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hackerさん
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ヴァージニア・ウルフ畏るべし。
本書にはヴァージニア・ウルフ(1882-1941)の詳しい年譜がついています。それによると、彼女の父親は文芸評論家・哲学者レズリー・スティーヴン、母親ジュリアは弁護士の未亡人だった女性で、共に再婚であり、結婚時には父親には一人、母親には三人の連れ子がいました。結婚後、男と女二人ずつの子供が生まれ、ヴァージニアは次女でした。ですから、8人の子供を抱える大家族でした。父親はイングランド南西部コーンウォールに邸宅を借り「家族と召使、客人が毎夏2~3ヵ月過ごす場所とした」そうで、「純粋な恍惚感」に満ちた幼年時代であったようです。

しかし、作者が13歳の時に母親が急逝し、最初の神経衰弱を経験します。その後も、15歳の時に母親の連れ子だった姉ステラが新婚3ヶ月で急死、22歳の時に父親が死去、24歳の時に同じ両親の子である兄トウビーがコレラが元で病死と一連の不幸に見舞われ、これが生涯を通して悩んでいた神経の病へとつながったようです。また、23歳の時、つまり母の死から10年後、コーンウォールの邸宅に兄弟姉妹4人が集い、客人も呼んで一夏を過ごしています。


本書『灯台へ』を出版したのは1927年、作者が45歳の時で、『ダロウェイ夫人』(1925年)の次の長編小説です。内容を簡単に紹介しますが、作者の人生が色濃く反映されたものとなっているのが、お分かりいただけると思います。スコットランド北西部のヘブリディーズ諸島にある別宅を舞台とする本書は、三部構成となっています。

第一部は、そこを借りているラムジー一家と客人の、死の影がまったくない夏の一日を語っています。主人のラムジー氏は哲学者ですが、自己中心的な性格で、他人に気遣うというより、他人に気遣われるのも、他人に命令するのも当然と思っている雰囲気の持ち主です。第一部の冒頭で、末っ子のジェイムズが「明日が晴だったらば」邸宅から見える孤島の灯台に行けると母親に言われて喜んでいる傍から「晴にはならんだろう」と言ったりするのです。幼いジェイムズは父親を憎んでさえいましたが、そんな家庭を切り盛りし、家族をまとめていたのは、50歳になっても人目を惹く美しさを保ち良妻賢母型のラムジー夫人でした。

そして、招待客の中には、リリー・ブリスコウという34歳で独身の女性画家と、「優秀な哲学者になれたかもしれない」とラムジー夫人が評価しているものの「不幸な結婚をして」今は無気力そうに生きているオーガスタス・カーマイケルがいました。リリーは、リムジー氏が秘書のように扱っている若い使用人から「女性は書けないし、描けない」などと言われています。

そして、小説全体の半分以上を占めている、この第一部は、時間的にはたった一日の中の様々な登場人物の心の動きを正に流れるように描写していて圧巻です。実際には、ほとんど何も起こらないに等しい一日を、これだけ飽かせることなく語れるというのは、ヴァージニア・ウルフの天分の成せる業だと思います。この一日は、ラムジー夫人が力を入れ成功裏に終わった晩餐会で締めくくられるのですが、満足した彼女はこう思います。

「きっと皆は、とまた歩きだしながら、夫人は思った、どんなに長生きしようと今晩のことは忘れないだろう。この月、この風、この家を思い出し、わたしの思い出を蘇らせるだろう。こういうお世辞に一番弱いわたしだけれど、どれほど時間が経とうとも、皆の心の奥にわたしの思い出がずっと織り込まれて続け、決して離れないと考えるのは、何とも心地よいことだった」

しかし第二部は、そこから10年間、誰も訪ねる人もなく、留守番の婆やがいるだけで、荒れるに任せた邸宅の様子が描かれます。そして、リムジー夫人がロンドンで急死したこと、長女のプルーが結婚後に産褥のため亡くなったこと、長男のアンドリューが戦死したこと、カーマイケルが出した詩集が評判をとったことが、淡々と語られます。そして、リムジー氏の娘から、夏に再訪したいので、邸宅に滞在できるように準備をしておくようにとの手紙を受け取って、留守番の婆やたちはあたふたと邸宅の清掃をします。

第三部では、リムジー氏と末娘のキャムとジェイムズの三人が、10年前には行かなかった、沖合の灯台を目指して、海に漕ぎ出します。それを岸から見守るのは、相変わらず独身で絵を描いているリリーと、相変わらず無気力に見えるカーマイケルでした。


