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紅い芥子粒
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シニョーレは、深い孤独の影をまとっていた。
1968年に発表された作品である。
作者の歴史三部作(「安土往還記」、「嵯峨野明月記」、「天草の雅歌」)のひとつ。

イタリア人のある男が、誰かに宛てて書いた、長い長い手紙として語られる。

その男は、愛する妻とその情夫を殺した。男は、逃げた。悪いことをしたとか、罪を犯したとかは思わなかった。妻を深く愛していたから。官憲につかまって、刑に服することは、妻への愛を、自分自身を裏切ることだと思った。男は、傭兵などをして逃げ延び、宣教師船の航海士募集に応募して、日本にわたる。1570年のことだ。

1570年といえば、織田信長の覇道まっしぐらの時代。
男は、とくに信徒というわけではなかったが、宣教師たちと行動を共にするうち、岐阜の宮廷で大殿(シニョーレ・織田信長)に面会する機会に恵まれる。
そのとき、信長がまとう深い孤独の影に気づき、自分と同類だ思う。

信長の兵卒に短銃の射撃を教えたり、九鬼水軍の鉄板軍船造りに参加したり…… 
近くから、あるいは遠くから、男が見た信長が語られる。
常に三十人もの近習に囲まれ、多くの家臣を従えながら、青白い顔でこめかみをひくつかせているシニョーレ。かたや、宣教師たちには、親愛の情を示し、冗談をいって笑いもするシニョーレ。

信長の戦争は無慈悲で惨酷だった。比叡山の焼き討ちも、伊勢長島も石山寺も、慈悲のかけらもないジェノサイド。男は、それにも理解を示す。それもこれも、シニョーレにとって、”事が成る”ために必要なことなのだ。それは、宣教師たちに示す親愛の情や路傍の足なえの乞食に施す過大な慈悲と、すこしも矛盾するものではないのだ、と。

やがて信長は、安土に壮麗な宮殿を築き、美しい都造りを始める。
このころの信長は、いくさは息子たちや家臣に任せ、自ら戦場に赴くことはまれになっていた。
「信長公記」で”お狂い”と書かれるふるまいがめだってくるのは、このころだ。
鷹狩りや射撃の訓練をしているときに、とつぜん刀をふりまわしたりするのだから、あぶなくてしょうがない。信長は、ほんとうに病んでいたのかもしれない。孤独という病を。少年のころから信長に近習として従っていた太田牛一にも、主君のまとう深い孤独の影は見えていたにちがいない。尾張のうつけ時代から仕えている柴田勝家や、前田利家や佐々成正も、主君の病に気づき、ハラハラしながら見ていたにちがいない。

男は、シニョーレのお気に入りだった二人の家臣の名をあげる。
明智光秀と羽柴秀吉。シニョーレは、この二人を自分と同類とみて、共感を求め、自分とおなじ高みに誘おうとしていた……

男がシニョーレの死を知ったのは、本能寺の変の二日後だった。
男には、主君に叛いた明智光秀の気持ちが手に取るようにわかる。光秀もシニョーレと同類で、自分も二人と同類だから。
一人の英雄の死と、王国の崩壊。男は、自分の中で、音をたてて何かが崩壊していくのを感じていた。シニョーレの中に、自分自身を見ていたから。

抑制のきいた、静かな旋律が流れるような文体。
浮かび上がってくるのは、織田信長というより、シニョーレの影絵だ。
美しい小説だった。


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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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