と感謝と愛を伝えた感動の作品であります。そんな王子を残して夭逝された山本先生の無念はいかばかりであったでしょうか。それを思うと思わず泣けました。山本先生の全作品を凌ぐ力を持った小説であったと思いました。
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こんにちは。ブクレコ難民です。今後はこちらでよろしくお願いいたします。
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- 出版社:角川書店(角川グループパブリッシング)
- ページ数:308
- ISBN:9784041970164
- 発売日:2009年10月24日
- 価格:580円
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