さて、ヴァージニア・ウルフの実生活と本書の類似性をまとめるために、内容を簡単に紹介しましたが、そもそも本書はドラマを語ることを目的としたものではありません。強いてテーマというと、永劫の時間の中での芸術の存在価値、あらゆるものが滅びていく世界での人間や芸術の無常観ということになるのでしょうが、本書の最大の魅力は、多彩な登場人物の意識や思考を渡り歩きながら、水が流れるごとく言葉が流れる小宇宙です。作家という一人の人間の個性の枠や技法的な枠を超えて、言葉による小宇宙を生み出せた作家というのは、当然ながら、そんなに多くはありません。本書は、『ダロウェイ夫人』とともに、ヴァージニア・ウルフが、間違いなくその一人であることを証明する小説です。

そして、登場人物の中で作者自身を連想させるのは、第三部では43歳となっているリリー・ブリスコウであることは、意識しておきましょう。作者が43歳の時に『ダロウェイ夫人』を発表し、それから1年以上かけて本書を執筆していること、文学の創造と同じく絵を描くという芸術の創造に携わっている女性という設定からも、それは明らかです。

本書の最後の場面では、はっきりとは見えねど、灯台に着いたと思われるラムジー氏たちを思いながら海辺に立つ、ほとんど話さず自らの思考も語られることもない、言葉の達人である老詩人カーマイケルと、画家のリリーであるというのは、その意味で、とても象徴的です。そして、本書の最後の一文が、次のものであることも。

「できた、とうとう終わったわ。極度の疲れの中で絵筆をおきながら、彼女は思った、そう、わたしは自分の見方 vision をつかんだわ」

なお、原題 To the Lighthouse には、本書中で度々言及される「光」light が含まれており、vision には light が付き物であるのは言うまでもありません。ですが、同じ第三部の少し前には、優れた詩人として、言葉を知っているものの、言葉をほとんど発しない、一種の老いた詩神としてのカーマイケルの隣で、リリーがこう思う場面があります。

「リリーにとって、話したいことは一つだけではなく、ほとんどすべてなのだ。自分の思いを打ち砕きばらばらにしてしまうような、断片的で細切れの言葉など、何の役にも立ちはしない。『人生について、死について、ラムジー夫人について』―いやだめだ、言葉で思いを伝えることはできない。その時の思いにせきたてられて、いつも狙った的をはずしてしまうから。言葉という矢は、ふらふらと横にそれて、標的の数インチ下に中たるのが関の山なのだ」

しかし、こういう苦闘の後で、無常の世界の中で、いつまで自分の名前と存在が人々の記憶に残るか分からない世界において、何か自分らしいものを創造する喜びが最後に語られる場面は、『ダロウェイ夫人』のラストの「クラリッサがそこいた」と同じような感動を与えてくれます。


本書もヴァージニア・ウルフの生み出した傑作です。

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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2276 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. 菅原万亀2023-03-09 11:30

    ヴァージニア・ウルフ。いつかは向き合いたい作家です^^
    hackerさんの書評を読んで、そろそろ読みたいかな、と思いました^^

  2. hacker2023-03-09 12:15

    実は、lightつながりで、菅原万亀さんに教えてもらった『ヒカリ文集』のレビューを次にあげることにしています。ヴァージニア・ウルフは、きっと気に入ると思いますよ。

  3. 菅原万亀2023-03-09 14:44

    もう読了されたのですね…! ヴァージニア・ウルフは『波』で過去挫折しているので…別の作品から読んでみたいと思います^^

  4. hacker2023-03-09 15:30

    この作品か『ダロウェイ夫人』が良いのではないでしょうか。こちらの方は作者の実生活が反映されているだけ、取っ付きやすいかもしれません。個人的には、短篇は
    あまり気に入っていません。

  5. かもめ通信2023-03-09 17:41

    横レス失礼します。
    私もhackerさんに同じく短篇はあまり……と思っているクチなのですが、それはさておき、菅原万亀さんにはぜひ、ウルフへの取りかかり口として、『自分ひとりの部屋』をお薦めしたい!と思いしゃしゃり出てきました。

  6. 菅原万亀2023-03-09 19:18

    >かもめ通信さん

    おススメたいへんありがとうございます^^ 『自分ひとりの部屋』も探してみます!

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